2012年4月17日 (火)

ベアトの写真/昔の日本人

  

今日は4月17日。再スタートから4日目。

維新前夜」(鈴木明著)をきっかけに、古写真について書いてきました。

これが6本目。とりあえず最終回。

   

本「続 幕末・明治のおもしろ写真」(石黒敬章著/平凡社)にもベアトのことが書いてありました。

   

EPSON089
5p

ベアトが撮影した生麦事件の現場。

   

EPSON090
12~13p

この写真の左に立っている大柄な人物がベアトだと石黒さんは推理しています。

ベアトはたくさんの写真を撮った人だけど、肖像写真が皆無なのだそうです。

だから、この写真に写っている大柄な人物がベアトだとしたら、

貴重な写真になるそうです。

   

平成8年10月12日の朝日新聞夕刊に、

ベアトの写った写真が発見されたという記事がありました。

この記事、何となく覚えがあるなあ~。

いつか図書館で手に入れてみたいです。

   

ところで写真に写っている人力車について、石黒さんはこう書いています。

  

旅の外国人と、その荷物を運ぶ人足の写真である。

旅の途次写した記念写真であろう。  (中略)

断髪令発布が明治4年、人力車の普及が明治4,5年ということを考え合わせると、

明治5年頃の撮影と想像できる。

人力車は明治2年、和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助の3人の発明になるもので、

明治3年に東京府によって製造及び営業が許可されている。

その後2年くらいで、国内はもとより外国にまで輸出するほどに普及したという。

右に写っている人足2人は腰の入れ方ひとつ見ても、

モデルでなく本物であると分かる。力強いポーズで決まっている。 (7p)

  

   

テレビの時代劇で、幕末や明治の人たちが俳優によって演じられます。

でも、こういう写真を見ると、当時の日本人と現代の日本人は質が違うと感じてしまいます。

体つき、顔つき、目つきなど、違います。

下の写真はもっと感じます。

EPSON091
   

石黒さんも、「鋭い目つきに圧倒されてしまう」と書いています。

確かにそう思います。

駕籠かきや人力車引きだから、体が引き締まっているのかもしれませんが、

たるんでいない体・精神を感じます。

同じ日本人ですが、150年の歴史が日本人を変えてきたのでしょうか。

 

古写真。まだまだこだわりたいテーマです。

屋形船の写真は内田九一撮影

 

今日は4月17日。再スタートから4日目。

前投稿に続いて、本「続 幕末・明治のおもしろ写真」(石黒敬章著/平凡社)より。

  

EPSON088

28pに載っていた写真です。

ドラマ「JIN ~仁~」のオープニングに出てきた写真でもあります。

「JIN ~仁~」のベアトの写真html   

その時にこの写真はベアトが撮影したものとして書きました。

しかし、この本によると撮影者は違いました。

内田九一(うちだくいち)という人の写真です。

1844年生まれで、1875年没。32歳!

肺病を患っての早すぎる死でした。

※参考:「写真が紐とく幕末・明治 幕末・明治初期の写真師・内田九一の没後と、その妻・おうた」141

あの有名な明治天皇の写真を撮影した人でもありました。

Meiji_Emperor
  

この人が初代の社長である内田写真株式会社が大阪にありました。

HPはここ。http://www.uchida-p.co.jp/

   

上の屋形船の写真は、明治初年の撮影のようです。

本にはこう書いてありました。

  

湿板写真の時代であり、露出には数秒かかるはずなのに、

船が全くブレていないのが不思議だった。  (27p)

  

石黒さんは、骨董市で、屋形船の別角度から撮った写真を手に入れます。

(とにかくこまめに写真を収集している石黒さんに感心します)

その写真からの推理で、この船は浅瀬に置かれた船であって、水に浮かんでいないという考えに至ります。

だからぶれずに撮影できたわけです。

面白い!

