知多半島へ・・・文字が判読できた軍人像
前投稿のつづき。
若くして死んだ兵士たち。
さぞ無念だったでしょう。
遺族は、若くして死んだ息子(夫)の無念さを思い、
現世に息子(夫)の存在の証を残したいと考えたのでしょう。
セメントの軍人像には、制作にかかわった遺族の思いもこもっているように感じました。
でもその人たちも、今はこの世にはほとんどいないことでしょう。
遺族が残した文字が、軍人像の台座にあります。
しかしもうだいぶ風化して判読が難しいです。
ひとつ顕著に残っているのがありました。
中央の像です。
正面
「故陸軍歩兵伍長 勲七等 功七級 梶田勇之像」
向って右側面には経歴。
左側面。
「昭和十二年九月七日 上海呉淞鉄道倉庫付近 小吉浦ニ於テ戦死ス
享年二十五才」(後略)
前々投稿に載せた説明板によると、上陸したのは8月23日。
梶田勇伍長は、2週間生き延びたのに、戦死してしまったのです。
半月でほぼ全滅してしまったと言われる名古屋第三師団歩兵第六連隊。
その一人だったのです。
仲間がたくさん死んで、いつ自分の番になるかと恐怖だったろうなあ。
(つづく)
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