2024年8月29日 (木)

三橋TV 日本のインフラ整備④ 電柱の地中化ができたはず

   

今日は令和6年8月29日。

  

前記事の続きです。

 

この映像の話です。


YouTube: 韓国以下の日本の海運〜インフラ整備をサボった小泉政権の罪[三橋TV第897回]三橋貴明・菅沢こゆき

  

Img_7303

この図で三橋さんは説明します。

1996年以後、本当は公共資本投資が増えて欲しかったけど、

もし増えずとも、減らなければ、下の写真の赤枠部分のお金が

公共資本投資に使われたと考えられます。

その金額は、400〜600兆円になります。

もしそれだけの公共資本投資があったなら、

日本全国の電柱の地中化ができていたと言い切ります。

  

電柱の地中化が最も進んでいるのは東京都。

東京都はお金があるから。

日本全国で地中化するのに必要なお金は

400兆円ほど。

できたんですね。

電柱は、地震の時に道に倒れて、

緊急車両が現場に入れないという可能性も出てきます。

やるべきだったのです。

  

ここで豊川市の電柱地中化はどの程度進んでいるのか

調べてみました。

豊川市役所HP 豊川市無電柱化推進計画

電柱地中化は無電柱化と呼ばれているようです。

平成28年に法律ができているようです。

引用します。

  

災害の防止や安全かつ円滑な交通の確保、良好な景観の形成を図るため、

無電柱化の推進に関する施策を総合的、計画的かつ迅速に推進すること

等を目的として、「無電柱化の推進に関する法律(以下、「無電柱化法」

という。)」(平成28年(2016年)12月16日公布)が施行されました。

  

法律が作られて、やろうとはしているのですね。

上記サイトから見ることができる

「豊川市無電柱化推進計画 概要版」によると、

豊川市の無電柱化は100mほどだそうです。

この概要版の写真転載。

Img_7304

なるほど、お馴染みの場所です。

豊川市体育館に向かう道と、JR豊川駅の南東ですね。

今度は、無電柱化の視点で見てこよう。

  

  

他にも、公共資本投資が減っていなかったら、

計画されている新幹線が全てできていたであろうと

言っています。

政府はお金を出したくないので、

新幹線を造る時などでは、

地元が半分お金を出すように行ってきます。

財力がある地方自治体ならいいのですが、

逆の場合は苦しいです。

その典型例が九州の新幹線。

Img_7305

nippon.com

  

佐賀県が財力がないために、新鳥栖〜武雄温泉が、

新幹線が繋がっていません。

不便になっています。

佐賀県の負担は800億円ほど。

それが佐賀県は出せませんでした。

定額給付金で12兆円も出したのだから、

国はそれくらい出してやれよと三橋さん。

  

高速道路も、繋がっていない箇所が、あちこちあるそうです。

2017年に、三橋さんは安倍首相と会食をしたそうです。

安倍首相の地元、山口県でも、

高速道路が繋がっていないので、

繋いだらいいじゃないですかと聞いたそうです。

でも、安倍首相は、難しいと言ったそうです。

財務省の圧力と戦わなければならないからです。

  

まだ続く。
  

三橋TV 日本のインフラ整備③ 「暫定二車線」高速自動車道

   

今日は令和6年8月29日。

   

前記事の続きです。

  

この映像の話です。


YouTube: 韓国以下の日本の海運〜インフラ整備をサボった小泉政権の罪[三橋TV第897回]三橋貴明・菅沢こゆき

  

1996年以降、政府は緊縮財政で、

公共資本投資を減らしてきました。

その結果、どうなったか。

三橋さんが挙げたのが、地方の高速自動車道路。

  

片側一車線で真ん中にポールが立っていて

対面(たいめん/といめん)通行の高速自動車道路。

このような道を、発展途上国でも、高速道路とは呼ばないと

三橋さんは言います。

こんな道路、危険だよね。

普通は、高速自動車道というと、片側二車線以上で、

真ん中には壁を作るのが当たり前。

日本でもそうしようと計画されましたが、

1996年以降の緊縮財政で、

予算をガリガリ削っていったから、

半分しかできていないということです。

  

用地買収はおよそ終わっているのに、半分しか造れないので、

あんな危険な自動車道になっているのです。

国土交通省は「暫定二車線」と言っているそうです。

いつかは、四車線で造りますよというわけです。

「暫定二車線」の高速自動車道が、全体の3割。

韓国では、「暫定二車線」の高速自動車道はありません。

韓国どころか、日本以外に「暫定二車線」の高速自動車道は

ないそうです。

  

