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2015年8月10日 (月)

「たった一人の熱狂」から引用 その4/どうしても生きたかった大切な明日だ

今日は8月10日。

  

前投稿に引き続き、

「たった一人の熱狂 仕事と人生に効く51の言葉」

(見城徹著/双葉社)からの引用です。

  

  

失敗して落ち込んでいる人に出会うと、僕はこうやって声をかける。

「今起きていることはすべてプロセスだ。

プロセスの中で生じた暫定的な結果によって、

人生がすべて決まるわけではない。

最後の勝負は、死ぬ時にあなたがどう思うかだ」

(中略)

有名か無名か、金持ちか貧乏か、

そうした尺度で幸福は測れないわけだ。

そんなものは所詮、幸福を測るうえでの相対的な基準でしかない。

要は死ぬ瞬間に自分が満足できていればいいのだ。(167p)

  

  

じゃあ、ふだんどのような気持ちでいたらいいんだと思います。

見城さんはこう書いています。

  

アメリカ先住民に「君がなんとなく生きた今日は、

昨日死んで行った人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ」

というような言葉があるそうだ。

緊張感も切迫感もなく、ただのほほんと生きる。

そんな1日の時間に、しがみついてでも生きたいと思う人もいる。

この言葉は、僕の胸に強く共感する。(168p)

 

死という視座から現在を照射すれば、

今自分がやるべきことが鮮明に見えてくる。

一人の女に身も心も捧げ尽くし、駆け落ちしても絶対に後悔しない。

そう本気で思えるのなら、仕事を放り投げその女と逃避行すればいい。

(中略)

今この瞬間を熱狂しながら過ごしたい。

河原で石を積み上げるように、熱狂の軌跡を一つずつ刻みたい。

自分との戦いに挑み続けて、

積み上げた小石が崩れぬ山と聳え立った時、

僕は死の淵で「僕の人生は幸せだった」と莞爾(かんじ)して

微笑むことができるだろう。(169p)

   

見城さんのたとえは過激です。 

駆け落ちはすごい場面ですが、

小さな場面でもしっかり生きていきたいということだと思います。

1日1日を大切にしい。無駄にしない。その積み重ね。

私もアメリカ先住民の言葉に共感します。 

  

   

見城さんは高校生にこう言っています。

「今日と違う明日をつくれ」

「昨日と同じ今日、今日と同じ明日。そんなものはつまらない」

「なんとなく生きるな」

  

時には見城さんのような過激な発言もいい。

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