   

さらに、屋形船の屋根の上に人が乗っていることについて、こう書いています。

   

屋形船の屋根の上に乗る習慣はあったようだ。

江戸東京博物館で開催された企画展「江戸の夏ーその涼と美」に、

屋形船の屋根に乗っている図が二枚展示されていた。

いずれも男性で、懸命に屋根につかまっていた。

その後気にかけていると、屋形船の屋根に乗ってくつろいでいる絵や写真は度々目に留まった。

明治の隅田川は、今よりずっと波がなく穏やかだったようだ。

今は大きな船が通るようになり、その波がコンクリートで固められた護岸で増幅されて、

大波が出来るようになったのだそうだ。

昔の写真を、現在の目で見て判断してはいけないと反省をした。 (30p)   

   

この本を読み、他にもいろいろ調べてみて、古写真は面白いと思う。

どうする?また好奇心が動く。

忙しくなっちゃうよ。

   

次の投稿のつづく。

 

 

明治7年の金星日面通過観測の写真

   

今日は4月17日。再スタートから4日目。 

  

前投稿で書いた「明治7年神戸における金星日面通過観測」の写真の載っている本を

早速入手しました。

本の名前は「続 幕末・明治のおもしろ写真」(石黒敬章著/平凡社)です。

「続」ではない本も入手。両方読みました。

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その写真は70-71pにありました。

EPSON087
  

著者の石黒さんは、古写真をコマめに収集している方のようです。

この写真も骨董屋さんで入手しました。

その時の様子が次のように書かれています。

  

ある骨董屋さんが大砲の写った珍しい写真だと売っていた。

しかしフランス語でObservatoire de Kobe(Japon)、つまり神戸の観測とキャプションがある。

黒い筒は大砲ではなく望遠鏡であろう。

それで私は金星を観測しているのではないかと目星を付けた。

長崎の写真師上野彦馬が明治7年、金星の日面通過を撮影したことを聞き及んでいたからである。

私はこの写真に(大砲でなくとも)うたれた。早速買って帰り・・・・(中略)

数多く焼き付けられ、販売された写真ではないだけに貴重なのである。

金星観測の古写真だけに、金星(きんぼし)を拾った(買ったのだけれど)といえよう。 (74-75p)

    

この写真にももちろん興味がありますが、

古写真を捜し歩くことにも興味あります。

この写真、いくらぐらいの値段がついていたのだろうか。

今年の金星の太陽面通過の頃に、この写真が有名になるような気がします。

石黒さんの名前もきっと出る。

   

   

古写真に関する話、まだつづく。

今年の天体ショー/明治7年の観測の時の写真

 今日は4月17日。再スタートから4日目。

休んでいる間にメモしてあったことを直して、投稿しています。

 

RIMG0572
  

3月31日放映の「ウェークアップぷらす」で、今年の天体ショーが紹介されていました。

キーワードは「

見逃したくいないですね。

金星の太陽通過については、2004年にあったようで、

その時の資料です。

Venustr1 

津村光則氏(和歌山県)作成 (C)Mitsunori Tsumura 2004
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20040608/

    
ここにも歴史あり。

ホロックスはイギリスの天文学者。

友人の協力者クラブトリーと金星の太陽面通過を世界で初めて観測。

その観測結果から、太陽と地球の距離を約1億㎞としました。

ホロックスは22歳(または23歳)で急死。

しかし、名はこうして残っています。

  

1761年の観測がイギリスとフランスの戦争中とあり。

「七年戦争」(1756ー1763年)と呼ばれる戦争の最中でした。

1874年は、明治7年。

日本に外国から観測隊が来ました。

その時の貴重な写真が、次のHPで見られます。

明治7年神戸における金星日面通過観測」htm

HPで紹介されている本「続幕末・明治のおもしろ写真」(平凡社)に興味を持ちました。

あのベアトのことも書いてあるそうです。

図書館にあるようなので、借りてきたいです。

   

    

3月26日の月と金星と木星が並んだのを見逃したのが残念。

20120326

http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2012/201203/0326/index-j.shtml

ちゃんと予定表に書いておいて、どの天体ショーも見逃さないようにしたいです。

   

次の投稿にさらにつづく。

「JIN ~仁~」のベアトの写真


    

今日は4月17日。再スタートから4日目。

  

前投稿で、写真家ベアト兄弟のことを書きました。

そしたら、日本に来日したフェリーチェ・ベアトの記事を見かけました。

3月21日、朝日新聞夕刊です。

EPSON091

EPSON092

  

写真に写っている人が本当に女の人かという記事。

それについても興味はあるけど、

ベアトの写真がドラマ「JIN ~仁~」に使われたと聞いて、

ああなるほど、あの写真かと思い当りました。

「あの写真」もベアトの作品なんだと思い、あらためて見てみました。

昨年放映の「JIN ~仁~」第4話の写真を載せます。

現代の写真とベアトの写真が連続で出てきました。大きな写真です。

  