びっくりです。

    

確かに、富士山付近の山に登るときに利用した

中部横断自動車道はとても便利でしたが。

片側一車線、真ん中ポールの対面通行でした。

gazoo 「難所越えの夢」全線開通の中部横断道(山梨~静岡)

ここから写真転載。

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怖い、怖い。

二車線ならマイペースで走れます。

遅いと相手が思ったら、追い抜き車線に入って、

抜いていくことでしょう。

一車線はそのようなことができません。

抜くことができないので、遅い車があれば、

だんだん後続に自動車が溜まっていきます。

後ろから速い車が来ると、どうしようかなとストレスが

かかります。

対向車線の車が、こちらに飛び込んで来ないかと、

常に不安です。

  

あの「暫定二車線」高速自動車道は、緊縮財政の証だったのですね。

  

続く

  

  

三橋TV 日本のインフラ整備② 超巨大コンテナ船を建造できるけど・・・

今日は令和6年8月29日。

   

前記事の続きです。

この動画に関する記事です。


YouTube: 韓国以下の日本の海運〜インフラ整備をサボった小泉政権の罪[三橋TV第897回]三橋貴明・菅沢こゆき

  

日本の造船業は頑張っていて、大きなコンテナ船を

昨年建造したことを書きました。

  

日本は、このように世界最大級のコンテナ船を建造できますが、

困ったことに、この大きな船が入れる港が、

日本には1つしかないそうです。

三橋さんは、動画の中で、横浜の何とか埠頭と言ってます。

その何とかが不明。

そもそも「埠頭」の意味。

横浜中華街をもっと知ろう ふ頭の役割や種類ってどんなものがあるの?

ここで調べました。

  

港湾において船客の乗降や貨物の荷役を行うための場所のこと

  

と書いてありました。

そしてこのサイトに、いろいろな横浜港の埠頭名が書いてあって、

その中の「本牧埠頭」がピンと来ました。

これだ!

横浜港埠頭株式会社

ここに写真と説明がありました。

Img_7296  

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ここ以外の港では、深さが足りなくて、大型船は入れないそうです。

  

例えば、アメリカから大型船で荷物を運んできた時には、

まずは韓国の釜山に寄ります。

釜山には、大型船が入れる港があるからです。

釜山で、荷物を小分けにして、日本に運んでくるそうです。

こんなのは発展途上国だといういう発言が続きます。

  

24000TEUの大型船だと、深さが18m必要。

その1段階下が、深さ16mの深さですが、

その深さのある港でさえも、日本には数港しかないそうです。

  

国内の一番大きなコンテナ船は1600TEU。

桁違いに、小さな船です。

この船だったら、日本の港は、どこでも入れるそうです。

    

ここで次の表が示されます。

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コンテナ取り扱い個数を港でランキングしたものです。

1980年には、神戸が4位に入っていますが、

2021年は、ランク外。

東京が41位。神戸は73位。

なんでこうなってしまったかというと、

大きなコンテナ船が、日本の港に入れないからです。

  

なぜこうなったか?

これが理由ということで、グラフ図が示されました。

Img_7300

国がどれだけ公共資本投資をしたかがわかるものです。

1996年をピークに、どんどん減りました。

そして2011年を底に、少しずつ増えてきていますが、

1996年との差は、15兆円ほどです。

なぜ公共資本投資が増えなかったかというと、

緊縮財政をしたからです。  

このまま国債が増えると、日本が財政破綻してしまうので、

財務省が誘導して、緊縮財政をしたのです。

公共資本投資がされなかったので、

港の深さが改善されませんでした。

   

その結果、同じ物を作っても、日本製品は高くなってしまいます。

なぜかと言うと、荷物を一度釜山に持っていかないといけないからです。

そこでコストがかかるので、高くなってしまいます。

中国や韓国は、いっぺんにアメリカに持っていけるけど、

日本はそうはいかない。納期も長くなってしまいます。

日本の競争力は落ちてしまいました。

国際競争力のない日本になってしまいました。

  

  

政府が緊縮財政をしている証を、

他にも身近に見ていました。

次の記事で書きます。

  

   

  

  

  

2024年8月27日 (火)

三橋TV 日本のインフラ整備① 日本の造船業が巨大なコンテナ船を造った

   

