本「黒三ダムと朝鮮人労働者」⑥ 「高熱隧道」に朝鮮人が出てこない理由/キャニオンロードは10月1日から
今日は令和6年3月24日。
前記事に引き続き、
「黒三ダムと朝鮮人労働者」(堀江節子著/桂書房)より、
印象に残った文章を引用していきます。
二〇二四年度から上部軌道を経て黒四ダムまでの「黒部ルート」(欅平
黒四発電所 黒部湖までの工事のために掘削した地下ルート)が一般観
光客に開放され、関電は年間一万人を受け入れる。現在でもV字谷の
景色は素晴らしく、欅平までのトロッコ電車での観光は海外の観光客
にも人気で、韓国人観光客も少なくないと聞いている。そうした人た
ちに日本人と朝鮮人が協力して電源開発が行われた事実と感謝を伝え
ることはできないだろうか。「黒四」建設は、関西電力の太田垣社長
が陣頭指揮を執り、社員一丸となって取り組まれ、戦後の高度成長を
もたらしたと称賛される。一方、「「黒三」」 建設は、戦時の国策事
業として取り組まれ、高熱隧道や雪崩事故など多くの困難を克服して
完成した。 「黒四」が太陽であれば、「黒三」は影のような存在では
あるが、「黒三」なしに「黒四」は存在しない。 峡谷の景色を満喫し、
黒部ダムや黒部湖を見ることができるのは、「黒三」のおかげだ。戦
時下、植民地から来た朝鮮人労働者が携わった電源開発の過酷な歴史は、
国内外の観光客にとっても興味深いことに違いない。
(187p)
この本の出版は2023年7月なので、
黒部宇奈月キャニオンルートのことについて触れています。
このルートは、有名な黒四ダムよりの以前に造られた
黒三、黒ニ、黒一の発電所、ダムを知るコースです。
黒三でたくさんの朝鮮人が働いていたことは、
せっかく行くのだったら、勉強しておくべきだと思います。
この本「黒三ダムと朝鮮人労働者」と「高熱隧道」、
そして「真説『高熱隧道』」もお薦めです。
(「真説〜」については、3月21日の記事を見てください)
黒部宇奈月キャニオンルートは、6月30日がオープンの日でした。
しかし、関係する橋が、能登半島地震によって壊れたため、
延期となりました。
ここを見ると、次のようなお知らせがありました。
今年は中止という話も聞いていたので、
10月1日のなり、期間は短くなりましたが、
ありがたいです。
行きたいですね。
7月頃に予約が始まるそうなので、情報を逃さないようにしたいです。
「黒三」ダム建設について書かれた小説に、吉村昭による「高熱隧道」
がある。一九六七年に刊行され、現在なお広く読まれている。 これを
きっかけに黒部峡谷を訪れる人は多いという。吉村昭は、現場、証言、
史料等を取材し、事実に基づいてストーリーを構成する「記録文学」
「歴史文学」 で定評がある。この手法は一九六六年の『戦艦武蔵』か
らスタートし、翌年発表の「高熱隧道」で新境地を拓いたと、自身が
「精神的季節』(一九七二)に書いている。 佐藤組から資料の提供と取
材の便宜を受け、「黒三」 建設当時と同じような環境の現場に入って、
高温の温泉湧出地帯を掘り進んだ日電や佐藤組の所長や現場監督など
の関係者から聞き取りを行い、その歴史的挑戦を主題に作品化した。
ヒト・モノ・カネ、そしてイノチまでも総動員してダムを完成させよ
うとする狂気は、国民を戦争に駆り立てる政治的社会的圧力と相似形
で、そこに読者を飲み込む説得力がある。
事実に基づいて書かれるから記録文学とされるのだが、多くの人はこ
れを事実、または事実に近いものとして読む。だが、記録文学はあく
まで小説、フィクションである。吉村昭は難工事でたくさんの犠牲者
が出たことは記すが、その中に朝鮮人が多く含まれるという事実には
一切触れない。これについては、新田次郎との対談(『波』新潮社一
九七〇年5・6号)で、次のように話す。「この工事に従事した労働者
の半ば以上は朝鮮のヒトですが、強靭な体力を駆使してついにトンネ
ル貫通を果たした。 今の考え方からすると、朝鮮の人を労働者に使
ったというと虐使したのではないかと考えがちですが、事実は比較に
ならないほど高い給与が魅力となった。ともかく朝鮮の人と書くと主
題が妙にねじれてしまう恐れがあるので、ただ労務者という形で押し
通しました。 また自分の主題を明確にするためフィクションとして
書きました」。 そして、「私は主題の足を引っ張るような要素は容
赦なく捨てて、主題を生かす事実だけを使っています」。「事実と
は異なっていても、私の小説に関するかぎりそれが真実なのです」
と続ける。戦時下、電源開発、難工事といったシチュエーションで、
植民地からの労働者というのは欠くことのできないファクターだと
思われるが、「高熱隧道」については朝鮮人が存在しないことが彼
の主題を明確にすると断言する。
記録文学や歴史小説はドキュメンタリーのようにとらえられがちで、
すべて事実と思って読む人も珍しくない。吉村昭の作品は現場にい
た人の証言が活かされていて迫真感がある。 それでも、小説は小説
である。制作意図に沿わないことは省かれ、作者が紡いだ構成のな
かで場面に合わせて会話が創られるにもかかわらず、文字になって
いることが真実だと思わされてしまう。そして、「記録文学」とし
て評価が高いがゆえに、ストーリーに不要だとして省かれた、実在
した朝鮮人の存在が消されてしまった。
(192〜193p)
吉村昭が対談で語っている朝鮮人を書かないという理由だが、私に
は後付けのように思われる。私の理解はこうである。吉村昭の「記
録文学」の手法では、当事者への直接の取材が必須である。だが、
取材しようにも、大多数は戦後すぐに故郷に帰ってしまって話を聞
くことができない。例え小説といえども、 いかに吉村昭であっても
取材なしでは書けなかったのではないか。こうして、吉村昭の意図
がどうであれ、多くの読者は、朝鮮人は存在しなかったと思ってい
るのだ。
(194p)
なぜ「高熱隧道」に朝鮮人が出てこないか。
この194pの説は納得です。
朝鮮人人夫の話が聞けてないなら、吉村さんは書けなかったんだ。
朝鮮人人夫がどう考えているのか、正確に掴めずに、書きなかったんだ。
だから、改めて書きますが、技師たちは、人夫が何を考えているのか
妄想を膨らませて、そして恐怖につながっていったんだと思います。
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