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以上です。

夕刊の記事を見て、やってみたくなったことをやり通しました。

ドラマでは、面白いことをやっていたんだと気づきました。

    

 古写真に関する投稿、次もつづく。

 

砲台占拠の写真/ベアト兄弟

   

今日は4月17日。再スタートから4日目。

   

維新前夜~スフィンクスと34人のサムライ」(鈴木明著/小学館)を読んだことから、

南京事件やジョンラーベについて調べたことを書いてきました。

今回は古い写真(古写真)について調べていったことを書いてみます。

    

     

「維新前夜」について、詳しく書いてあるブログを発見。

「Go Plan! スフィンクスと27人のサムライ その1」html

「Go Plan! スフィンクスと27人のサムライ その2」html

「Go Plan! スフィンクスと27人のサムライ その3」html

   

「維新前夜」に書いてあり、このブログでも触れているのがこの写真。

Shimonoseki
    

社会科の教科書でおなじみの写真です。

幕末、長州と四国連合(イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)が戦った下関戦争。

1864年8月。

連合軍に長州の砲台を占拠された写真です。

この写真は幕末維新の日本での戦争の唯一の写真だそうです。

撮影者は、フェリーチェ・ベアト。イギリス人。

そして、スフィンクスと武士の記念撮影をしたのが、

フェリーチェ・ベアトの兄弟、アントニオ・ベアト

無題

スフィンクスの写真に、署名が記されています。

EPSON084ベアとのサイン
   

ベアト兄弟は、日本人にとって貴重な写真を残してくれていました。

しかし、日本とエジプトでの写真を、イギリス人兄弟が撮った。

そしてその写真が残っていた。いいなあ、この話。

(次の投稿につづく)

2012年4月16日 (月)

広島カープの野村祐輔投手

   

今日は4月16日。再スタート3日目。

    

広島カープドラフト1位の野村祐輔投手。

446469_c450

実はよく知っていました。

2007年夏の甲子園での広陵高校のエース。

広陵高校と佐賀北高校との決勝は記憶に残っています。

1番打者の櫟浦(とちうら)選手、4番打者の土生(はぶ)選手に注目して、

ブログにも書きました。

駒大苫小牧VS広陵・・気になった苗字「櫟浦」「土生」html

   

あの時、8回に逆転満塁本塁打を打たれたのが野村投手でした。

この映像後半に、その満塁本塁打があります。

 

それ以後頑張って、こうやって広島カープドラフト1位に選ばれた。

素晴らしい。なんかうれしくなってしまった。

4位には土生選手が選ばれています。

あの時の広陵高校は、投打に実力があった選手がいたんだなあ。

あらためてそう思いました。

   

その野村投手。

早くもプロ初勝利を成し遂げました。4月8日DeNA戦のことでした。

これからも注目です。

地元中京高校出身の堂林選手も気になるし、今年は広島カープも楽しみです。

(私は巨人ファンです)   

 

 

2012年のナシの花/季節は廻る

 

今年も梨の花を見ることができました。

写真を載せます。

撮影は4月中旬です。

RIMG0005梨畑全体
  

RIMG0010梨畑全体2
  

RIMG0011花のアップ
   

RIMG0013花のアップ2
   

3年前に観察に行った梨畑。

今年は少々開花が遅めですが、ちゃんと咲いていました。

いい花だなあ。

季節は廻ります。

   

「廻」「巡」・・・どっちの字にするか迷いました。

まわって戻ってくる場合は、「廻」がいいようです。

   

ああ、思い出しました。「季節」「廻る」といったらこの曲。

 

歌詞の漢字はどうなっているかチェックしました。

   

「♪ めぐるめぐる季節の中で 貴方は何を見つけるだろう ♪」

  

ひらがなでした。   

   

    

三明寺にも行ってきました。

桜(サクラ)は少しピークが過ぎてしまいました。

RIMG0020三明寺

定年後に焼き芋専門店

  

今日は4月16日。再スタート3日目。

    

