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2015年3月

2015年3月22日 (日)

六条潟には行けず

  

今日は3月22日。

  

午前中は久々のサークルに参加してきました。

他の先生の発表やコメントをたくさん聞いてきました。

「やる気」をもらってきました。

サークルの最中に、自分の中に

どんどん「やる気」が芽生えてくるのがわかりました。

やっぱり動かにゃいかん、そう思いました。

今日の午後も動くぞう。

明日も明後日も動いて、3学期を上手に終えたいと思います。

  

   

サークルに行く前に、予告通りに「六条潟」に行こうとしました。

ここでも道草 15日に縁のあったふきのとう、アシタバ、アサリ(2015年3月16日投稿)

  

30分もあれば、六条潟を十分見ることができると思っていました。

甘かった。

地図を見てください↓(地図の上が北です)

Photo  

最初は南側のコースで堤防に行こうとしました。

しかし、A地点で次のようになっていました。

Rimg1006   

「関係者以外立ち入り禁止」の表示。

自分はきっと関係者ではない。だから入れない。

なぜ?せっかく社会科の勉強で見学に来たのにダメなの?

堤防はすぐそこにあり、その向こうには六条潟があるのに、

この表示の前で断念しました。

次は総合体育館前に駐車して、

シーパレス付近から迫れないかさぐりましたが、わからず。

次は北に回って、B地点に行きました。

その場所での写真です。

Rimg1008   

これ以上堤防を進むことはできませんでした。

  

結局、六条潟は見ることができませんでした。

甘かった。下調べ不足でした。

また次の機会に挑戦しよう。

  

  

  

2015年3月21日 (土)

引用の引用「森毅さんの名言」

  

今日は3月21日。

  

前投稿のつづき。

  

「教材・教具のネタ帳」から引用します。

教材・教具のネタ帳

  

最新の3月20日の投稿から引用です。

  

今日は、勤務校の卒業式でした。

特別支援学級の担任としては、不満が多い1日でした。

  

どうしました?何がありましたか?

  

3月17日の「森毅さんの名言」を引用します。

  

「学びは人間関係の中で成立します」聞き流したくない森毅さんの名言(18文)


☆ 「学びは人間関係の中に成立します」

☆「ムリやムダを省いて答えを出そうという、効率主義の教育ではだめです」

☆「分からんことを楽しむのも、立派な能力です」

☆「正しさは伝わりません。楽しさはうつります」

☆「学力低下が社会問題になってますが、本当に大事なのは、

学力がなくとも 何とかする力をいかに育てるかです」

☆「 今の教育で何より必要なのは、どんな不確定な変動にも、

ツブシの利く人間を育てることでしょう」

☆「違うことはいいことだ。アハハって面白がってればいいのよ」

☆「失敗しても、またやり直したらええやんか」

☆「最近の人は、予定表に空白があると落ち着かへん

『空白脅迫症』みたいなのが多いね。

山登りでも、すぐ目的地へ行きたがる。

僕は、山の上へ無駄なく行くより、谷の方でデレッとしてるのが好きなんや。

そうするとね、シャキシャキしてたのでは見えないものも見える時があるよ」

☆「若いうちから、もっとムダせい、言うの。

ムダがどれだけ身につくかで、教養が広がるんやからね」

☆「即戦力なんて、自分を食いつぶすからね。

あんまり即戦力になると、時代が変われば途端についていけなくなるからな。

時代の変わり結構早いからね」

☆「60パーセントぐらい幸せだったら、

相当に幸せだと思うことにすればいいと思うよ」

☆「新しいことを始めるには優等生だけではだめ。

突拍子もないことを言い出すのは、たいていはスカタンですわ」

☆「エエカゲンがおもしろい」

☆「まあ、ええやないか」

☆「ぼちぼちいこか」

☆「元気になれ、がんばれというメッセージが多すぎる」

☆「予定通りの人生なんて、そうあるもんやないよ」

確かに聞き流したくないです。 

  

