2011年10月26日 (水)

「クレーン」の語源

  

今日は10月26日。

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今週の月曜日の朝。

用事があって、いつもとは違うコースで自動車出勤。

信号待ちで、向こうに見えるクレーンに心ひかれて撮影。

   

「クレーン」はある動物に由来する言葉です。何だ?

   

9月30日が「クレーンの日」でした。

その日の朝のFM豊橋で、渡辺欣生さん(よっちゃん)が言っていました。

「クレーン」(CRANE)の由来は、鶴(crane)です。

鶴の形に似ているからです。

でもよっちゃんは、クレーンは鶴じゃなくてキリンだと言っていました。

私もそう思う。

首はかなり長いし、四足動物だから。

    

 

2011年10月25日 (火)

お薦めの「へうげもの」

  

今日は10月25日。

22日に一緒に飲んだ人から薦められたマンガ本。

へうげもの」(山田芳裕著 講談社)

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戦国時代。織田信長に仕えた古田左介(織部)を主人公とする話。

最近興味を持ち始めた茶の湯に関係深いマンガ。

さっそく3巻購入。

今日、2巻を読破。そして3巻目を読んでいます。

なかなか面白い。

いきなり茶器と爆死した松永久秀の話、

そして九鬼水軍の鉄甲船も登場。

昨年出向いた安土城がらみの話も出てきます。

引き込まれてしまい、授業と授業の合間にも読んでいました。

マンガから伝わってくる信長の鬼気迫る迫力、

そして秀吉の策士ぶりが印象に残りました。

本能寺で信長を討ったのが、☐☐だったとは驚き。

   

NHKのBSプレミアムで、毎週木曜日午後11時からアニメが放映中。

これも見たい。さっそく次の木曜日の番組を録画予約。

また忙しくしてしまった。

   

2011年10月23日 (日)

タータントラック

  

今日は10月23日。

昨晩は久々の先生と飲み会。

体育の先生だけど歴史も詳しい先生。

話していて、そうなんだと思うことがたくさんありました。

    

隣市の競技場のゴム製グランドの名前がわかりました。

※参考「アンツーカではなかった競技場」html

   

タータントラック(tartan track)でした。

これは登録商標。タータンターフという人工芝もあり。(ターフ=芝)

タータンという企業があるのかな?

   

タータンチェックがどんなものか思い浮かばなかったので、

ついでに調べました。

Nb291
http://item.rakuten.co.jp/h-harada/nb291/

多くの色を使った格子柄のこと。

お馴染みでしたね。   

 

 

2011年10月22日 (土)

日めくりより・・・拙速/カミカゼ/戻りガツオ/鱧

   

今日は10月22日。

日めくりより。

    

EPSON002

この日めくりの文章を書いているライターの中で、

孫子(兵法書のこと/孫武の作とされる)に詳しい方がきっといます。

よく出てくる孫子の文章の一つ。

   

「兵は拙速を聞くも、未だ巧久を賭ざるなり」から、

「戦いは少々納得のいかないことがあったとしても、

さっさと切り上げよ」の意味はなかなか読み取れません。

    

拙速がここでは「やり方はまずくても早めに終わらせる」

巧久は「うまい具合に長く行う」ことのようです。

拙速はあっても、巧久はないというわけです。

※参考http://sonshi.roudokus.com/sonshi02_01.html

   

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カミカゼの写真。

Cocktail399
http://www.misichan.com/cocktail/d/cocktail399.html

「神風特攻隊」の名前が残ることには賛成。

ずっと、「神風特攻隊」について語られるといいなと思います。

戦争が愚かであること。

愚かなことのために、尊い命を失った人たちがいること。

この「カクテル」を飲む人は、その度に思い出してほしい。

    

EPSON016

今がまさに「戻りガツオ」のシーズン。

ニュースで、今年は不漁だと聞きましたが、どうなのだろう?

大震災による津波被害や放射能汚染がどう影響するかも気になるところ。

   

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カツオが出たところで、魚の話。

修学旅行で泊まった宿でいただいたお土産。

「鱧」・・・さて何と読むのだろう?

   

調べて、「はも」と判明。

「はも」はこんな姿。

01
http://www.zukan-bouz.com/unagi/hamo/hamo.html

ウナギの仲間なのですね。    


    

 

 

 

   

 

2011年10月21日 (金)

江戸時代の眼鏡 額で支える

   

今日は10月21日。

今日は金曜日。今週も一週間頑張りました。

    

昨日の内容に関連して・・・

江戸時代の眼鏡について。

どこかいいサイトはないか探しました。

    

「幸得潤眼鏡院 眼鏡タイムトリップ江戸時代の眼鏡」1

ここに写真があります。

説明を引用します。

   

ごくまれに時代劇などで見かける昔のめがね、

本当に当時の人はあんなものを使っていたのか?