今日は令和6年8月27日。

  

毎日、何本かのYouTubeを見ています。

とにかく勉強になります。

中には、しっかり記録しておきたいという動画もあります。

でも、結局、見ただけで済んでしまうのがほとんど。

今回、この1本は記録しておこうという動画を

載せます。

これです。


YouTube: 韓国以下の日本の海運〜インフラ整備をサボった小泉政権の罪[三橋TV第897回]三橋貴明・菅沢こゆき

  

番組の冒頭で、三橋さんが、昨年今治造船が、

他の企業と提携して、大きなコンテナ船を造り、

日本で建造された最も優れた船に贈られる

「シップ・オブ・ザ・イヤー2023」に選ばれたことを

紹介しました。

1辺が20フィートのコンテナをいくつ載せることができるかで、

船の大きさが示されるようです。

今治造船が造った船は、24000個のコンテナを、

載せることができるそうです。

  

どんな船だろう?

イメージがわかないので、ネットで調べました。

やっぱり動画がいい。


YouTube: 日本が建造したスーパーコンテナ「ONE INNOVATION」。世界最大級の24,000TEU超型で最新機能を備えたコンテナ船が日本の造船業を救う。

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昔は日本の造船はすごかった。でも今は衰退したと思っていました。

でも、昨年は日本の造船が頑張ったのです。

  

しかし、三橋さんはこの後、問題点を指摘しました。

  

また明日書きます。

グループLINEで訃報が届いていたのを知る

   

今日は令和6年8月27日。

  

一東会というのがあります。

かつて豊川市立一宮東部小学校に同じ頃に勤めていたメンバーで、

自然に始まった懇親会です。

自分がこのメンバーの中では若手だったので、

幹事をやることが多かったです。

年に1回、懇親会をやっていました。

コロナ禍で、数年途絶えましたが、

昨年8月に復活。

昨年は暑かったので、今年は涼しくなった11月に

予定していました。

  

昨年の懇親会で、一東会のグループLINEを作りました。

これで連絡は取りやすくなりました。

今年の懇親会の予定も、発信していました。

訃報は8月24日に届いていました。

昨晩(8月26日)、やっと気がついて、

見ました。

  

H先生の旦那さんからでした。

「妻の携帯を見て、グループLINEがあったので、

連絡をします」ということで、

この1年と少し、癌と闘病。

8月23日に亡くなったという知らせでした。

グループLINEに投稿してくれた旦那さんに感謝です。

 

昨年の懇親会には、孫7人のお世話で参加できないと

手紙を寄せてくれました。

その手紙には、前期高齢者の仲間入りをして、

シニア割で映画、温泉、買い物を楽しんでいるという

近況が書いてありました。

イキイキした文章です。

1年前、元気だったぞ!と思いました。

癌は、そんなH先生の命を奪いました。

癌は、とんでもない病気です。

この手紙は、グループLINE上に貼り付けてあったので、

旦那さんに、読んでみてくださいと返事を書きました。

旦那さんからの返事で「読んで励みになりました」と

ありました。

文章の力はすごなあと思います。

短い文章でも、書いた人を思い出させてくれます。

生きた証になっています。

  

グループLINE。

甘くみていましたが、素晴らしいものです。

私でさえ63歳。

これから一東会はしばらく続くとは思いますが、

メンバーはだんだん抜けていくと思います。

それが自然の流れです。

でもこのグループLINEに、メンバーの生きていた証が

刻まれていきます。

今回のH先生が亡くなったことで、

グループLINEが宝物に見えてきました。

メンバーとの一つ一つのやり取りを

大切にしていきたいと思いました。  

  

  

2024年8月26日 (月)

スズムシって、どうやって羽化するのだろう

今日は令和6年8月26日。

   

先週の金曜日、8月23日に、飼っているスズムシの幼虫が

羽化して、オスになっていることに気がつきました。

これでオスが2匹になりました。

幼虫はスリムなのに、オスになると、羽根が大きくて、

横幅がしっかり出来上がります。

不思議ですね。

スズムシの羽化が気になります。

こういう時には動画ですね。

いいのが2本、ありました。

両方、載せちゃいます。

  

1本目。45秒で見せてくれます。


YouTube: P125 スズムシの羽化

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美しいです。

羽化した後は、脱皮した抜け殻は、食べてしまうのですね。

脱皮の証拠が残っていなかったのは、

そのせいか。

  