☆ 「学びは人間関係の中に成立します」

まずは、人間関係。最近の自分の考え方を後押ししてくれます。

  

☆「正しさは伝わりません。楽しさはうつります」

教師は影響力がなくてはなりません。

子どもたちにどのように影響していくか?そのヒントになります。

  

☆「学力がなくとも 何とかする力をいかに育てるかです」

そのためには、アイデアと根気、そして笑顔。

これって、自分の信条だ。自分にも言い聞かせ、子どもたちにも目指させたい。

でも教師としては学力をつけさせたい。そこは諦めない。

学力を身につけたいという意欲もつけさせたい。

  

☆「失敗しても、またやり直したらええやんか」

たくさん失敗してきた身には、心にしみる言葉です。

ありがとうございます、と起立してお辞儀して言いたい気持ちです。 

おかげさまで、またやっています。

過去は思い出さず、今を見ようとしています。 

 

☆「エエカゲンがおもしろい」

たまにはこの考え方で、自分を救いたい。 

  

  

時々は、こういう言葉に触れたいです。

機会を与えてくれたブログ「教材・教具のネタ帳」に感謝。

作戦は成功している/検索したら2・3番目の候補

  

今日は3月21日。

  

「教材・教具のネタ帳」

とても参考になっていて、ありがたいブログなのに、

お礼のコメントをうつことができず。

とにかく向こうからの情報は受け取れますが、

こちらからの情報・連絡ができない状況です。

ブログの作成者は、同じ県内の反対側(西側)の方で、

同業者、それも同じ特別支援学級の担任であることもわかっています。

インフォメーションでこう書いています。

  

WEB上には、たくさんの教材・教具が紹介されています。

そこで、日頃使っている教材・教具や

参考にさせていただいているホームページなどを紹介していきます。

ここのネタ使えたよ、みたいなブロクになればいい思っています 。

  

そのインフォメーション通りになっていますが、

作成者さんにも言いたいのですよ、「このネタ使えたよ」と。

コメントがうてるようにしてほしいです。

  

私のブログで、「教材・教具のネタ帳」のことを何度も書いておけば、

作成者が何かの機会に検索した時に「ここでも道草」が

ヒットするかなと思いました。

その作戦はうまくいったようです。

「教材・教具のネタ帳」とうって検索したら、出てきました!

Photo  

2・3番目の項目に「ここでも道草」が登場です。やったね。

いまに作成者の目に触れることでしょう。

連絡を待っています。

  

  

そんな、気になっているブログ「教材・教具のネタ帳」から

次の投稿で引用したいと思います。

20150310報告8/参観授業でもふだんの授業ができるように

  

今日は3月21日。

  

前投稿のつづき。

  

協議会に出てきたことで、記録しておきたいことを書いていきます。

  

キミヤーズ塾でも、創作漢字作りの発表で、

思いつかずに行き詰まった子ども役の人がいました。

苦しんでいました。頭が真っ白になったと言っていました。

今回の参観授業でも、発表者が行き詰まって泣いてしまった子どもがいました。

どちらも、ほかのたくさんの人達が見ている状況で、

どうにかしないといけない場面なので、そうなってしまうのでしょう。

後で聞くところによると、その子は参観授業では泣くことがあるそうです。

したがってふだんの学級メンバーのみの授業では、

追い詰められずに、ほどよく緊張して創作をするのでしょう。

ちゃんとやらなければという気持ちが、焦りも生み出し、

いつもなら考えられることでも、頭を真っ白にしてしまうのかもしれません。

  

協議会では、行き詰まりながらも、粘り強く考え発表した子どもが、

賞賛されました。私もやりきったことにすごいと思います。

やりきったことで、その子の実力もアップしたと思います。

その子にとって、意義ある時間だったと思います。

また行き詰まった子どもの回復の時間を稼ぐために、

担任の先生が行ったアドリブのフォローは、教育技術の高さを感じました。

したがって学者参観授業を否定するものでは全くありません。

しかし、参観者がいなかったら、すんなり流れた授業だったかもしれません。  

  

