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2015年8月

2015年8月11日 (火)

円錐形に材木を組んで、円錐形の炎をつくる

  

今日は8月11日。

  

「山の日」です。第1回目の「山の日」ですが、何か催しはあるのかな?

  

山の学校の話。

キャンプファイヤーの火の番でした。

今回はできたら円錐形に木材を組みたいなと思っていました。

そして円錐形の美しい炎を作りたいと思いました。

2年前はこんな感じでした↓

Rimg3418   

どうしたら円錐形に木材を組めるか四苦八苦しました。

  

アドバイスをくれる人がいて、下のように骨組みを作りました。

Rimg3170

Rimg3171  
中央に1本丸い材木を立てて、そこに平たい木材を、

少しずらすことで、骨組みを自立させました。

上部に横木を挟んで、骨組み完了。

これに他の材木を立てかけていきました。

  

Rimg3177

Rimg3181  
4カ所から点火するように新聞紙をねじ込みました。

  

さあどんな火になったと思いますか?

  

他の先生が撮った写真をここに載せます。

 

041

043  
う~ん、残念。

この直後、炎は円錐形で燃え上がっていたのに、

その写真はありませんでした。

でも写真屋さんがアルバム用に撮った写真には、

きっと炎の写真もあると思います。

いい写真があったら、許可をもらってここに載せます。

  

   

材木はしばらく燃えた後、円錐形は崩れてしまいました。

常に円錐形を維持させることは難しい。仕方なし。

 

ささやかですが、やってみたいと思ったことを実行しました。

2015年8月10日 (月)

「たった一人の熱狂」から引用 その4/どうしても生きたかった大切な明日だ

今日は8月10日。

  

前投稿に引き続き、

「たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉」

(見城徹著/双葉社)からの引用です。

  

  

失敗して落ち込んでいる人に出会うと、僕はこうやって声をかける。

「今起きていることはすべてプロセスだ。

プロセスの中で生じた暫定的な結果によって、

人生がすべて決まるわけではない。

最後の勝負は、死ぬ時にあなたがどう思うかだ」

(中略)

有名か無名か、金持ちか貧乏か、

そうした尺度で幸福は測れないわけだ。

そんなものは所詮、幸福を測るうえでの相対的な基準でしかない。

要は死ぬ瞬間に自分が満足できていればいいのだ。(167p)

  

  

じゃあ、ふだんどのような気持ちでいたらいいんだと思います。

見城さんはこう書いています。

  

アメリカ先住民に「君がなんとなく生きた今日は、

昨日死んで行った人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ」

というような言葉があるそうだ。

緊張感も切迫感もなく、ただのほほんと生きる。

そんな1日の時間に、しがみついてでも生きたいと思う人もいる。

この言葉は、僕の胸に強く共感する。(168p)

 

死という視座から現在を照射すれば、

今自分がやるべきことが鮮明に見えてくる。

一人の女に身も心も捧げ尽くし、駆け落ちしても絶対に後悔しない。

そう本気で思えるのなら、仕事を放り投げその女と逃避行すればいい。

(中略)

今この瞬間を熱狂しながら過ごしたい。

河原で石を積み上げるように、熱狂の軌跡を一つずつ刻みたい。

自分との戦いに挑み続けて、

積み上げた小石が崩れぬ山と聳え立った時、

僕は死の淵で「僕の人生は幸せだった」と莞爾(かんじ)して

微笑むことができるだろう。(169p)

   

見城さんのたとえは過激です。 

駆け落ちはすごい場面ですが、

小さな場面でもしっかり生きていきたいということだと思います。

1日1日を大切にしい。無駄にしない。その積み重ね。

私もアメリカ先住民の言葉に共感します。 

  

   

見城さんは高校生にこう言っています。

「今日と違う明日をつくれ」

「昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない」

「なんとなく生きるな」

  

時には見城さんのような過激な発言もいい。

「たった一人の熱狂」から引用 その3/成功をゼロに戻し、新たな戦地へ

  

今日は8月10日。

  

前投稿に引き続き、

「たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉」

(見城徹著/双葉社)からの引用です。

  

  