  

2本目。7分11秒。じっくり見させてくれます。


YouTube: 4K→FHD スズムシ羽化

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やっぱり羽根が美しい。

  

  

スズムシ関連で、昨日、鳴いているところを撮影できました。

載せます。


YouTube: 2024年8月25日。スズムシのオスが鳴くところをやっと撮影できました

  

今年は用務員さんのおかげで、

スズムシについて勉強できています。

2024年8月25日 (日)

49番「南山新田」が気になります

   

今日は令和6年8月25日。

  

前記事の続き。

昭和5年発行の「小坂井町史」は面白いです。

表紙をめくるとこの地図が挟み込まれていました。

Epson150_2

史跡地図です。

何気なく見ていたら、49番は「南山新田」とありました。

なんだろうこれ?

「南山新田」のいわれがわかるような資料でしょうか。

確かめたいですね。

  

明日、行ってきます。

防災センターも行くけど、ここも行きます。

ついでにその付近も調べることにしました。

青色で囲んだゾーン、赤字で書いたものを

見てきたいです。

90年以上前に記されていた史跡が、

今はどうなっているのか見てきます。

今泉新衛さんが造った用水路を確かめたい

   

今日は令和6年8月25日。

  

前記事の続き。

  

若宮八幡社にあった今泉新衛さんの石碑の前にあった

案内板です。

Img_7671_2

この文章が気になりました。

  

新衞は明治5年に佐脇村の白川にかかる念仏橋(現在の野川下橋)

上流から新池(現在の新池公園)へ用水を引く工事を完成させま

した。

  

白川はわかるけど、野川下橋と新池公園が不明です。

地図で調べました。Googleアースにしました。

Img_7248

野川下橋上流から新池公園まで用水路?

Googleアースで見ても、その痕跡がないような気がします。

何より不思議なのは、用水路を造った際に、

途中で佐奈川があること。

でもこうも考えられるか。

白川の野川下橋上流から用水路を造り、まず佐奈川へ。

佐奈川からまた用水路を造り、新池公園まで。

どうだろう?

  

  

とにかく実際に行ってみようと、

まず新池公園に向かいました。

昨日、8月24日のことです。

よく通る道から少し奥に入ったところにある公園ですが、

おそらく一度も行ったことがない公園。

楽しみでした。

  

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予想以上に広い公園で、どのように写真を撮ったら全体像が

わかるのかわからず。とにかく何枚か撮りました。

用水路の終点であったと思われるこの地に、

かつては池ができたのでしょう。新池だから。

でも現在は、池らしきもの、用水路らしきものは

ありませんでした。

明日は平日なので、豊川市の防災センターは開いているので、

明治時代に池があったかどうかチェックしたいです。

  

野川下橋にも行きました。

これについては、サイトで勉強してから行きました。

豊川市 東三河を歩こう 念仏橋

引用の引用をします。

  

「上佐脇部落の南方を流れる白川は、昔は野川といって、大雨が降れば

水量を増し、橋がないために、村人はたいへん難儀をしていました。

江戸時代のころ、村の青年たちは、このことを何とか解決したいと相

談し、近郷近在の家を廻り、念仏を唱えながら、喜捨を集めることに

しました。このこのわずかずつのお金を積み立て、何年もかかってつ

いに橋を完成させ、これに因んで名も「念仏橋」と決められました。

(中略)

昭和8年ごろ、農村振興土木工事が実施され、念仏橋を架け替えるに

ついて、地元の区長にも相談がありましたが、県の強い意向により、

「念仏橋」の名を廃して、「野川下橋」と決められてしまいました。」

「みと歴史散歩」より引用  

  

そんな歴史のある橋を見てきました。

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昭和45年1月改築とありました。

念仏橋が野川下橋になって2代目くらいかな。

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この上流から、用水路が造られたんですよね。

やっぱり明日は、防災センターの古地図を見て、

その用水路が地図に載っているか確かめたいです。

  







  

「南山新田」の地名のいわれ

   

今日は令和6年8月25日。

   

前記事の続き。

私の町内会の多くの人の住所は、

「豊川市伊奈町南山新田」です。

「伊奈」のいわれに引き続き、

「南山新田」のいわれを調べました。

  

また昭和5年発行の「小坂井町史」を見ました。

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前記事の「伊奈」の中に、伊奈山があり、

そこにあった原野を開墾したようです。

そこが南山新田でした。

それを行ったのは、市川源治さん。

伊奈山がどこなのか?