授業を提案するなら、他の先生たちに見てもらわなくてはなりません。

でもふだんと違う環境で、子どもたちの様子が変わります。

私の学級でも、参観者があると表情がなくなってしまう子どもがいます。

授業がいつもどおりに進まなくなります。

特別支援学級の参観授業は、子どもの人数が少なく、

環境の変化に対応する力が弱いと言われることから、

ふだんと違う授業になる可能性が高いのでは。

  

それを防ぐために・・・・

参観者が気にならないような夢中になれる授業内容にする。

発表型授業をやめる。

発表型授業をたくさんやっておいて、

子どもが参観者のいる状況に慣れさせる。

自分でも陳腐?な考えしか浮かびません。

  

  

  

提案をする授業をするなら、

いかに参観授業で子どもたちの実力がそのまま出るか

作戦を考えないといけないなあと思いました。

  

村上先生も、授業の反省で、

泣いてしまうのを何とかできる上手い手を考えてみたい、

難しい課題であり、1年以内に考えつくように努力したい、

と書かれています。簡単ではないのです。

でも村上先生には、何か浮かんでいるようです。

解決のキーポイントをすでにあげておられました。

「教具と愛」です。

村上先生の実践が楽しみですが、他力本願にならないように、

自分でも実践をしていきたいと思います。

20150310報告7/聞きなれない言葉「足場かけ」「いちびる」

  

今日は3月21日。

  

19日の記事の続きです。

  

参観授業後の協議会で、2つ聞きなれない言葉がありました。

  

「足場かけ」

これは「日本語教師のページ」というサイトをまず読んでみました。

日本語教師のページ 用語検索 スキャフォールディング

村上公也先生のお話の中によく出てくる 

ヴィゴツキーの発達の最近接領域説が出てきました。

次のような説明でした。

  

ヴィゴツキーが唱えた発達の最近接領域説では、

大人(養育者、教師、指導者など)や、

より発達の進んだ他の子ども等による、

適切な指示、援助を与えること(足場を作ること)の

重要性が示唆されている。

スキャフォールディング(足場かけ)は、

指導する側に決まったスケジュールがあり、

その通りにやらせる、というものではなく、

指導者が、子ども(学習者)が今どういう状態にあり、

その発達の最近接領域がどこにあるのかを見極めて、

最良の環境を与えることを指す。

具体的には、子どもが自分でできるところについてはあまり介入せず、

子どものできないことを補い、発達を手助けすることであり、

それによって遂行できるレベルの課題が与えられた時、

子どもの発達はおのずと起きるとされる。 

  

「足場かけ=発達の手助け」と単純にしていいかな。

特別支援教育と関係して「足場かけ」について書いたのが次のサイトです。

レデックス株式会社 学びの三つのアイデア

  

足場かけ Scaffolding(スキャフォールディング)

意味は、高いところにあるものをとるための「足場」をかける(おく)こと。

発達障害や知的障害の子どもたちの学びや発達を促すために

もっとも大切なアイデアです。

(中略)

足場かけは、Assistive Technology で実現が可能です。

声が出せない子が、絵を選んで、

自分の代わりに声で意思を伝えるVOCA(ボカ)は、

声を使った会話ができることの便利さを

その子に知ってもらうのと同時に、

場面ごとの音声表現をだんだん身につけるための、

よい足場になると思います。

認知機能は、終生、発達し続けます。

ましてや発達途中の子どもたちは、どんどん成長を続けます。

子どもたちがいろいろなことに興味関心をもち、

それができるようになりたいと意欲をもち、

実際に使ってみて、できるようになるために、

ぜひ、これらの3つのアイデアを活用していただければと思います。

※「3つのアイデア」とは、本物性、内省、そして足場かけでした。

  

この引用した文章も気になります。

興味関心を持たせて、実際にやるように仕向けて、できるようにさせる。

これって、「その気」にさせて「やる気」に持っていく村上流ですよね。

(村上龍ではない)

支援では終わらない。

その支援がなくてもできるようにしていくのが教育の方向です。

支援をなくしていく教育。村上先生の言っていることです。

    

