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2010年5月22日 (土)

国分寺・国分尼寺下見13/南大門→中門→金堂

いよいよ月曜日に豊川市の国分寺・国分尼寺の見学が迫ってきました。

今だに下勉強ができていない。勉強、勉強。

     

国分尼寺はこんな姿だと予想されています。

Rimg0165    

    

※「三河天平の里資料館」の資料

    

    

       

復元想像図の右の入り口が「南大門

南大門から左右に築地塀(ついじべい)が伸びています。

今、南大門と築地塀はなく、

南大門のあった場所には、位置を示すプレートがあります。

Rimg0194_8   

     

     

    

    

      

    

南大門を入ると「中門

これは復元されていて、このブログでも写真を載せました。

中門から左右に回廊が一部復元されています。

      

      

さてその奥。

Rimg0194_9

   

   

   

   

石垣によって一段上に上がった所があります。    

「基壇(きだん)」と呼ばれる場所です。

そこは、お寺で最も重要な仏像(本尊/ほんぞん)が安置されている

金堂(こんどう)があった場所です。

豊川市の国分尼寺の金堂は、基壇の大きさから考えて、

かなり大きいものだったようです。

奈良の唐招提寺の金堂に匹敵するようです。

Kondouk

    

     

       

唐招提寺金堂の写真です。

こんなのが建っていたかと思うとわくわくします。     

上に載せた復元想像図の金堂も立派です。

   

     

金堂があったことを示す発掘物は礎石です。

柱の下に敷かれた礎石は、長い歴史の中で埋没し、

寺の森の木々の下に隠れていました。

とことん埋没していました。

昭和42年の発掘当時の写真(下の2枚)を見ると、

この過去の遺跡がよくぞここまで復元されたなあと思います。

Rimg012942 Rimg0130_2      

   

    

    

      

これが今の金堂があった基壇の写真。

もう森はまったくありません。

Rimg0098    

    

    

     

   

この基壇の上に金堂が建っていました。(次の投稿につづく)

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