シリーズ真田丸7.「ふざけて書いているわけではない」「目線を下げる」
今日は1月31日。
今晩は大河ドラマ「真田丸」の第4話を見ました。
織田信長、明智光秀、徳川家康など有名武将が出てきました。
子どもたちにもあらかじめ紹介しておきました。
はたして見たかなあ?
完成した人物相関図を使って、
空いた時間には「真田丸」の話をしています。
「主人公の名前が真田信繁」
「お兄さんが信幸で、お姉さんが松。
お父さんは昌幸だよ」
まずは家族構成を覚えさせています。
「NHK大河ドラマ・ストーリー 真田丸 前編」(NHK出版)からの引用。
今回は、脚本を書いている三谷幸喜さんのインタビュー記事からです。
(真田)信繁は、人生の大半が明らかになっていない。
それも(脚本を)書きたいと思った理由の一つです。
分からないところを想像で埋めていける楽しさ。
とはいえ、突拍子もないことを書くつもりはありません。
「新選組!」のときも、荒唐無稽だというご批判を受けました。
僕自身はそんなふうには思っていなかったし、実際、
できるだけ史実に近い形で描き、記録が残っていない部分だけ、
想像力を膨らませたつもりでした。
ところが、僕自身が世間に持たれているイメージが、
邪魔をするんですね。
僕が書くものはすべてふざけていると思われがち。
確かにふだんは喜劇専門ですが、
あれだって別にふざけて書いているわけではないのですが。(132p)
「ふざけて書いているわけではない」が印象に残りました。
この点を、他のインタビューでは、もう少し語っていました。
参考:マイナビニュース
引用します。
僕が書く以上、もしかしたら通常の大河ドラマより
ユーモラスなシーンは多いかもしれませんが、
コメディーにしようとか、笑わせようというつもりは全然ありません。
僕にとってのユーモアとは「人」を描くことにほかならないんです。
年表はあくまで歴史を俯瞰で見たものであって、
そこには「笑い」も「人物」もいません。
そこから目線をどんどん下げていくと、
それぞれの登場人物たちの顔や言葉、息づかいが見えてくる。
僕にとってのユーモアは、彼らをひとりの人間として描いた結果にすぎないんです。
わかった気がします。
目線を下げて、登場人物の中に入って脚本を書いている感覚になると、
いろいろな喜怒哀楽が思い浮かんでくるのではないでしょうか。
そりゃあ、きっと愉快なこともあったはずです。
「目線を下げる」はキーワードのように思えます。
ー記事には、もう一か所「目線を下げる」が出てきます。
その文章の引用はまた後日。
今晩の「真田丸」で、本能寺の変までやってしまいました。
明日は本能寺の変の話を子どもたちの前でしよう。
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