  

引用文でわからない言葉を調べてみました。

「Assistive Technology」=

やってみたいという思いを実現させるための技術。

支援技術。障害を持つ人々を支援するための技術全般。

「VOCA(ボカ)」=

Voice Output Communication Aids の略。

音声出力型のコミュニケーション装置のことをいう。

  

  

協議会で当たり前のように出てきた「足場かけ」

その場で聞けずに、今頃調べました。次は大丈夫。

  

  

もう一つの聞きなれない言葉は、「いちびる」です。

これはすぐに近くの人に聞きました。

「ふざける」「調子に乗る」という意味だそうです。

関西弁のようです。

2015年3月20日 (金)

直前に割印を押した

 

今日は3月20日。今日は卒業式。

  

担任をしている特別支援学級でも、一人卒業していきました。

いい別れができました。

その子に対して頑張ってきてよかったと思いました。

やっぱり、教育は、最後まで頑張って、

最後の日に報われるのだと思いました。

卒業式になると毎回思っていたことを、今回も感じました。

   

  

今回は証書に割印を押すことを直前にやっていて焦りました。

すっかり忘れていて、昨日、もう一人の係の先生と押しました。

直前なので失敗が許されず、

印の向きなど何度も声に出して確かめて押しました。

全部押した時は、疲れました。

今日、子どもたちがその証書をもらっているのを見て、

安堵の気持ちでした。

来年もその係になる可能性があるので、来年の予定表に書き込んでおきました。

  

2016年3月1日の欄です。

「そろそろ卒業台帳・卒業証書の割印をスタートさせたい」

  

余裕でしょ?

うまくいったら、1年後のブログに書きます。

 

2015年3月19日 (木)

20150310報告6/三脚、面白がってくれる他者、小学校では習わない漢字

 

今日は3月19日。明日は卒業式。

  

16日のつづき。

  

3月10日に学者参観授業に参加するにあたり、

頑張って購入したのが「三脚」です。

ずっと買おうと思いつつも、引き伸ばしてきたもの。

この授業の参加を機会に、踏ん切りました。

Rimg0973_2 ↑昨日、学級で行った「お別れ会」でも三脚は活躍しました。

  

3月10日の参観授業もしっかり録画しました。  

その映像を昨晩見直しました。

  

村上公也先生が、子どもたちに絵本を初めて見せる時が

うまいなあと思いました。

「お利口さんの正直者じゃないと読めない字で書いてる絵本だよ」

「ほらあ」

  

子どもたちの反応がよかった。

すかさず「読めた~」でした。

  

この雰囲気は、文章で表現できません。

  

  

授業では、絵本を見ながら子どもたちが自由にお話を語るところがあります。

その時に大事なのは、語り手以外の子ども達と、

担任のF先生だと思いました。

  

「へえ」「ふうん」「面白い」「頑張れ」

という声が飛びかい、時には語っている最中に質問が出ます。

発表者は、その質問にも答えることで加速して、お話は進めていました。

F先生も盛んに相槌を打ちつつ、「~~はこの後どうなっていくのでしょう?」

と話を整理しながら、次を促していました。

カチンコもどんどん使っていました。

お話が終わると、子どもたちは挙手して、順番に感想を言っていきます。

お話に対してのこれらの反応の良さが、

創作意欲をかきたてるのでしょう。

キミヤーズ塾で赤木先生が言っていた「面白がってくれる他者」です。

ここでも道草 20150228報告8/「面白がってくれる他者」が創発の手助けをする(2015年3月5日投稿)

それを生で見ることができた授業でした。

  

漢字の出会わせ方も勉強になりました。

こちらが用意した順番で学年の漢字を示すのではなく、

子どもたちの発言の中から漢字を出してきます。

どのような漢字が出てくるかわかりません。

今回は「跳」「猫」「浦」といった漢字が出てきました。

これらは全て小学校では習わない字です。

でも出会わせちゃいます。

このあたりは、枠のない伸び伸びした授業だと思いました。

(もちろん、学年の漢字を教える授業があることが前提です)

