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2021年7月25日 (日)

「万波を翔る」岩瀬忠震/スフィンクスと写真を撮ったサムライ

     

今日は令和3年7月25日。

          

この本をやっと読破しました。

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万波を翔る(ばんぱをかける)」

(木内昇著/日本経済出版社)

   

引用していきます。

    

太一は目を瞠る(みはる)。

ーーーこれが、岩瀬忠震(ただなり)。

長らく英才と噂に聞いていたせいで、眼光鋭く、迫力ある面相を

勝手に想像していたが、案に相違して至って平凡、それどころか

城中に数多(あまた)いる日和見役人さながらの地味な佇(たた

ず)まいなのである。到底亜国と渡り合い、井伊大老に刃向かう

切れ者には見えぬ。

(54p)

   

「忠震」をなかなか「ただなり」と読めません。

この小説で勉強した偉人の一人です。

ハリスと交渉して、日米修好通商条約を結んだのはこの人でした。

    

「岩瀬様が、亡くなられたらしい」

総身が凍り付いた。岩瀬忠震は、まだ五十に届かぬ齢(よわい)

なのである。

永蟄居に処されてのち、彼は隅田川沿いの庵に籠っていた。岐雲

園と名付けられたその場所を、しかし訪ねる者はなかったろう。

永蟄居とは、外出はおろか、自邸に客を呼ぶことも許されぬ酷な

処罰なのだ。

岩瀬が日々どう過ごしていたか、太一は知らぬ。平三の語るとこ

ろによれば、この半年ほどは病に臥しがちであり、つい先日、わ

ずかな身内に見守られ、ひっそりと息を引き取ったということだ

った。それが幕府外交の礎を作った能吏の最期と思えば、太一は

やり切れなかった。

ーーー掃部守様が身罷ったゆえ、そのうち表舞台に戻られるだろ

うと思っていたが・・・・。

井伊は、自分に盾突く岩瀬を疎んでいた。岩瀬が排斥されたのは、

この確執が主因で、役目上の落ち度ではない。異国との間の困難

な課題が山積するこの時代、岩瀬という外交の申し子のような適

材が在ったのに、つまらぬいがみ合いの果てに、幕府はみすみす

それを失ってしまったのだ。

ーーーまったく理不尽な人事ばかりだ。

堀といい、岩瀬といい、今の幕府にとってなくてはならない逸材

が早々に表舞台から消え、外交のがの字も知らぬ人物が外国奉行

に安穏と据わっている。

(247~248p) 

   

安政の大獄の裏では、岩瀬忠震の死がありました。

50歳に届かないどころか、44歳だったようです。

この本をきっかけに岩瀬忠震の勉強をしていきたい。

  

   

「お久しゅうございます。水野様にはお変わりなく」

少しばかり感傷が芽吹いて、意外にも声が震えた。水野は、そんな

太一を冷ややかに見遣ったのち、

「童でもあるまいし、少し会わなかったくらいでそうそう面相が変

わるか」

言って皮肉な笑みを浮かべた。性分は、面相ほどにも変わっておら

ぬらしい。

(351p)

   

この小説の主人公である田辺太一と水野忠徳との会話は楽しいものでした。

そのひとつを書き留めました。

  

  

横浜鎖港の交渉のためにフランスに向かった日本人たちが、

途中でエジプトに寄って、スフィンクスをバックに写真を撮るシーンが

描かれていました。

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風のふくまま

 

この写真には思い出があります。

この写真が表紙になった本を読んだことがあるのです。

内容を全く忘れています。

でも縁あって、この写真の出来事に出合えました。  

  

  

インターネットはありがたい。

その本がわかりました。

「維新前夜」(鈴木明著/小学館)です。

もう我が家にはその本はありませんが、図書館にはあります。

もう一度読みたくなりました。

   

 

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