本「黒三ダムと朝鮮人労働者」⑦ あったことをなかったことにするのはおかしい
今日は令和6年3月25日。
前記事に引き続き、
「黒三ダムと朝鮮人労働者」(堀江節子著/桂書房)より、
印象に残った文章を引用していきます。
長いけど、大事なことが書いてあるので、
引用します。
宇奈月の町史など公式の地域史に朝鮮人の存在が書かれていない。理
由はいろいろ考えられる。一つは、和田さんが書いているように、リ
スペクトがないこと。日本近代史において、朝鮮人が鉱山や炭鉱から
土木工事の現場まで、ツルハシとスコップとダイナマイトを手に最底
辺で働いたのは紛れもない事実である。そうした植民地の労働者を酷
使した事実を問題にされたくないために、存在や事実を否定したり、
隠した。それを記録に残さないのは差別であり、リスペクト=人権の
尊重や仕事への感謝がないからだと私も思う。
日本では、一九九〇年代後半から「歴史修正主義」なるものが台頭し
てきた。学術的に歴史的事実とされていることを、ある種の考えや思
想をもって否定し、思想に合わせて都合よく作ったあらたな「事実」
で上書きする歴史観を、「歴史修正主義」という。修正の意味は正し
く直すということであるが、実際には、天皇中心の政治思想=皇国史
観によって過去の植民地支配や戦争を肯定し、歴史を捏造することで
ある。植民地朝鮮を近代化した、東南アジアへの侵攻によって欧米列
強の支配から解放した、南京事件はなかった、日本軍「慰安婦」はい
なかった、など加害の歴史を無視し、否定する。また、植民地責任や
戦争責任を問う歴史認識を「自虐史観」として批判する。事実に基づ
いて反省し、憲法の前文に則り平和な未来を志向する歴史認識のどこ
が自らを貶めることになるのだろう。
黒部電源開発でたくさんの朝鮮人が働き、家族が宇奈月町で暮らして
いたという事実は、地域史に記録しないことで、年月の経過とともに、
また住民の世代が変ることで、いま消えようとしている。これは宇奈
月町だけでなく、全国の同様の歴史をもつ地域で起きている。さらに、
すでにある記念碑や追悼碑など公共の空間から排除しようという動き
もある。負の歴史をわざわざ書き残すことはないと考えたかどうかは
わからないが、こうした地域史における事実の不記載=抹消は、地方
における保守政治のもつ政治思想と一体になって、歴史修正主義とい
う国全体の思想運動に回収されている。さらに、国政においても戦争
を体験していない世代の国会議員によって歴史的事実が否定されてい
る。二〇二一年四月に、日本軍「慰安婦」問題や強制連行問題で、
「従軍慰安婦」ではなく「慰安婦」を使うように、また「強制連行」
を使わないように変えるように閣議で決定したことはその一つの動き
である。その一方で、呂野用墓や霊のというような構造物から歴史を
学ぼうという市民の動きがあるのも事実である。
(202〜203p)
「過去の植民地支配や戦争を肯定」
昨日、記事にしたことに関連してきます。
お国のために出征した人たちのことを考慮すると、
戦争を悪いことと全面否定するのは気が引けてしまいます。
でも戦争は、未来、絶対に起こしてはいけないことであり、
そのことについては、戦争で命を落とした人たちも、
賛同することだと思うのです。
その一方で、戦争は、勝者の歴史となりやすいことも注意です。
結局事実を調べて、教えることが大事なのでしょう。
なぜ戦争を起こしてしまったかに始まり、
戦争の現場でどんなことがあったかを教え、
とてもたくさんの人たちが命を落としたことを
淡々と教えるのがいいのでしょう。
朝鮮人を強制連行したことは事実なので、決して修正させない。
「強制連行」を使わない。
閣議で決定したの?
日本弁護士連合会 政府見解により教科書の「従軍慰安婦」「強制連行」等の記述を変更させる動きに関する会長声明
ここには次のように書いてあります。
内閣は、2021年4月27日、「『従軍慰安婦』という用語を用いる
ことは誤解を招くおそれがある」、「単に『慰安婦』という用語を用い
ることが適切である」、「朝鮮半島から内地に移入した人々(中略)に
ついて、『強制連行された』若しくは『強制的に連行された』又は『連
行された』と一括りに表現することは、適切ではない」、「『強制連行』
又は『連行』ではなく『徴用』を用いることが適切である」などとする
2通の答弁書を閣議決定した。
ふむふむ、強制連行されたと一括りにするのは、
確かにいけないかもしれないが、
「強制連行」という言葉を削除する動きはどうかと思います。
群馬の森の追悼碑撤去も、関連団体が「強制連行」という
言葉を使ったことを、県は問題にしていました。
強制連行はあったのだから、この言葉は残すべきだと思います。
記念碑や追悼碑など公共の空間から排除
群馬の森の動きが思い出されます。
撤去を要請していた市民団体の態度が解せません。
こんなのは嘘っぱちだという声は、
絶対おかしいです。
その大きな声に屈したのなら、撤去はおかしいと思います。
あったことをなかったことにするような歴史修正主義との
せめぎ合いの時代なのかなと思います。
呂野用墓
「よやんぼ」と読むそうです。
本書の記述によると、富山地方鉄道内山駅の山側にある
雑木林の中にあるお墓です。
堀江節子さんは、だいぶ前からこの墓の存在を知っていて、
30年以上前に書いた著作にも触れています。
黒部川の電源開発工事の犠牲者のお墓です。
ネット上にも、関係記事がありました。
写真も転載してみます。
チューリップテレビ 85年前の墓標…戦時体制の黒部峡谷 ダム建設事故の犠牲者を悼む 市民グループが調べた朝鮮人労働者とは【戦争の記憶とやま】
本書63pに、このお墓のことが書いてあります。
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