やっぱり漢字はドンドンで出会わせて漢字の良さ、楽しさを感じてほしいですね。

子どもたちは、絵本のタイトルを考えていて、

教師が提案したタイトルが長すぎるから、

「漢字にしよう」と言っていました。

漢字慣れした子どもたちだと思いました。

漢字が1字でも意味を表現できる特性を十分知っていました。(つづく)

2015年3月16日 (月)

15日に縁のあったふきのとう、アシタバ、アサリ

  

今日は3月16日。

  

昨晩(15日)の夕飯はちょっと特別でした。

「ふきのとう」と「アシタバ(明日葉)」の天ぷらでした。

「ふきのとう」は奥さんの実家産です。

毎年頂いています。大好物です。

「アシタバ」は家の裏で栽培しているそうです。

全然知りませんでした。

今が旬なのだそうです。

最近はダイエットのためにご飯を少なめにしていましたが、

昨晩は食が進んでしっかりと食べました。

  

  

15日朝の放映「さわやか自然百景 愛知 六条潟」は勉強になりました。

まずは、愛知県がアサリの漁獲高日本一だと聞いて驚きました。

そうだったのですね。

Rimg0956

Rimg0955

Rimg0957  

豊川(とよがわ)の河口左岸にあるのが六条潟。

ここにはたくさんのアサリが生息しているそうです。

Rimg0954   

なぜアサリがたくさん生息しているのか?

理由の一つとして、砂粒の大きさをあげていました。

  

Rimg0953  

干潟にいるアサリを持ち上げると、こうやって砂粒がついてくるそうです。

これってどういうことだと思いますか?

想像もつきませんでした。

アサリは透明な糸を出して、砂をつかんでいるのだそうです。

その理由は、波に流されないためです。

そのため、この糸のことを「固定糸」と言うそうです。

※固定糸についてはこのサイトを参考にしました↓

東京湾の漁師 東京湾海人の日記 アサリの糸part2

つかむのにちょうどいい砂が六条潟には豊富にあるのだそうです。

  

こういう番組を見ると実物を見たくなります。

サークルをやっている場所から近い場所に六条潟があります。

ぜひ行ってみたい。

そのついでにアサリを持ち上げて、固定糸を見てみたいですね。

その時には、ブログに書きます。

20150310報告5/教科について 表現によるコミュニケーション

  

今日は3月16日。給料日。

  

前投稿のつづき。

村上公也先生の指導案「教科について」を引用しています。

次の文章も過激です。

  

「次の文章の要旨を30字以内にまとめよ」というような課題は,

言葉による文章という断片的な表現を

別のいっそう断片的な説明に変換する作業にしか過ぎない。

従来の教育が,こんな学習ばかりさせてきたから,

本当に大事なものが抜け落ちてしまっているのではないだろうか。

いくら説明できることが増えたとしても,

リアリティがないと充足感には至らない。

だから説明できても,そのことを主体的に

生活に生かすことにはつながらないのだ。

表現することへの意欲や喜びにはつながらない。

  

  

要旨をまとめよという課題に対して、疑問に思ったことはないと思います。

厄介だけどやらないとなあと思って、自分もやってきたし、

子どもたちにも課してきました。

特別支援学級担任になってからは、子どもたちには難度が高いと判断して、

省略していました。

表現することへの意欲や喜びにはつながらないと確かに思います。

しかし、要約する力はいるのか?