山らしきものがない地域なので、不明です。

  

この記述では、もう一人の名前が出てきます。

今泉新衛さん。

この方は、伊奈及び佐脇原野を開墾したとあります。

今泉新衛さんについては、石碑が残っていることを知りました。

昭和5年発行「小坂井町史」です。

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石碑があるのは、若宮八幡社の境内。

石碑が作られたのが、明治32年。

今泉新衛さんが亡くなったのは、翌年のこと。

そうなると、今までの資料の記述によると、

南山が開墾されたのは、明治時代の前半〜中期と予想します。

石碑には、今泉新衛さんの功績が彫られているとのこと。

その文面も「小坂井町史」にも載せてあります。

これを読み解くのは難しいことですが、

よ〜く見たら、「南山官有地」という地名が出てきます。

今泉新衛さんも、南山の開墾に関わったことが予想されます。

想像するに、伊奈地区の中に、「南山」と呼ばれる地区があり、

そこを開墾して田んぼを作ったことで、

「南山新田」という地名が生まれたのだと思います。

  

本当に若宮八幡社に、今泉新衛さんの石碑があるのか

調べに行くことにしました。

地元なので、その気になればすぐに行けます。

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昨日行ってきました。8月24日です。

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これが石碑の文面。「南山」を探してみました。

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この石碑の前に、豊川市教育委員会が作った

新しい案内板がありました。

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黄色のラインを引いたところに注目です。

ここには「南山」が出てきません。

でもこの文章が引っ掛かります。

  

現在の伊奈町縫殿や前山、美園※(当時は佐脇原)の土地を

田や桑畑として開墾し

※案内板には「御園」とありますが、「美園」が正しい。

  

桑畑です。

実は私の町内会付近は、かつては針葉樹林の森が広がった場所でした。

それが大正時代になると、一面桑畑になっていました。

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あまりに変わっているので、大正時代に開墾したのではなく、

明治時代から行われていた可能性があります。

佐脇原(美園)はすぐお隣の地区。

したがって、地図の桑畑には今泉新衛さんが関わった

可能性はあると思います。

    

  

もう一度結論を書くと、

「伊奈」の中に「南山」という地区がありました。

そこは原野でしたが、市川源治さんと今泉新衛さんの

努力で開墾されました。

田んぼができ桑畑もできました。

「南山」は「南山新田」となりました。

明治時代の前期〜中期のことでした。

  

  

次の記事で、今泉新衛さんのことをもう少し書いてみます。

  

「伊奈町」の地名のいわれ

   

今日は令和6年8月25日。

  

今から書くことは、いずれ電子回覧板結ネットの

記事にしたいことです。

集まった資料を、まずはこのブログでまとめてみたいです。

   

私の町内会の多くの人の住所は、

「豊川市伊奈町南山新田」です。

最後につく番地が違ってきます。

今まで気にしてきませんでしたが、

なぜ「伊奈」なんだ?

なぜ「南山新田」なんだ?

を調べてみようと思い立ちました。

  

ネットで調べましたが、

関連情報を探し出すことができませんでした。

そこで、昔ながらの方法、図書館に行って資料を見ました。

図書館で調べ物って、何年ぶりでしょう。

けっこう楽しみました。

  

「伊奈」について。

ここで役に立ったのは、昭和5年の「小坂井町史」。

昭和5年は西暦1930年。94年前の資料。

そこにこう書いてありました。

Epson152

いつ来たのかは書いてありませんが、

信濃国伊奈郡より本多さんがやってきて治めたので、

「伊奈」となった説です。

そして「稲葉野」が「稲村」になった説。

どうなんでしょうね。

信濃国は長野県。

伊奈郡は伊那地方のことでしょうか。

伊奈城ができた時には、その地域は「伊奈」だったのでしょう。

  

ここで気をつけたいのは、「紀元二千百年頃」

戦前や戦中の日本では、神武天皇即位紀元なるものが使われていました。

参考:Weblio辞典 神武天皇即位紀元

西暦元年は、神武天皇即位紀元だと660年。

つまり西暦に直すには、660年を引き算することになります。

そうすると、1440年。室町時代です。

伊奈城を治めていたのが、本多家でした。

信濃国からやってきた本多家は、

この地域ではずっと有力家系だったのでしょうか。

  

では次回は「南山新田」  

  


 

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