はい、使っていました、当店に実物があります。

材質は金属、鼈甲、木、などですが、

当店には現在、鼈甲のもの、真鍮のもの、鼈甲と真鍮のコンビのものなど数種類あります。

レンズの材質はガラスと天然水晶の二種類があります。

用途は、遠視と老眼は同じ凸レンズを使うことが多いので、正確には不明ですが、

おそらく老眼用だと思われます。

当時はまだ、現在テンプルと呼ばれる耳の後ろでホールドするための部品は、無く、

紐などで耳に引っかけて、額の部分の三点で留める形式です。

    

そうか・・・テンプル。

テンプルのおかげで、眼鏡は位置を保てているわけです。

テンプルがなくて紐(ひも)だと、鼻の2か所と額の3か所留めなんだ。

   

江戸時代の眼鏡のイメージは、2つのレンズの上に何かあったイメージ。

それは眼鏡を固定する3点目というわけです。

 

2011年10月20日 (木)

浮世絵はチームで作った

 

今日は10月20日。

社会の時間。

昔の番組を見せています。

1995年5月25日放映の

「コメディーお江戸でござる はやらぬ宿には福来たる」です。

江戸時代を勉強するにあたって、杉浦日向子(ひなこ)さんに出会わせたいと思いました。

「コメディーお江戸でござる」では、

毎週江戸時代の劇が演じられ、その後に杉浦日向子さんが登場。

江戸時代の劇として、「ここが間違い」というのをどんどん話していきます。

それがとても楽しい。へ~そうなんだと思うことがいくつもあります。

杉浦日向子さんは、江戸時代に生きていた人ではないかと疑うほど、

まるで見たかのように、まるで体験したかのように話をしていました。

   

前時で劇を見せました。

明日の次時で、杉浦日向子さんが、「ここが間違い」という話をするところを見せます。

子どもたちに、どこが間違っているとか考えておいてと話しましたが、

ちょっと難しい。

   

ここで答えを書いておきます。

〇劇では、浮世絵の元絵を描く絵師は「先生」と呼ばれ、評判のいい絵師は重宝がられたとしていました。

ところがこれが間違い。

次の本から引用します。

「お江戸でござる」(新潮文庫)

「脱線 コメディーお江戸でござる」html

  

浮世絵は、ひとつのプロジェクトチームで作られていきます。

絵師はその一員として、「版下絵」を担当します。

「絵師」というより、しばしば「画工(がこう)」と呼ばれました。

「版元」(出版社)があって、プロデュースをする「案じ役(あんじやく)」がいて、

画工がいて、「彫り師」がいて、「刷り師」がいて、

みんなが集まってできていくのが、浮世絵です。

モデルは誰にしようとか、色はどうしようかということも、

皆で頭を寄せ合って決めます。(21~22p)

   

「北斎(ほくさい)」とか「写楽(しゃらく)」「歌麿(うたまろ)」というのも、

プロジェクトチームを指すものであって、ひとりの名前とは限りません。

絵師のことは、本名で呼ぶことが多く、

北斎であれば「鉄蔵(てつぞう)さんやい」と呼び「北斎先生」と呼ぶ人はほとんどいません。

浮世絵師は、画家というよりは、テレビや映画の制作スタッフに近い存在です。(22p)

   

    

Hokusai062※北斎作品

これは意外でした。

「葛飾北斎」「東洲斎写楽」「喜多川歌麿」という絵師はいたのですが、

これはプロジェクトチーム名であって、絵師もチームの一人にすぎなかったようです。

番組の中で杉浦さんが、絵師が絵に色を塗ることは滅多になかったと言っています。

あの浮世絵は、チームみんなで作ったものだったのです。

   

   

〇間違いはもう一つ。

絵師役の矢崎滋さんが、自前のメガネをはめていましたが、これが間違い。

江戸時代のメガネは、耳にかけるところはひもだったとのこと。

   

メガネの歴史も面白そう。

   

 

 

2011年10月18日 (火)

方広寺に行ってきました

  

今日は10月18日。

番組「ザ・今夜はヒストリー」で、大坂冬の陣が扱われる前夜。

    

【大坂冬の陣】

慶長19年(1614)冬、京都の方広寺の鐘銘事件を口実に徳川家康が豊臣氏を大坂城に攻めた戦い。

豊臣秀頼の軍の奮戦で城は落ちず、いったん和議を結んだ。

和議の条件として、大阪城の堀が埋められる。

これによって大阪城の守りは大幅に減少。その状態で夏の陣を迎えることになる。

     

