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2015年5月3日

2015年5月 3日 (日)

「薬を振る」・・・Yahoo!知恵袋で聞いてみました

  

今日は5月3日。

  

「薬を振る」について何度か書いてきました。

具体的にどんな行為を言うのか知りたかったです。

先日初めて「Yahoo!知恵袋」に投稿してみました。

 

正直、あまり期待していなかったのですが、ビックリ。

短時間の間に、6件も回答が来ました。

ありがたいことです。

とても参考になりました。

Yahoo!知恵袋 「薬を振る」を具体的に教えてください。

  

結論。こういうことかなと思います。

断定して書いていますが、全て予測です。

  

「薬を振る」というのは「薬を振り出す」ということです。

使用する量を巾着袋に入れて、湯の中に入れて薬分を振り出すのが

具体的な行為です。

振り出す薬で有名なのが「センブリ」であって、これは「千回振り出しても、

まだ苦い」ことが由来です。それだけ効果がなくならないということです。

「振薬(シンヤク/ふりぐすり)」という言葉があります。

振り出して作った薬です。

他に、煎じて作る「煎薬(センヤク)」、

浸して作る「泡薬(ホウヤク/ひたしぐすり)」があります。

  

  

この結論が、最も有力です。しかし、疑問はあります。

「薬を振る」の用例が、「煎じて出す」の意味のところにあったことです。

いただいた回答のほとんどが「振り出す」と「煎じて出す」は区別しています。

熱湯の中に薬を入れて振り出す状況なのでしょうか?

そうなると、上記の「Yahoo!知恵袋」の回答者の中の、            

anovicelinguistさんの言うように、

煎じる時に振ることが行われていて、その動作をさすとも言えます。

しかし、漢方の専門家のc_prjhqさんが

回答に書いてきていないことがおかしいです。

それどころか「通常、漢方薬は、30分くらいかけて煮出す煎じ薬

と書いてきています。もし振っているなら、書いてきてくれるはずです。

  

  

やっぱりここは、デジタル大辞泉を編集している小学館に

お聞きしたいです。

  

5月2日の大谷嶺4/大谷崩を下りる・山フジ

  

今日は5月3日。

  

前投稿のつづき。

  

新窪乗越から大谷崩を下りました。

  

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↑こんな砂利道でした。

下の写真の登山道が見えますか?

下山側から見たら、右回りです。

 

Rimg1769

↑下から崩壊地を見上げました。

こんなコースを歩くこともそうはないでしょう。

いろいろな登山があります。

  

Rimg1775a

↑登ってきたところを振り返りました。

と、その時、頂上左下で砂煙があがったのを奥さんが見つけました。

黄色の〇印内です。

「崩れたんだ」

「何か落ちたのかね」「人じゃないよね」

といった会話をしました。

もう1枚撮りました。

Rimg1776a  

  

  

Rimg1770

Rimg1778

Rimg1779  

再び新緑の中を歩いてゴールイン。

無事地震もなく、戻ってくることができました。

   

梅ヶ島の「黄金の湯」に入ってから帰路につきました。

新東名の静岡ICに行くまでに、

道路の傍らで咲くでフジの花を何度か見ました。

山の緑の中で、フジは花は目立っていました。

「山フジ」と言っていいのか?

 

どこかで写真に撮りたいと思っていましたが、

道が狭いので、いいぞと思っても自動車を停めるスペースがなく

何度か断念しました。

 

ここで撮りました↓

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Rimg1790   

  

以上で山の報告を終わります。

5月2日の大谷嶺3/新窪乗越⇔大谷嶺

 

今日は5月3日。

  

前投稿のつづき。

  

「新窪乗越」・・・これを何と読むのか?

「乗越」はふつう「のっこし」と読むと思います。

「新窪」は?

なかなか読み方を見つけられませんでしたが・・・・ありました。

ヤマレコ 静かな安倍奥の深雪を進む!

「しんくぼのっこし」が正解でした。

  

新窪乗越から大谷嶺をめざしました。

  

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↑この場所は、あらかじめ他の登山者の写真を見て、

いいところだなあと思っていました。

実際に行って、あらためていい場所だと思いました。

向こう側の山塊もいい、手前の空中廊下もいい。

奥さんが先に歩いて行って、記念写真も撮りました。

Rimg1738   

雪のある時にこの写真の場所に行った人の写真も見ました。

例えば・・・※ヤマレコ 【南ア前衛の山・大谷嶺】降雪後のふかふかの雪は気持ちいい!

これまたいいんですね。行ってみたい。

その時には、大谷崩以外のコースで行こう。(理由は前投稿)

  

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↑空中廊下のアップ。

道の傍らには、バイケイソウが出てきていました。

良かったです、この空中廊下。

  

  

Rimg1743a

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↑大谷嶺に向かう稜線を歩いている時に、大谷崩を登るルートが見えました。

登っている人がいました。

黄色の〇で囲んでみました。

わかりますか?

  

砂利道も、ちゃんとジグザグになっているのがわかりました。

  

登っている人をアップで撮ってみました↓

Rimg1744  

あんな斜面を登ってきたんだあと驚きました。

あまり体験できないコースです。

  

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↑あきらめかけた時もあった大谷嶺でしたが、

いよいよ迫ってきました。この上が頂上です。

  

頂上です↓

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下調べで知っていましたが、この山の頂上で醜いものを見てしまいました。

早川町の立派な碑の「行田山」の「行田」が削られていました。

マジックで「大谷嶺」と書かれていました。

そして「大谷嶺」「2000」という看板が壊れていました。

(壊された?自然に朽ちたのでしょう!)

さらに、足元にあった「21新世紀記念」の碑も、「行田」が削られていました。

幸いにも2005年の中学生の登頂記念の碑の「行田」は無傷でした。

この頂上で「行田」はここだけかな?

