国分寺・国分尼寺下見13/南大門→中門→金堂
いよいよ月曜日に豊川市の国分寺・国分尼寺の見学が迫ってきました。
今だに下勉強ができていない。勉強、勉強。
国分尼寺はこんな姿だと予想されています。
※「三河天平の里資料館」の資料
復元想像図の右の入り口が「南大門」
南大門から左右に築地塀(ついじべい)が伸びています。
今、南大門と築地塀はなく、
南大門のあった場所には、位置を示すプレートがあります。
南大門を入ると「中門」
これは復元されていて、このブログでも写真を載せました。
中門から左右に回廊が一部復元されています。
さてその奥。
石垣によって一段上に上がった所があります。
「基壇(きだん)」と呼ばれる場所です。
そこは、お寺で最も重要な仏像(本尊/ほんぞん)が安置されている
金堂(こんどう)があった場所です。
豊川市の国分尼寺の金堂は、基壇の大きさから考えて、
かなり大きいものだったようです。
奈良の唐招提寺の金堂に匹敵するようです。
唐招提寺金堂の写真です。
こんなのが建っていたかと思うとわくわくします。
上に載せた復元想像図の金堂も立派です。
金堂があったことを示す発掘物は礎石です。
柱の下に敷かれた礎石は、長い歴史の中で埋没し、
寺の森の木々の下に隠れていました。
とことん埋没していました。
昭和42年の発掘当時の写真(下の2枚)を見ると、
この過去の遺跡がよくぞここまで復元されたなあと思います。
これが今の金堂があった基壇の写真。
もう森はまったくありません。
この基壇の上に金堂が建っていました。(次の投稿につづく)
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