なぜ「大坂」が「大阪」になったか?
今日は10月18日。
今晩放映の「教科書にのせたい」は、愛知県のことが扱われます。
半田市の新美南吉記念館近くの矢勝川。
秋になるとヒガンバナがたくさん咲く場所です。
昨年は見に行ってきました。
※「ヒガンバナを見てきました/矢勝川のヒガンバナ」(2010年10月3日)html
そのヒガンバナを植え始めた人の話が放映されるそうです。
上記の投稿で紹介した「中日新聞お出かけニュース」によると、
幼少時に南吉と遊んだこともあるという小栗大造さんが
「童話の舞台の堤をキャンバスに、ヒガンバナで真っ赤な風景を描く」という思いで
平成2年から球根を植え始めたとのこと。
この小栗さんが紹介されるのでしょう。
明日の晩は、「ザ・今夜はヒストリー」がいい。
次回の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」が、大坂冬の陣をやるにあたって、
偶然にも「ザ・今夜はヒストリー」も内容が大坂冬の陣です。
※http://www.doco-ico.net/staff/osaka/vol_29.html
大坂冬の陣にゆかりのある京都の「方広寺」に行ってきたので、
そのことを書こうと思いましたが、
その前に、「大坂」「大阪」について。
なぜ「大坂」が「大阪」になったか、このブログにも書いておこうと思います。
「大坂」の「坂」は、「土に返る」ということで縁起が悪いということで、
「阪」い変わったと覚えています。
他にも説がありました。
次のところから引用します。
漢字の表記は当初「大坂」が一般的であったが、
大坂の「坂」の字を分解すると「土に返る」と読めてしまい
縁起が悪いということから、江戸時代ころから「大阪」とも書くようになり、
明治時代には逆に大阪の字が定着する。
一説に「坂」から「阪」への変更は、
明治新政府が「坂」が「士が反する」、
すなわち武士が叛くと読めることから「坂」の字を嫌ったとも、
単に、役人の書き間違えの言い訳から定着したともいう。
「士が反する」説は面白い。
とにかく、大阪冬の陣の頃は、「大坂」です。
次の投稿で「方広寺」のことを書きます。
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