一つのプロジェクトで成功して大きな結果が出せれば、

は2~3年は成功の余韻と貯金で食いつないでいけるかもしれない。

この状態が一番危険だ。

ものすごい追い風が吹いていたり、

競合他社がまったくいない無風状態であれば、

すでに出た結果に寄りかかっているだけで

15や20の結果を出すこともできるだろう。

だが、そんなことは極めて稀だ。

10の結果に寄りかかって安住していれば、

次は8や6の結果しか出ない。

それでもまだ現状に甘んじていれば、次は結果が5になり、

と縮小生産していく。

自分が仕掛けたプロジェクトがブレイクし、大衆から注目を集める。

そういう時にこそ、我が手につかんだ成功をゼロに戻し、

新たな戦地へ転戦するべきなのだ。(108p)

  

※成功したら、そこから下りる。

そんな話を、先週の土曜日の「サワコの朝」で

萩本欽一さんが言っていました。

人気絶頂の時に、テレビを一切やめてしまうみたいに、

萩本さんはスッとやめてしまうことが多い理由を尋ねられて、

「ごく自然なことだと思う。」

「山に登ったならば、そこに3年も5年もいますか?」

「山に登ったらすぐに下りるじゃないですか」

「登るのには時間をかけて、

下りるのはできたらヘリコプターで下りたいくらい」

「そうじゃないと次に登れないじゃないですかあ」

「僕はそれを続けているだけ」

と答えていました。

Photo

https://www.youtube.com/watch?v=98_pqgcGL_4

↑ここに映像あり。16分過ぎにそんな話をします。

  

「頂上」には確かに長くはいません。

登る時間にくらべたら、短いものです。

人生は山にいくつも登るもんだというたとえはしっくり来ます。

登っては喜んで、下山するとまた登りたくなります。

見城さんは頂上に長くいるとこんな風になるよと教えてくれています。

頂上に長くいるよりも、次の頂上を目指す方がいい

というのは共通ですがとても過激です。こうも書いています。

下山した時の心構えとでも言いましょうか・・・・

  

  

そんな僕も、50代半ばになってからは億劫になることもある。

以前は1週間に2回は映画や舞台を見ていたが、

「雨だからな」とか「今日は腰が痛くて嫌だな」と足が遠のく。

しかし「まあいいか」と思った瞬間、崖の下へ転げ落ちる。

年を取れば取るほど、忙しさのせいにしたり体調のせいにしたり、

天候のせいにしてごまかす。

要は面倒くさいだけなのだ。

「まあいいか」という言葉は、絶対に呟きたくない。

「まあいいか」を否定し続け、自分に打ち克ち、日々初心に帰るのだ。

(中略)

一つの熱狂が終われば、自らゼロの地平に一人で舞い戻る。

この地平から戦いを始め、まだ見ぬ熱狂の高みへと飛翔する。

圧倒的結果をゼロに戻して新しい戦いに向かわなければ、

より大きな成功や結果を絶対に得られないのである。(109p)

  

  

小さいながら今は「頂上」と思える時があります。

そのことを自覚した時には、下山しようと思います。

その方が新しいことができるし、自分の可能性も広がるはずです。

  

(つづく)

  

2015年8月 9日 (日)

「たった一人の熱狂」から引用 その2/直感とヒラメキは耳を澄ます

  

今日は8月9日。

  

前投稿に引き続き、

「たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉」

(見城徹著/双葉社)からの引用です。

   

幻冬舎では無駄な会議は一切ない。

組織が大きくなればなるほど、大勢に人間が一堂に会して

ああでもない、こうでもないと議論を続けるものだ。

一つの決裁をだすまでに幹部や役員の間で稟議書(りんぎしょ)を

グルグル回し、ハンコを一つずつもらっていく制度は今でも残っている。

実にくだらない。

会議に要する延べ時間を計算してみるといい。

1時間の会議に10人が出席していれば延べ10時間。

その会議を3回繰り返せば延べ30時間だ。

これだけの時間を集中して仕事をすれば、

どれだけの成果を上げられることか。

幻冬舎にも編集に営業や製作の進行部隊が加わり、

定価や初版を決める最低限の部数会議はある。

だが、大勢の人間が同席する会議はこれ一つだ。

僕が担当者一人ひとりと企画について話し合い、

心を切り結んで行けばそれでいい。(中略)