あまり今まで考えてこなかったこの課題について考えさせられています。

  

   

自閉傾向のある子ども,特に発達に遅れのある子どもは,

名前と決まりきった定型文しか書けないとか,

自分の思いや想像を文字や言葉にできないとかの理由は,

想像性の欠如という特性からきているというのは,

明らかに間違ったアセスメントである。

このような考えは,文字を教えたら,

それだけで自分の思いや想像を文章にできるという

短絡的な考えからきている。もう笑うしかない。

   

  

「もう笑うしかない」という言葉は、普通の指導案には出てきませんよ。

村上先生の文章はさらに続きます。

大人でもハッとさせられる文章に関してです。

  

  

読んだり書いたりした借り物の「正しい」形式的な話や文章が,

自分の思うすべてだと思い込んでしまうようなことがあってはならない。

オリジナルの思いや想像は,言葉や文字に縛られない

際限のないほど広く豊かなものであるはずなのに,

読んだり書いたりできる技術の範囲内に閉じ込めてしまってはならない。

月並みなフレーズの借り物の「正しい」形式的な話や文章の学習を

繰り返し教えられているうちに,

それが本当の自分の思いや想像だと勘違いしている子どもは

多いのではないだろうか。

たぶん,そのような教育を受けきた大人も多いと思われる。

形式的な「正しい」ことよりも,

自分が自分たり得るオリジナリティ,想像性,創造性が重要である。

そして,それを表現することである。

また,そこで起こる表現者同士の相互作用である。

この魂の交信ともいえる重要なコミュニケーションを

月並みで俗っぽい「正しい」という範囲に限定してはいけない。

  

   

ブログを書いて表現している身には、この言葉はグサリときます。

何かを見たり体験して思ったことを、ブログ上で表現したいと思った時に、

はたして十分に表現しているかどうか?

どこかで誰かが書いていたようなフレーズで終わらせていることもあるなあ。

そう反省します。

この「教科について」の文章のように、思いがストレートに出ていると、

書いた人の気持ちがよくわかります。刺激的です。

そして「教科について」のまとめの部分です。

  

説明は,客観性や正確さが要求され,表面的に理解はできたしても,

その根底にある精神は伝わらない。

説明の域では,本当の意味で説得力がない。

当然,手応えも実感もない。

説明ができるようになったとしても,

本当の意味でのコミュニケーションは成立しない。

「正しい」とか「正しくない」という陳腐な枠を超えて,

自分の心の内の自分のオリジナルな世界を何とかして表現すること,

その表現が他に及ぼす影響を感じ取ることこそ,

最も重要なことだと思う。

つまり,表現している時,一部自分も受け取る側にもなるのだ。

また,他人の表現を受け取る側になった時は,

同時に一部表現者に立った視線を持つこともできる。

この状況がまさに表現によるコミュニケーションであり,

伝達を前提とする説明などとは,まったく違うところなのである。

  

  

村上先生の「表現」に対する考え方は、美術的なのでしょうか?

右脳的なのでしょうか?

型に頼らず、思いを表現することは、

評価をしないといけない教育の世界では、

そういう領域はあるよなと感じつつも、

遠巻きにして近づかなかった領域でもあると思います。 

私自身も教育されてこなかったし、教育してこなかったことです。

何回も書いてきたように、村上先生の「発想と実行力」はすごいです。

それって「表現」しているんだよなあとふと思います。

こうすれば面白い、こうすればいいぞと思ったことを、

既成概念にとらわれずに表現したいろいろな教育手法が、

他の先生をうならせると思います。説得力があると思います。

  

   

この「教科について」をこうやってブログ上に転載したことで、

また読み返すこともあるでしょう。

何回も読んで理解していきたいし、他の人の意見も聞いて、

理解を深めていきたいと思う。

とても過激で刺激的な「教科について」でした。

  

 

2015年3月15日 (日)

20150310報告4/教科について 勧進帳

  

今日は3月15日。

  

前投稿のつづき。

  

村上公也先生の書かれた指導案の中の「教材について」は魅力的です。

村上先生の思いがバンバンに出ていて、読んでいて楽しい。

こういう「教材について」は、指導案検討会で修正されやすい。

研究テーマに沿っていないとか、教科の目標がどうのこうのとか・・・・。

学習指導要領も出てきて、「教科については」は平穏な文章になってしまいます。

  

しかし、村上先生の「教科について」は村上先生の思い優先です。

過激です。

読む人に、どう思う?と提案してきます。

  

書き出しはこうです。

 