  

2000年の時点では削られていなかったようです。

※参考:山の記憶 行田山↓

00080602   

「行田山」(ぎょうだやま)、「大谷嶺」

2つ名前があったっていいじゃないですか。

  

  

Rimg1749

↑山頂直下の斜面。崩れています。

  

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↑頂上からの景色。

悪沢岳と赤石岳の間のアップダウンはきつかったなあと思い出しました。

  

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↑笊ヶ岳も魅力があるなあ。奥深いところにある山です。

いつかは登るぞ。

  

Rimg1754a

↑今年の夏は、聖岳に再び登りたいです。

  

Rimg1755a

↑南アルプスの山々。ここも行きたいよ。いつになるやら?

  

下山開始。

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↑登山道のステップ(木の根)の下でしぶとく咲いていました。

葉がなかった?

何という花だろう?

  

※追記:名前がわかりました。「バイカオウレン」ですね。(5月9日記)

  

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↑別の場所に、同じ仲間の花がありました。

  

  

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↑空中廊下も見納め

  

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↑空中廊下をもう1枚

  

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↑登山道に枝が張り出していました。

これで緑に覆われたら、登山道をふさいでしまいます。

この後どうなっていってしまうかな。

安全のため、切ったほうがいいですよね。

  

  

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↑新窪乗越に戻ってきました。(つづく)

5月2日の大谷嶺2/崩壊地を登って新窪乗越へ

 

今日は5月3日。

  

前投稿のつづき。

  

新緑の中を歩いている時に、奥さんの体調に異変。

めまいがする・・・それは困った。

座り込んでしまいました。

「今日はもうダメかも」

そうか、今日は無理かあ。そりゃあ残念。

「朝ごはんが少なかったかもしれない」

ということで、おにぎりを1つ食べました。

少し良くなってきたので、歩き始めたところ、

だんだん回復して歩けるようになりました。

ホッとしました。

トレーニング不足もあったと思いますが、

やっぱりエネルギー不足だったように思えます。

登山はやっぱり過酷です。

  

  

新緑に包まれた景色は急になくなって、

いよいよ大谷崩の崩壊地を歩くことになりました。

Rimg1710

↑森林を抜けて崩壊地へ

  

Rimg1711

↑少し登って、振り返って撮影。

↓今度は前を向いて撮影

Rimg1712

↑ガレ場を登って行きました。

  

こんな崩れた場所、そして崩れる可能性のある場所を登ろうとするのは

本当にやっていいことなの?と思いつつ登りました。

ここで大きな地震があったら、

崩れて、登山者なんかひとたまりもないでしょう。

自然を甘く見た行為をしている自分でした。

神様すみません、しばらく地震を起こさないでください。

そんなことを願って登っていました。

(今回、無事に帰れました。これを特別だと思って、もう登りません)

  

  

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↑崩壊地の斜面で見つけた新芽。

木の名前をまた調べたい。

  

 

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↑だんだん崩壊地の頂上「新窪乗越」が迫ってきました。

歩いていてもガラガラと土砂が崩れます。

道はあるけど、ずれていくんだろうなと思いました。

  

  

そして新窪乗越に到着。↓

Rimg1733  

雪山が見えました。↓

Rimg1732  

登ってきた崩壊地を見ます↓

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↑黄色の〇で囲んだ場所に、「扇の要」の堰堤があります。

Rimg1731b

  

さあ、今度は大谷嶺をめざします。(つづく)

  

  

  

5月2日の大谷嶺/文学碑・扇の要

  

今日は5月3日。

  

昨日は奥さんと山に登ってきました。

登ってきたのは大谷嶺です。

大谷崩を登りたいと思っていたことを実行しました。

※関連:ここでも道草 11月3日は山伏岳その3/同じ道で下山/大谷崩れ(2014年11月5日投稿)

※関連:ここでも道草 「崩れ」/心の中は種が一杯に満ちている(2014年11月24日投稿)

  

その報告。

  

昨年11月にたどり着いた場所に再び自動車を駐車して出発しました。

少し登った場所に幸田文さんの文学碑がありました。

前回見逃した文学碑は、駐車場から少し上にありました。

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↑ あたりの森林の風景を反射して、

幸田文さんの「崩壊」の一文が書かれていました。

崩壊は憚(はばか)ることなく

その陽その風のもとに、

皮のむけ崩れた肌をさらして、

凝然(ぎょうぜん)と、

こちら向きに静まっていた。

無惨であり、

近づきがたい畏怖があり、

しかもいうにいわれぬ

悲愁感が沈澱していた。

  

どこにあるんだと思っていたので、見れて良かったです。

登山ではなく、この文学碑を見に来た人は、

駐車場から少し上がってくださいね。

  

  

Rimg1700  

↑「大谷崩は平成19年で300歳」という看板がありました。

今のようにマスコミが大々的に報じていて、

それで伝えられているわけではなく、

公文書の記述から後世に伝わるのですね。

1707年10月28日にあった宝永地震が、

大谷崩の原因だったようです。

富士山の宝永噴火の時期が気になったので調べました。

宝永地震に遅れること50日ほどで噴火があったようです。

1707年の後半は、宝永地震。宝永噴火と続き、大変だったのですね。

時の将軍は徳川綱吉。元禄時代でした。

  

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↑登山口。すみません、登山届は用意してきませんでした。

  

↓まずは新緑の中を歩きました。

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↑「扇の要」の看板。

しかし、見わたすことができないので、

「扇の要」にいるように思えませんでした。

でも看板の傍らには大きな堰堤があり、

それが高い位置から見るとよく目立ちます。

ちょうど「扇の要」の位置だと、高い位置からだとよくわかります。

(つづく)

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