飲み会に行った際、移動の車の中、エレベーターの中、

どこであろうがその場の語り合いによって企画は動いていく。

定型にとらわれた会議でしか企画が生まれないとすれば、

それらの企画は平均点のつまらない内容になりがちだ。

脳みそを洗濯機にかけるように、

頭の中で考えていることをシャッフルする。

直感とヒラメキに耳を澄ます。

イノベーションとは、会議室から荒野へ飛び出した瞬間から

うまれるものだ。(64-65p)

  

※学校の会議の場合、

みんなで動くにあたって周知徹底の意味もあります。

2人だけでの話し合いですまないことが多いと思います。

見城さんの主張でこれはいいと思ったのは、

「平均点のつまらない企画」にならないようにすべきことです。

「直感とヒラメキに耳を澄ます」はいい言葉です。

直感とヒラメキを聴き取って、うんと増幅していきたいです。

 

仕事ができない人間には決まって共通点がある。

小さなことや、片隅の人を大事にしないことだ。

そんな人間に大きな仕事ができるわけがない。

雑用をいい加減にやったり、人との約束を簡単に破ったり、

名もない人を無下に扱うような人は、

大きな結果や成功をつかむことは出来ない。(中略)

数多くの人と関わる仕事をするのであれば、

他者への想像力は必須だ。(中略)

僕は常に小さなことに後ろ髪を引かれ、小石をつまづき、

小さなことにクヨクヨする人間でありたいと思っている。

有名になろうが一時的に成功しようが、

他者への想像力を働かせて小さな約束も必ず守る。

片隅の人を大切にする。小さな企画に一生懸命取り組む。

地味で目立たない仕事であってもきちっとやり遂げる。

これらを心がけ一つですぐにできることであって、

血の滲むような圧倒的努力など必要ない。

小さなことを大切にするだけで、人生は大きく変わっていくはずだ。

神は細部に宿るのだ。(91-93p)

  

※「凡事徹底」という言葉がよく浮かびます。

小さなことを大切にすることは、

この4字熟語を思い出して実行してきました。

今回再認識。

  

   

スランプにはとことん浸かり、

圧倒的努力とともに再び這い上がればいいのだ。(105p)

  

※病気で3回もつぶれた身としては、このような言葉がありがたい。

這い上がりたい気持ちは今の自分にはあります。

きっと失われたであろう信頼を回復させたい。

でももうつぶれたくない気持ちもあります。

(つづく)

「たった一人の熱狂」から引用 その1/きれい事だけでは成り立たない

今日は8月9日。

  

夏休みになって読破した本から引用します。

  

「たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉」

(見城徹著/双葉社)

   

僕は現在、テレビ朝日で放送番組審議会の委員長を務めている。

テレビ局の中で仕事をしているとよく解るが、

視聴率が取れなければ番組にスポンサーはつかない。

ドル箱の番組をいくつも作らなければ、

テレビ局はだんだんジリ貧になって経営は立ち行かなくなる。

視聴率にこだわるテレビマンを批判する人がいるが、

きれい事だけではテレビは成り立たない。

面白く、なおかつ視聴率を取れる番組を量産してこそ、

低視聴率だが骨太のドキュメンタリーにまで予算を回せるのだ。

「視聴率が取れなくても良い番組を作るのがオレたちの仕事だ」

と居直るテレビマンばかりであれば、

テレビ局全体が沈没して番組なんて作れなくなってしまう。(46p)

  

※言われてみればその通りのことです。

世の中きれい事だけで行きたいけど、きれい事をするためには、

きれい事ではないことをたくさんしないといけないんですよね。

  

僕にとって朝は勝負である。

情報を摂取するにしても、考えごとをするにしても、

朝ほどはかどる時間はない。

早朝にけたたましく電話をかけてくる人はいないから、

誰にもジャマされず自分だけの時間を過ごせる。

早朝には永遠が見えるとすら思う。

しかし、「今日もまた1日死へ近付くのだ」という冷厳な事実を確認し、

「悔いのない1日にするぞ」と奮い立ち、

朝というとば口から残りの人生を照射するのだ。(49p)

  

※「とば口」=入口

「悔いのない1日にするぞ」同じように、

「今日もいい日にするぞ」と朝、教室の黒板に書いています。

「今日も」の「も」は、前日までを否定したくない気持ちの表れです。

見城さんより詰めが甘いなとは思います。

スタートの朝は、初心に戻れるのはいいこと。

2015年8月9日も始まったばかりだ。いい日にするぞ。

  