この授業は,子どもにウソをつかせる教材である。

一つ目のウソは,カンニングさせて指導者を出し抜くのである。

子どもたちにとってウソは蜜の味である。

子どもたちはそれだけでワクワクする。

これは,写し書きしかできない子どもに

文字の形を必然的に一旦記憶させるための方略である。

  

 

「覚える」とは、こういうことかと教わったのは村上先生でした。

2013年11月24日のことでした。

ここでも道草 11月24日の講座3/漢字を覚えるということ

ノートに何回も書いて覚えるだけではない、

別の発想の覚え方です。

他の場所に書いてある漢字を覚えて、それを戻ってきて再現する仕組み。

上記の「カンニング」は、その発展系と言えます。

でも基本は同じです。

子どもをその気にさせて、学習に取り組ませる村上先生のやり方です。

  

  

もう一つのウソは,字のない絵本を読ませるのである。

歌舞伎で,弁慶が「勧進帳を読んでみろ」と言われて,

白紙の巻紙をさも本物らしく読み上げていく場面を

思い出していただきたい。

でも白紙のノートを持たせて想像を膨らませて

読む真似をしろと言っても,無理がある。

子どもたちの想像を掻き立てる映像が必要である。

かといって写真や写実的な絵を見せて,

お話をしろと言っても,それは単なる映像の説明に過ぎない。

写実的な絵ではなく,抽象的で曖昧な映像の絵本を与えると,

それを媒体としてオリジナルの思いや想像を

自分なりの言葉で表現するようになる。

そのウソは子ども達の実際の生活経験を元に

ひねり出されたものなのである。

子どもたちの手垢のついた人間臭いストーリーが展開する。

だからこそ子どもたちの存在自体を表現すること,

互いの人格の表現を交換し合うのである。

私は,むしろこのウソの作り話にリアリティを感じる。

これを取り留めない思いや空想として,切り捨ててしまったら,

子どもたちの発達のバランスは崩れるのではないだろうか。

  

  

「子どもたちの存在自体を表現すること」

「互いの人格の表現を交換し合う」

このことができたら、村上先生の言う本音での交流ができるのでしょう。

その結果、強固な人間関係が形成されるのだと思います。

そのために、「抽象的な曖昧な映像の絵本」を用意する発想と実行力。

新しいものを作っていく「発想と実行力」が村上先生の魅力だと思います。

この授業でもそうでした。

思いついただけでなく、実現してしまうんだよなあ。

「もうひとりの自分」実践みたいに。

※参考:ここでも道草 11月24日の講座/もうひとりの自分

  

  

弁慶が勧進帳を読む場面を思い出していただきたいと書いてありますが、

私には思い出す記憶がありませんでした。

したがって今回調べてみました。

次のサイトが参考になりました↓

松本紀保の芝居散歩 勧進帳とはどんなお話?

  

勧進帳とはそもそも、寄付をお願いするための文言が書かれた

帳簿(まき物)なのだそうです。

弁慶がウソで話した内容は、次のようなものだそうです。

上記サイトから引用します。

  

ざっくりとした内容は

「昔、聖武皇帝が妻と死別し悲しみにくれその思いを

蘆遮那仏を本尊とした東大寺を建立された。

しかし平家によって焼失してしまった。

それを悲しみ、俊乗房重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)は、

帝に願い出で再建のために諸国を手分けし寄付を募っている。

わずかな施しであっても寄付をした者たちは

現世では比べようもなく豊かで誇りある人生であり、

来世では数千蓮華の花の上に座ることができるであろう。

仏の救いを信じ身命を投げ出し、敬って申し上げる。」

  

白紙の巻物を見ながら、このような内容をアドリブで弁慶は言ったのです。

素晴らしい。

  

映像を見たくなりました。

これなんかどうでしょう↓

十二代市川團十郎襲名の勧進帳
YouTube: 十二代市川團十郎襲名の勧進帳

  

1分すぎあたりから「勧進帳読上げ」の場面。

何といっているのかよくわかりませんでしたが。トホホ。(つづく)

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