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2011年10月16日 (日)

脱原発の映画・トークその4・・・今こそ、エネルギーシフト

  

今日は10月16日。

昨日の投稿に引き続き、「脱原発の映画・トーク」シリーズその4。

   

10月9日の上映会会場で買ってきた本「今こそ、エネルギーシフト」を読みました。

         

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飯田哲也/鎌仲ひとみ著 岩波ブックレット

    

興味をもった文を引用します。

   

文科省(旧化学技術庁含む)の管轄である高速増殖炉「もんじゅ」の事故の時は、

経産省の管轄下の事故ではありませんでしたから、  

こんな事故を起こすようでは文科省に任せられないとばかりに

経産省はプルサーマル計画に突っ走っていく。

まさに昔の帝国陸軍と海軍の関係とまったく同じ構図だと言っていいのではないでしょうか。

戦艦大和の建造と原発や再処理工場は、

世界の現実や自らの状況を見ようとせず、

過去の成功体験に浸って巨大技術に走るという点でも同じです。

参謀本部が、現実の状況を理解せず無謀な作戦を立てていった、

その思考回路も同じで、国民を平気で犠牲にする思考までそっくりです。

( 飯田哲也 20~21p)

   

NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向ったのか ①~⑤ 戦中編」を見た時に、

上記のような気持ちを持ちました。 

「なぜ戦争へと向かったのか」html

原子力発電が日本でどんどん進んでいったのは、

2つの省のライバル心が理由の一つだったということでしょうか。

3月11日以後の事故対応についても、

2つの省の協力は、充分ではないようです。未曾有の事故だったのに。

    

そもそも、日本の教育の中で、「被曝」や「放射線」の基本を教えるということがされてこなかった、

ということも指摘すべきでしょう。(中略)

反対に、教育に取り込まれてきたのは「わくわく原子力ランド」という副読本で、

原子力発電の優秀さと安全性ばかりを強調したものです。

そして、原子力の日(10月26日)に子どもたちにポスターを描かせて表彰したりして、

まさしく国家ぐるみでプロパガンダを教育の中で行ってきたのです。

( 鎌仲ひとみ 22p)

   

これは教師として耳が痛い話です。

原子力発電に対する漠然とした不安はありましたが、

本当に安全かといった追究はしていませんでした。

ただ教えていました。今さら放射線の怖さを知らせています。

原爆での怖さは教えていましたが、原発の放射線は別モノ扱いでした。反省。

    

日本にとっては、明治維新とアジア・太平洋戦争の敗戦につぐ、

第三のリセット時期に相当するくらいの、

大きな変革期になっていくのではないかと思います。( 飯田哲也 28p)

   

私もそう思います。

常識を疑い、本当に正しいのは何かを見極める時。

そしていい方向に変えていく。

明治維新の激動期をうらやましく思ったことがあります。

停滞していなかった。志を高く持って頑張っていた。

今その気になれば、時代を変えられる、時代を変える子どもたちを育てる、

そんな時期だと思います。・・・大げさかな?

でも身近で当たり前が当たり前でなくなってきたと思います。

   

まず勉強しなさいといったことが書いてありました。

エネルギーについて論じるにあたって、日本人は前提となる知識が足りないそうです。

他の国は1979年のスリーマイル事故をきっかけに、

原発推進から転換して、他のエネルギーについて研究してきました。

日本はこれからです。30年遅れ。

   

4月からエネルギーについて勉強してきましたが、

確かに知らないことが多かったです。

半年前の自分が恥ずかしい。

この本で、また勉強ができました。

 

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