毎晩、365日体制でビジネスディナーの予定を入れている僕も

めったなことでは二次会へ流れての見直すことはない。(中略)

20~30代の頃は、ムチャクチャな生活をしていても

仕事もバッチリできた。

だがいつまでもそんなことをしていては体を壊してしまう。

そこで、53,54歳を過ぎたあたりから、

基本的に二次会には行かないとルールを決めた。

月に1,2回どうしても付き合うとしても、

うるさい客がいない静かなカウンターバーでゆっくり話をする。

二次会でカラオケに繰り出すなど愚の骨頂だ。

時間の無駄でしかない。

カラオケがガンガン流れているところで重要な話なんてできないし、

お互いに自己満足な歌を歌い合って2時間を過ごすなど、

時間がもったいなくてかなわない。(50p)

  

※飲み会嫌いの同僚の人に、この部分を見せたら喜んでいました。

同好の士を得たように思えたことでしょう。

2次会についてはそう思いますが、飲み会については、

新しいアイデアが浮かぶきっかけ、

何かを始めるきっかけになることもあり、さまざまな刺激になり、

いそいそと出かけています。

(つづく)

2015年8月 7日 (金)

マイク代わりになるアプリはないか探しました

 

今日は8月7日。

  

こんなアプリがあるといいなと思って探すと、

すでに存在していることがあります。

ある総会があるために明日はマイクが必要です。

残念ながら、マイクはなし。

どうするか?

そこでアプリです。

マイク代わりになるアプリはないか探してみることにしました。

  

iPad用のアプリが見つかりました。

Photo https://itunes.apple.com/jp/app/buruno-maikurofon/id482337530?mt=8

  

このアプリを120円で入手して、さっそく使ってみました。

イヤホンの端子とCDラジカセの外部入力端子をコードでつなぎました。

CDラジカセからちゃんと音声が出てきました。

iPadがマイク代わりになりました。

ブログ「iPadやiPhoneで教師の仕事をつくる」でも

このマイクについて書いてありました。

観光バスにiPhoneを接続する 2012年9月

  

  

しかし、コードがない方がいいです。

Bluetoothを使って無線でできないかアプリを探しました。

iPad用のアプリは発見できませんでした。

そこでAndroidのアプリを探しました。

  

発見!

Photo_2 https://play.google.com/store/apps/details?id=com.soomsoft.damic.free&hl=ja

  

これは無料。

やってみました。

確かにBluetoothで声が飛びました。

じゃあ成功?

  

う~ん、ちょっと音が出てくるのが遅いのです。

マイク代わりのタブレット端末に向かって声を出してから、

Bluetooth可能なCDラジカセのスピーカーから声が発せられるまでに、

2秒ほどかかりました。

このズレは笑えます。

何か改善方法があるのかもしれませんが、

今回は使えないなと思いました。

  

  

明日はiPadがマイク代わり。

そう思いきや、他の人が”本物”のマイクを持ってくるという情報あり。

あれま?

30日/「教育ICTセミナー2015」に参加その5

今日は8月7日。

  

8月5日に引き続き、7月30日の「教育ICTセミナー2015」の報告。

  

赤堀侃司(かんじ)さんのお話を聴きました。

赤堀さんの著書「タブレットは紙に勝てるのか」は読んだことがあり、

このブログにも引用文を載せています。

  

「子どもがカメラ機能で写真を撮るのは、学習効果があるのか」

要項にはこう書いてありました。

赤堀さんは「たいへん意味がある」と言っていました。

「面白い、なるほど」と思って撮影すると、

その対象だけでなく、周りも一緒に撮影します。

その1枚は記憶に残りやすいとのこと。

う~ん、極論的に言うと、聞いたことは忘れやすい。

覚えているのはたいがい画像としてである。

だから思い入れをして撮影した画像は、頭に残りやすいということです。

  

昨日、現職研修でタブレット端末を話をしました。

その直後の校長先生のお話で、

要望があればタブレット端末を買ってもいいと思っているとの発言。

もしかしたら、2学期は学校のタブレットが存在する可能性が出てきました。

しかし、WiFi環境にはならないので、タブレット端末の機能の一部のみの使用でしょう。

そこにカメラ機能はあります。

制限されたのなら、その機能を十分に生かしたいです。

「面白い なるほど」と思った瞬間を、撮影によって画像にしていく・・・・・

そうすれば子どもの記憶に残りやすい。定着しやすい。

この発想は研究しがいがあることかもしれません。

  