はたして明日の番組ではどの辺りに焦点が絞られるかな。

   

徳川家康が大坂冬の陣の口実にした方広寺鐘銘事件とは。

 

【方広寺鐘銘事件】

方広寺は、豊臣秀吉が、1586年に作ったお寺。

大仏が大仏殿の中に置かれ、その大きさは19mあったそうです。

東大寺の大仏が18m(台座を含む)ですから、それ以上あったわけです。

しかし大仏は、1596年の大地震によって壊れてしまい、

大仏殿もいたみます。

徳川家康のすすめによって、秀頼が方広寺大仏殿を修復することになりました。

何年もかけて大仏と大仏殿が修復された1614年に、大梵鐘(ぼんしょう)も鋳造されます。

しかし、その鐘に記された銘文に家康がいちゃもんをつけます。

「国家安康」は家康の名前が切られていること、

「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を祈願して、

徳川家に対するのろいが込められていると断定しました。

これが方広寺鐘銘事件。これによって家康は大坂城に軍を進めました。

     

この鐘は今も残っています。

その鐘を見るために、修学旅行の1日目(9月25日)に方広寺に行ってきました。

その時の写真。

   

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鐘楼

    

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大梵鐘。

高さ4.2m 外径2.8m 厚さ27㎝ 重さ82.7トン

(方広寺拝観の栞より)

    

鐘に白く縁取られたところあり。

これが問題になった銘文です。

アップで写してみました。

   

RIMG0096

1614年の歴史的な事件のきっかけになった銘文が、

400年近く経った今も、こうやって見ることができるのはすごいこと。

秀頼も家康も見たのでしょうか。

写真では何度も見た銘文を、しっかり見てきました。

    

方広寺入口には、巨石が並びます。

RIMG0114

「大仏殿石垣」と書かれた石塔が立っていました。

ここに高さ50mの大仏殿が建っていたのでしょうか。

大坂城もすっぽり入る大きな建物でした。

※参考「幻の方広寺大仏2」html・・・大仏殿と大坂城の大きさ比較がわかりやすいです。

   

大仏の10分の1のサイズの仏像が、本堂にありました。

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※参考「幻の方広寺大仏1」html・・・方広寺の見どころがコンパクトにまとめられています。

    

今は大仏殿も大仏もありません。

しかし、名残りは残ります。

RIMG0119

方広寺付近で見つけた郵便局。

名前は「京都大仏前郵便局」

大仏は失われましたが、地名は残りました。

  

以上で方広寺報告終わり。

   



 

 

 

なぜ「大坂」が「大阪」になったか?

    

今日は10月18日。

今晩放映の「教科書にのせたい」は、愛知県のことが扱われます。

半田市の新美南吉記念館近くの矢勝川。

秋になるとヒガンバナがたくさん咲く場所です。

昨年は見に行ってきました。

「ヒガンバナを見てきました/矢勝川のヒガンバナ」(2010年10月3日)html

  

そのヒガンバナを植え始めた人の話が放映されるそうです。

上記の投稿で紹介した「中日新聞お出かけニュース」によると、

幼少時に南吉と遊んだこともあるという小栗大造さんが

「童話の舞台の堤をキャンバスに、ヒガンバナで真っ赤な風景を描く」という思いで

平成2年から球根を植え始めたとのこと。

この小栗さんが紹介されるのでしょう。

    

明日の晩は、「ザ・今夜はヒストリー」がいい。

次回の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」が、大坂冬の陣をやるにあたって、

偶然にも「ザ・今夜はヒストリー」も内容が大坂冬の陣です。

Main_29大坂城

http://www.doco-ico.net/staff/osaka/vol_29.html  

     

大坂冬の陣にゆかりのある京都の「方広寺」に行ってきたので、

そのことを書こうと思いましたが、

その前に、「大坂」「大阪」について。

なぜ「大坂」が「大阪」になったか、このブログにも書いておこうと思います。

   

「大坂」の「坂」は、「土に返る」ということで縁起が悪いということで、

「阪」い変わったと覚えています。

他にも説がありました。

次のところから引用します。

「Yahoo知恵袋/大坂→大阪」85

   

漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、

大坂の「坂」の字を分解すると「土に返る」と読めてしまい

縁起が悪いということから、江戸時代ころから「大阪」とも書くようになり、

明治時代には逆に大阪の字が定着する。

一説に「坂」から「阪」への変更は、

明治新政府が「坂」が「士が反する」、

すなわち武士が叛くと読めることから「坂」の字を嫌ったとも、

単に、役人の書き間違えの言い訳から定着したともいう。

     

「士が反する」説は面白い。

とにかく、大阪冬の陣の頃は、「大坂」です。

次の投稿で「方広寺」のことを書きます。

2011年10月17日 (月)

何で「関の山」?

