「たった一人の熱狂」から引用 その4/どうしても生きたかった大切な明日だ
今日は8月10日。
前投稿に引き続き、
「たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉」
(見城徹著/双葉社)からの引用です。
失敗して落ち込んでいる人に出会うと、僕はこうやって声をかける。
「今起きていることはすべてプロセスだ。
プロセスの中で生じた暫定的な結果によって、
人生がすべて決まるわけではない。
最後の勝負は、死ぬ時にあなたがどう思うかだ」
(中略)
有名か無名か、金持ちか貧乏か、
そうした尺度で幸福は測れないわけだ。
そんなものは所詮、幸福を測るうえでの相対的な基準でしかない。
要は死ぬ瞬間に自分が満足できていればいいのだ。(167p)
じゃあ、ふだんどのような気持ちでいたらいいんだと思います。
見城さんはこう書いています。
アメリカ先住民に「君がなんとなく生きた今日は、
昨日死んで行った人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ」
というような言葉があるそうだ。
緊張感も切迫感もなく、ただのほほんと生きる。
そんな1日の時間に、しがみついてでも生きたいと思う人もいる。
この言葉は、僕の胸に強く共感する。(168p)
死という視座から現在を照射すれば、
今自分がやるべきことが鮮明に見えてくる。
一人の女に身も心も捧げ尽くし、駆け落ちしても絶対に後悔しない。
そう本気で思えるのなら、仕事を放り投げその女と逃避行すればいい。
(中略)
今この瞬間を熱狂しながら過ごしたい。
河原で石を積み上げるように、熱狂の軌跡を一つずつ刻みたい。
自分との戦いに挑み続けて、
積み上げた小石が崩れぬ山と聳え立った時、
僕は死の淵で「僕の人生は幸せだった」と莞爾(かんじ)して
微笑むことができるだろう。(169p)
見城さんのたとえは過激です。
駆け落ちはすごい場面ですが、
小さな場面でもしっかり生きていきたいということだと思います。
1日1日を大切にしい。無駄にしない。その積み重ね。
私もアメリカ先住民の言葉に共感します。
見城さんは高校生にこう言っています。
「今日と違う明日をつくれ」
「昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない」
「なんとなく生きるな」
時には見城さんのような過激な発言もいい。
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