« 2011年12月 | メイン | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月 8日 (日)

ドラマ「とんび(前編)」が良かったよ


今日は1月8日。

今晩は、NHK大河ドラマの「平清盛」が始まります。

楽しみです。

この番組で、私みたいに歴史好きが増えるかどうか。

私は「国盗り物語」(1973年の大河ドラマ)ぐらいで歴史好きになりました。

いろいろな場面で、子どもたちに声をかけたい。

   

昨晩のNHKドラマも良かったですよ。

とんび(前編)」  重松清原作 午後9:00~10:15放映でした。

堤真一のはまり役?

昭和のお父さん役でした。

男の子を授かったのですが、

子どもが3歳の時に奥さんは事故死。

男手一つで子どもを育てていくドラマです。

大声で、不器用で、人情味たっぷりのお父さんがいいなあ。

男って、やっぱりこういう生き方が根本的には好きなのではと思える動きです。

涙するシーンがいくつもあり。

   

冬休みがもう終わってしまいますが、1本だけ映画を見ました。

プリンセス・トヨトミ」(2011年)です。

大坂夏の陣で、秀頼の息子国松が生き延びたとしたら・・・・・という仮定の映画。

それだけで魅力的。

そして同僚の先生が、エキストラで参加したと聞いて、より見たくなりました。

RIMG0003

どこで出ているのと聞いたら、上の写真の場面だとのこと。

黄色の服を着ていた。

ヘルメットをかぶった人のすぐ近く。

そんなヒントをもらっていましたが、わかりませんでした。

この映画でも堤真一が主役を演じていましたが、

「とんび」があまりによくて・・・・吹っ飛んでしまいました。書くことないです。

   

とんび(後編)」は、次の土曜日の晩です。   

 

知多半島の行き帰り・・・吉良上野介ゆかりの場所

   

今日は1月8日。

前投稿のつづき。

   

知多半島の帰りに、西尾市の吉良に寄りました。

ここは忠臣蔵で有名な吉良上野介ゆかりの場所です。

同じ県内にありながら、行かずにいた場所です。

   

始めに「西尾市吉良歴史民俗資料館」に寄り、

その後吉良家菩提寺「華蔵寺」へ。

RIMG0590 
   

RIMG0582
吉良上野介のお墓です。

その向こうの建物には、あの有名な像が安置されているようです。

今回は見ることができませんでした。

Kirayosihisakonomokuzo
http://www.city.nishio.aichi.jp/nishio/HAZU/kira/pub/kyouiku/bunkazai_ichiran/ken/kirayosihisakonomokuzou/index.html   

 

RIMG0577 RIMG0585
これらの文を読むと、吉良上野介はお話を面白くするために悪人とされたんだよなと思います。  

吉良上野介の善行の一つ、「黄金堤」も見てきました。

RIMG0591 RIMG0592
   

白瀬南極探検隊長のお墓も近くにあるそうですが、

そちらは行きそこねました。また今度。

   

一度家に帰り、再び息子が練習しているグランドへ。

しばらく見て、片づけを手伝い、練習がすんだ息子と帰宅しました。

7日は、そんな1日でした。   



   

 

知多半島の行き帰り・・・DVDを聴いていました

   

今日は1月8日。

前投稿のつづき。

   

知多半島に軍人像を見に行った行き帰りのこと。

自動車を使って行きました。

その車のなかで、DVDの音をかけていました。

先日手に入れたばかりの、下の写真のDVDです。

新学期を始めるにあたって、勉強になりました。

高崎で両先生の話を聴いてきたばかりで、

その時の話ともつながって、深く理解できた気になっています。

何度も聴けるのもいい。

   

RIMG0481

「学級づくり チャリティーセミナー 金大竜先生/土作彰先生

2011年3月26日 大阪市立聖和小学校」
   

※一滴の水が落ちて、反射的にすっと拭いたら、汚れてしまいました。

残念。

1000円以上を送金すると、届けてもらえます。

送料以外は、寄付金になるそうです。

  

このDVDを手に入れたい場合は、金大竜先生のブログへ。

「日本1ハッピーな学校を作ろう/チャリティーセミナーのDVD」html

   

その他、カヤからは魅力的なDVDがたくさん販売されています。

1枚3000円は、ありがたい。

「明日の教室DVDシリーズ」(カヤ)htm 

2012年1月 7日 (土)

知多半島へ・・・兄弟と思われる軍人像

  

今日は1月7日。

前投稿のつづき。

   

こんな像もありました。

RIMG0547

一つの台座に、2人の軍人像。

姿、形がよく似た2人です。

兄弟なのかな?それも双子?