  

今日は10月17日。

今回も子どもの提出する自主勉強より。

    

関の山(せきのやま)。

   

意味は、「一生懸命やってできる可能な限度。精いっぱい」

たとえば、「一日に一冊読むのが関の山だ」と使います。

  

自主勉強のノートで、「関の山」を久々に見かけて思いました。

なぜ「関の山」なんだろう?

   

調べました。

語源由来辞典にこう書いてありました。

    

「関」は三重県の関町(2005年1月11日に市町合併し、現在は亀山市)、

「山」は関東で言う「山車」のことである。

関町から八坂神社の祇園際に出される山は大変立派なものだったため、

それ以上贅沢な山は作れないだろうと思われ、

精一杯の限度を「関の山」というようになった。

    

ほら、また面白いことを知りました。明日子どもに話をしよう。

   

※参考「亀山市観光協会 関宿夏祭り」html

    「斉藤ギャラリー 関のまつり」htm

2011年10月16日 (日)

脱原発の映画・トークその4・・・今こそ、エネルギーシフト

  

今日は10月16日。

昨日の投稿に引き続き、「脱原発の映画・トーク」シリーズその4。

   

10月9日の上映会会場で買ってきた本「今こそ、エネルギーシフト」を読みました。

         

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飯田哲也/鎌仲ひとみ著 岩波ブックレット

    

興味をもった文を引用します。

   

文科省(旧化学技術庁含む)の管轄である高速増殖炉「もんじゅ」の事故の時は、

経産省の管轄下の事故ではありませんでしたから、  

こんな事故を起こすようでは文科省に任せられないとばかりに

経産省はプルサーマル計画に突っ走っていく。

まさに昔の帝国陸軍と海軍の関係とまったく同じ構図だと言っていいのではないでしょうか。

戦艦大和の建造と原発や再処理工場は、

世界の現実や自らの状況を見ようとせず、

過去の成功体験に浸って巨大技術に走るという点でも同じです。

参謀本部が、現実の状況を理解せず無謀な作戦を立てていった、

その思考回路も同じで、国民を平気で犠牲にする思考までそっくりです。

( 飯田哲也 20~21p)

   

NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向ったのか ①~⑤ 戦中編」を見た時に、

上記のような気持ちを持ちました。 

「なぜ戦争へと向かったのか」html

原子力発電が日本でどんどん進んでいったのは、

2つの省のライバル心が理由の一つだったということでしょうか。

3月11日以後の事故対応についても、

2つの省の協力は、充分ではないようです。未曾有の事故だったのに。

    

そもそも、日本の教育の中で、「被曝」や「放射線」の基本を教えるということがされてこなかった、

ということも指摘すべきでしょう。(中略)

反対に、教育に取り込まれてきたのは「わくわく原子力ランド」という副読本で、

原子力発電の優秀さと安全性ばかりを強調したものです。

そして、原子力の日(10月26日)に子どもたちにポスターを描かせて表彰したりして、

まさしく国家ぐるみでプロパガンダを教育の中で行ってきたのです。

( 鎌仲ひとみ 22p)

   

これは教師として耳が痛い話です。

原子力発電に対する漠然とした不安はありましたが、

本当に安全かといった追究はしていませんでした。

ただ教えていました。今さら放射線の怖さを知らせています。

原爆での怖さは教えていましたが、原発の放射線は別モノ扱いでした。反省。

    

日本にとっては、明治維新とアジア・太平洋戦争の敗戦につぐ、

第三のリセット時期に相当するくらいの、

大きな変革期になっていくのではないかと思います。( 飯田哲也 28p)

   

私もそう思います。

常識を疑い、本当に正しいのは何かを見極める時。

そしていい方向に変えていく。

明治維新の激動期をうらやましく思ったことがあります。

停滞していなかった。志を高く持って頑張っていた。

今その気になれば、時代を変えられる、時代を変える子どもたちを育てる、

そんな時期だと思います。・・・大げさかな?

でも身近で当たり前が当たり前でなくなってきたと思います。

   

まず勉強しなさいといったことが書いてありました。

エネルギーについて論じるにあたって、日本人は前提となる知識が足りないそうです。

他の国は1979年のスリーマイル事故をきっかけに、

原発推進から転換して、他のエネルギーについて研究してきました。

日本はこれからです。30年遅れ。

   

4月からエネルギーについて勉強してきましたが、

確かに知らないことが多かったです。

半年前の自分が恥ずかしい。

この本で、また勉強ができました。

 

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