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2024年3月25日 (月)

本「黒三ダムと朝鮮人労働者」⑧ 朝鮮人を描かなかった吉村昭さん

   

今日は令和6年3月25日。

  

前記事に引き続き、

「黒三ダムと朝鮮人労働者」(堀江節子著/桂書房)より、

印象に残った文章を引用していきます。

  

今回も引用が長いです。

この本の一番言いたいことが書いてあると思うので、

引用します。

  

清水弘さんは、「真説『高熱隧道』」を書いた人です。

書いた当時は北海道大学低温科学研究所に所属していました。

現在は故人です。

  

清水弘さんは聞き取りのときに、話者の記憶と「高熱隧道」の記述が

異なると知らされたことがあると書いている。著名な小説によって自

らの記憶を疑ったり上書きすることはありうることで、すぐれた文学

とはそれほど読者に大きな影響を与えるものであり、公の文書に用い

られることもある。 現実にあった出来事を扱う歴史文学では、ノンフ

ィクションとの境界が曖昧になりやすいうえに、読者は事実より真実

を求める。さらにいえば、「黒三」 ダムは戦争や雪崩事故、植民地の

人々といった一見ネガティブな要素を持ち、「黒部の太陽」で有名に

なった「黒四ダムの影になってしまいがちだ。だが、歴史を省みると

き、影にこそ学ぶべき真実が存在する。

吉村昭は「精神的季節」で、高熱隧道の工事に携わった人々に対して、

「一生の間にそれほど印象深い仕事を持ち得たそれらの人々は、人間

として最も幸せな人々だといっていい」と書く。だが、それらの人々

とは日電や佐藤組の所長や監督であって、「黒三」建設に動員された

延べ二八〇万人の労働者ではない。 実際、現場労働者は自然を征服し

ようとする主人公たちの壮大な挑戦の素材として描かれている。 現場

所長が切り端のダイナマイト事故でバラバラになった遺体を集めて整

える場面がある。 労働者たちが騒ぎ出し工事が中断されないように、

黙々と作業を続ける所長の苦悩は描くが、事故で死傷する労働者の心

情には触れない。労働者は描かれる対象ですらないのだ。 記録をもと

に、吉村昭はテーマに合わせてストーリーを構想し、聞き取りと入念

な資料の読み込みにより、事故のディーテイルと所長の心理だけを描

写する。 主題は、大自然に挑む電社員や所長・現場監督にあって、

死を強いられる労働者にはない。 主題の展開のための素材は必要だが、

属性や意思をもつ存在としてではなく、顔や名前のない「人夫」とし

てだ。

「人夫たちは、同僚が死体になっても悲しむことしか知らないように

みえる。その死が、なぜ起こったのかというに、かれらは怠惰だし、

それに工事には死はつきものだという長い間培われてきた諦めが、か

れらの眠りをよびさまさないでいるのだ」と吉村昭は書く。 だが、労

働者の主体性を奪うような表現はどうなのだろう。 事故が起これば命

を失うこともあり、家族が困ることを一番よくわかっているのは労働

者自身だ。だから、見舞金や葬儀料を要求し、安全な労働環境を整備

するように抗議した。 しかし、戦争のためだから、国策事業だからと、

大事故で大きな犠牲を出しても直後に工事を継続するように陰に陽に

圧力がかけられ、運よく生き残っても逃げ出すこともできず、黙々と

工事に就くしかなかったのだ。

三〇年以上も前のことだが、「実在したのに、なぜ朝鮮人労働者を書

かなかったのか」と吉村昭に手紙を送った知人がいる。 何度出しても

返事がないので予告して訪問したが、門を閉められ相手にされなかっ

たと話していた。話ができたにしても、朝鮮人が働いていたことは知

っている。テーマにとって必要ではないから書かなかっただけだ。

それがどうした」と吉村昭は言ったであろう。労働者の国籍を書けば

書いたで説明が要る。 それでは話が複雑になり、表現したいテーマが

薄れる。 他にも、資料がなかった、取材できない、書くとまずいこと

がある、書かない約束だったなどが考えられるが、本当のところは謎

である。吉村昭は、大自然や国家プロジェクトに関心があっても、影

の存在である労働者には関心がないのであろう。

吉村昭の考えを批判はできるが、 小説 「高熱隧道」を変えることは

できない。だが、生きている私たちの考えを変えることはできる。

峡谷の電源開発で多くの労働者が犠牲になった。日本人もいれば、朝

鮮人もいた。過去にはそうした犠牲者を悼み、慰霊してきた電力会社

や建設会社もあった。この谷を父親の墓だと思っている金鍾旭さんも

いた。峡谷で働く朝鮮人たちは、よい仕事をしようと努力し、家族を

養い、自分の命を守るために労働条件を交渉し、自分たちの尊厳を保

ってきた。そうした人たちが町の一員となって町は栄えた。記憶を記

録しなければ、人間は忘れる。日本の敗戦で故郷に帰ったにしても、

存在したという事実を埋れさせてはならない。

二章でも書いたが、近年ダークツーリズムといわれるものが提唱され

ている。負の歴史を無視するのでもなく、隠すのでもなく、そこを起

点として新しい歴史観や人間関係の再構築をめざす。関電は社員に、

黒部市は地域の人たちに、そして旅行客に、「黒四」ばかりでなく、

「黒三」の事実を伝えてはどうだろう。町の歴史 、住民の奮闘のス

トーリーこそ観光資源になる時代だ。

(204〜205p)

  

「高熱隧道」を読み終えた時には、なんと素晴らしい作品なんだと

思いました。

でも、人夫に顔や名前がない、主体性がないと言われたらその通り。

ラストシーンで、無闇に人夫たちを恐れる技師たちに、

違和感がありました。

黒三ダム、発電所の歴史を後世に残す役割はあるけど、

正確ではないのが致命的です。

「黒三ダムと朝鮮人労働者」と合わせて読むのがいいなと思いました。

この本を読んでおかなければ、私は誤解したままでした。

  

  

思えば、昨年の12月まで、全く知らなかった黒三。

わかってきました。

こういうのが楽しい。

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