   

台座に彫られた字を見ましたが、判読が難しい。

RIMG0549
   

名前と思われるところの溝に指先を入れて、なぞって確かめました。

向って右側。「鈴木好彦之像

向って左側。「鈴木辰夫之像

おそらく兄弟でしょう。

2人を一度に失った親の気持ちを思うと・・・・

こんなために育ててきたわけではない、

自分たちは生き残ったのに、子どもがいない。

子どもと過ごした日々を思い出し・・・・・

断腸の思いというのでしょう。

   

   

30分余り、軍人像の傍らで過ごして、帰路につきました。

冬休みだからできることをやりました。

知多半島へ・・・文字が判読できた軍人像


今日は1月7日。

前投稿のつづき。

  

若くして死んだ兵士たち。

さぞ無念だったでしょう。

遺族は、若くして死んだ息子(夫)の無念さを思い、

現世に息子(夫)の存在の証を残したいと考えたのでしょう。

セメントの軍人像には、制作にかかわった遺族の思いもこもっているように感じました。

でもその人たちも、今はこの世にはほとんどいないことでしょう。

   

遺族が残した文字が、軍人像の台座にあります。

しかしもうだいぶ風化して判読が難しいです。

ひとつ顕著に残っているのがありました。

   

RIMG0542

中央の像です。

    

正面

故陸軍歩兵伍長 勲七等 功七級 梶田勇之像

向って右側面には経歴。

左側面。

RIMG0541

昭和十二年九月七日 上海呉淞鉄道倉庫付近 小吉浦ニ於テ戦死ス 

享年二十五才」(後略)

   

前々投稿に載せた説明板によると、上陸したのは8月23日。

梶田勇伍長は、2週間生き延びたのに、戦死してしまったのです。

半月でほぼ全滅してしまったと言われる名古屋第三師団歩兵第六連隊。

その一人だったのです。

仲間がたくさん死んで、いつ自分の番になるかと恐怖だったろうなあ。

RIMG0536
梶田勇伍長

  

(つづく)

知多半島へ・・・軍人像の顔のアップ

   

今日は1月7日。

前投稿のつづき。

   

軍人像は、写真を見て浅野祥雲氏が制作したを書きました。

私が今回やってみたかったことが、その軍人像の顔写真をたくさん撮ることです。

この人たちが、昭和12年に上海上陸作戦に加わり、

中国人の攻撃で命を落とした人たちだと、

このブログで紹介したいと思っていました。

載せます。

RIMG0524

RIMG0525

RIMG0526

RIMG0527

RIMG0528

RIMG0529

RIMG0530

RIMG0551

RIMG0552

RIMG0553

RIMG0555

RIMG0557
  

   

本人は、こんな姿で後世に残りたくないと思っているだろうなあ。

何より、生きて日本に戻りたかったことでしょう。

12月に読んだ「上海敵前上陸」でえがかれた兵隊の気持ちが浮かびます。(つづく)

知多半島へ・・・軍人像と対面

   

今日は1月7日。

前投稿のつづき。

   

中之院に足を踏み入れました。

人は誰もいませんでした。

そして軍人像を生で見ました。

   

RIMG0521軍人像全体

RIMG0565

RIMG0510右半分

RIMG0511左半分
   

   

この軍人像については、以前の投稿でも説明しました。

しかしその場に設置されてる説明板の内容が詳しくてよかったです。

RIMG0522説明板
    

本当はこの文章をここにうちたいのですが、少々時間がありません。

また後日。

このセメント像の作者は、浅野祥雲(あさのしょううん)氏。

1891年生まれ~1971年没。

1937年(昭和12年)の上海上陸作戦でのおびただしい戦死者。

その遺族に依頼されて、写真を見て制作した軍人像。

制作期間は1937年~1943年だそうです。

したがって最も新しい像でも、制作してから70年近くの月日が流れているわけです。

制作にかかわった人たちもほとんど今はこの世にはいないことでしょう。

でも像は残っています。数が多い!そして顔がリアル。

全員が私を見ているようです。魂が入っているようです。

年月が経てば、さらに存在感を増しそうです。(つづく)

知多半島へ・・・中之院を見つけた

  