要項には次の質問もありました。

「子どもが動画を撮って自分で振り返ることには、意味があるのか」

これもカメラ機能の話。

たとえば、自分のプレーや演技を動画で見ることは、

気づきがあって、

とても有効なことだと言っていました。

ここで赤堀さんは、とてもいいセリフを発しました。私はすぐにメモしました。

「何をどうしたらいいかというのは、気づかないとできない」

気づきの大事さを表現したいい言葉だと思いました。

  

   

「黒板にスクリーンで、写真などを写すのは、学習効果はあるのか」

これも効果ありと言っていました。

そしてカラー写真が効果があるとのこと。カラーだとイメージが湧くのだそうです。

寿司の白黒写真とカラー写真を並べて、説明してくれました。

Rimg3151

 

「手元にタブレットを置いて見ることは、学習効果はあるのか」

パソコンの画面を、教師と子どもが見ながら会話している写真を赤堀さんは示しました。

目と目を合わせて会話しなさいと言うが、授業中にそのような機会は実は少ない。

何かを介在して、コミュニケーションが行われることが多い。

協働学習というのは、タブレットを介在して教師と子ども、

子どもと子どものコミュニケーションが行われる学習。

だから、上の質問の答えは「効果あり」とのこと。

確かにタブレットの画面を介在して話をする機会は増えるだろうなあ。

この光景を良い風景と見ていきたい。

  

  

その他、赤堀さんは「クラス内反転学習」を提案していました。

このことに関する著書も出ています。

「反転授業」「反転学習」・・・まだまだ私には縁遠い内容です。

  

最近の雲の写真11枚

  

今日は8月7日。

  

最近の雲の写真を並べます。

7月25日

Rimg3047

Rimg3048

7月28日

Rimg3092

8月5日  

Rimg3253

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8月6日

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Rimg3269

Rimg3270

Rimg3284  

↑ 最後の1枚。

この雲なら、夕焼けはきっといいぞと予想しました。

しかし、たいしたことありませんでした。

夕焼け予想はなかなか難しい。

 

 

  

2015年8月 6日 (木)

題目「(近い将来)タブレット端末を使ってみよう」で話す

今日は8月6日。

  

夏休みの前半の大きな目標だった現職研修が終わりました。

講師として1時間、「(近い将来)タブレットを使ってみよう」

というお題目で話をしました。

  

その原稿作りで時間がかかりました。

でも力作ができました。

A4サイズで4ページ。

この原稿は、職場の先生全員のフォルダにコピーして入れました。

興味を持った人は、そこに記してあるアドレスをクリックすれば、

発表で使った映像や参考にしたサイトが見られます。

アプリの購入ページにも行きます。

  

ここにも載せます↓

gennkyousiryou.docxをダウンロード

 

  

  

良かったら読んでみてください。

感想もいただけたらありがたいです。

今回このような機会を与えてもらい、

タブレット端末にまとめることができて良かったです。

2015年8月 5日 (水)

動画をスロー再生だけでなく反転・部分拡大もできるアプリ

今日は8月5日。

  

「ここでも道草」のサイドバーに紹介してあるブログのうち、

「iPadとiPhoneで教師の仕事をつくる」について。

このブログを作成している方が、電子書籍を作られました。

電子書籍「海と朝日とiPad」発刊(7月20日投稿)

  

全部で59の項目。

バラエティーに富んだ内容です。

iPad自体が バラエティーあるものだから、こうなるんですよね。
明日に備えて、動画が気になりました。
  
  ブログへのリンクです↓
 
  
これはやってみる価値がありそうです。
  
  
  
さっそくやってみました。SpeedUpTVというアプリです。
  
ブログでは250円とありましたが、今は360円でした。
  
実際にカメラで録画して、その映像をスローにしたり、反転できました。
  
これは面白い。
  
youtubeも再生可能なので、スロー再生したり反転も可能です。
  
ダンスのお手本を反転再生させて子どもに示すことができます。
  
使い方はここを参考にしました↓
 
  

最近の写真

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