今日は1月7日。

今朝は息子を、野球チームの練習グランドに送り、

テントをたてたりする準備を手伝いました。

その足で、知多半島の先っぽまで行ってきました。

目的は、南知多町の中之院(なかのいん)にある軍人像を見るためです。

※参考:12月17日の投稿「知多半島中之院の軍人像/上海上陸作戦」html

    

思ったより順調に自動車は進み、2時間余りで中之院に着きました。

中之院はすぐにわかりませんでした。地図になかったからです。

現地でスマートフォンで調べて、岩屋寺の近くだと判明。

岩屋寺は地図にありました。行ってみたら立派なお寺でした。

中之院はそこから歩いて数分の場所でした。

(下に地図を示します。地図中の岩窟寺とあるのが中之院です)

   

「たぬき寺」と言われるだけあって、あちこちにたぬきの置物がありました。

門も、なんか古くて、人間ではなくてたぬきが管理している雰囲気でした。

夜はちょっと薄気味悪そう。

RIMG0567
   

でも門の向こうには、さっそく目的の軍人像が見えました。

いよいよ本物との対面です。(つづく)

 

2012年1月 6日 (金)

リチャード・トレビシックは蒸気機関車を製作

  

今日は1月6日。

昨年使っていた日めくりより。

   

EPSON048
   

リチャード・トレビシック。イギリス人。

1804年に蒸気機関車を製作しました。

この人の孫が日本に関係していました。

   

孫の一人、フランシス・ヘンリー・トレビシックは1876年に来日、

主として官設鉄道新橋工場の汽車監察方などを歴任して、1897年まで在勤しました。

日本で日本人女性と結婚、1904年に退職帰国しました。

兄のリチャード・フランシス・トレビシックも機関車技術者であり、

1888年に来日、主に神戸工場の汽車監察方などを勤め、1904年まで勤務しています。

兄弟とも、日本の機関車技術の向上と定着に大きな役割を果たしました。(Wikipediaより)

   

この2人のように、幕末・明治期に、

欧米の先進技術や学問、制度を輸入するために雇用された外国人のことを

お雇い外国人」「お抱え外国人」と呼びました。復習、復習。

   

もう一つ面白いことを知りました。

2011年4月13日、リチャード・トレビシック生誕240周年を記念して、

Googleイギリス版のホームページのロゴが特別バージョンとなったそうです。

Trevithick11-hp
   

イギリス人はちゃんとわかっているんだ、この人のこと。

何かホッとしました。いいぞ、イギリス人。

    

     

    

日めくりから勉強がまた広がった。

 

テレビで勉強・・・カムチャツカ半島の名峰クリュチェフスカヤ

   

今日は1月6日。

今年もテレビを使って子どもたちの好奇心をどんどん広げたいと思っています。

そのためには教師がどんどん番組を見ていきたいです。

   

新年、最初に録画した番組は、

1日午前4時から放映された「世界の名峰 グレートサミット クリュチェフスカヤ」です。

カムチャツカ半島にある火山。

活火山としてはユーラシア大陸最高峰の4750m。しかし噴火のたびに標高は変わります。

富士山を彷彿させる山容が素晴らしい。

引退したら・・・引退した時の体力では登れないかもしれませんが、

この山に登りたいと思いました。

噴火あり、氷河のクレバスあり、落石ありと危険たっぷりの山ですが、

本当に姿が美しい。

いくつか番組を撮影した写真を載せます。大判で。

RIMG0494山1

RIMG0495山2

RIMG0496山3

RIMG0497山4 隣の山カーミン

RIMG0498山5

RIMG0500山6

RIMG0501山7

RIMG0492山8
 

どうでしたか?

クリュチェフスカヤにすでに4回登っているベテランの

「高い山は時間をかけて登るべきだ」は大事な言葉。

正月に奥さんの実家で見かけたカレンダーに、同種の言葉がありました。

偶然だけに、心に残りました。

もしかしたら、今年の自分にとって重要な言葉になる可能性がありかな。

RIMG0431
   

     

引退したら登りたいと思った山は初めて。

仕事のゴールにしたいほどの山に新年早々出会えました。

   

テレビ番組の写真ばかりでしたが、次のサイトだと、もっといい画像が見られます。

「富士山によく似た『クリュチェフスカヤ火山』の噴火した写真」html

「カムチャツカ半島」html ・・・すぐ隣のカーミン峰の写真もあり

最近の写真

  • Img_3905
  • Img_3904
  • Img_3899
  • Img_3898
  • Img_3897
  • Img_3895
  • Img_3894
  • Img_3893
  • Img_3891
  • Img_3890
  • Img_3889
  • Img_3888

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