2月29日朝日新聞の記事。

EPSON08焼き芋の記事
  

愛知県の碧南市にある焼き芋専門店の話題。

店主は62歳の方。

「定年後は人と関われる仕事がしたい」ということで、

縁があって焼き芋屋さんになったそうです。

いいなあ、この生き方。

「たかが焼き芋といっても奥が深い」

その通り。

人と関われて、ある程度の収入があって、

さらに追求できるのがうれしい。定年後の仕事としてはいいですね。

   

一度食べに行きたい。

店名は「やきいも丸じゅん

HPもブログもあります。

※HPhttp://yakiimo-marujun.com/about/

※ブログhttp://ameblo.jp/yakiimo-marujun/

月曜定休。・・・定年後も6日間も働いているんだ。

ここにあり。

 

 

映画「ジョン・ラーベ」(2009年)について

   

今日は4月16日。再スタート3日目(10日目まで書こうと思います)

前投稿のつづき。

    

今回、「南京の真実」を読んだのを機会にいろいろ調べました。

映画「ジョン・ラーベ」が2009年に作られていたことが印象に残りました。

ドイツ・フランス・中国の合作映画。

日本での上映はないのですが、youtubeで一部見ることができました。

youtubeに投稿された理由が、この映画に出演した日本人俳優への批判のためでした。

映像と、俳優への批判の文章、そして出演した俳優の1人香川照之さんの発言が載った記事を転載します。

   

 

   

映像投稿者の文章。

香川照之は、中国のプロパガンダ映画「ジョン・ラーベ」に出演した。

演じた役柄は実在の皇族である朝香宮鳩彦王。

伏見宮家出身の宮様だったが、明治天皇の8女と結婚してい­たため、昭和天皇の義叔父にあたった。

この映画によると、日本軍は包囲戦で南京の降伏を促すつもりだったが、

「昭和天皇の叔父」である朝香宮殿下(中将)の命令で、捕虜を認めない皆殺し作戦に変更された。

とこ­ろがARATAが演じる架空の少佐は捕虜を何千人も収容してしまった。

朝香宮殿下(中将)はARATA少佐を叱責し、皆殺しを命じた。

松井石根大将はARATA少佐の所業­に大激怒したところ、

ARATA少佐は実は朝香宮中将の命令だったとカミングアウト(告げ口)する。

このあとの発言がこの映画のキモだ。

「私の甥である天皇陛下は、迅速な勝利を望んでおられます。

現代的な戦争、大日本帝国の優位を反映させます。明日の夜明けに南京を攻撃します」

映画は昭和天皇の叔父の発言を通じ、

30万人(映画のエンディングで30万人虐殺と文字がでる)におよぶ南京における大虐殺は

昭和天皇の意思・命令だったと暗に主張してい­る。

日本と中国は交戦中であり、人が一人も死なないはずはない。

しかし南京入城時、大規模な虐殺があったかどうかは、きわめて疑問が多い。

少なくとも朝香宮殿下が中心になって大虐殺を行ったなどという事実は、どんな資料にも見当たらない。

とんでもない濡れ衣である。冤罪である。香川照之は冤罪に加担した。加­担どころの話じゃない。

香川照之は冤罪の首謀者だ。

香川照之はこの映画の「功績」が認められ、2009年4月28日、中国の北京で第1回ジョン・ラーベ賞を受賞した。

授賞式はドイツではなく、なぜか北京だった。香川はこの­映画の出演を通じ、莫大な財産を築いたのだろう。(中略)

香川照之は「日本国」「日本民族」「天皇家」「日本国民」「日本の歴史」に対する反逆者だ。逆賊だ。

フィルムは永久に残り、香川照之は逆賊としての汚名を永久に払拭できな­い。

香川照之は日本人に何の恨みがあるのだろう?朝香宮殿下に何の恨みがあるのだろう?

   

   

次は中国発の記事。2009年4月1日。

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0401&f=national_0401_016.shtml

中国、ドイツ、日本で上映を予定していた中国、ドイツ、フランス合作の『ジョン・ラーベ』が、

日本での公開を断念したことが明らかになった。

この中国版『シンドラーのリスト』は、国際的視点で南京大虐殺という歴史的事件を正面から描いていることから、

日本での上映は全面的に禁止され、日本の映画配給会社も映画を見ることさえ断ったという。

◆日本での上映を断念

日本国内で批判の声を浴びているのが、『ジョン・ラーベ』で朝香宮鳩彦親王役を演じた香川照之さんだ。

「この役は多くの人の批判を招くと思うが、自分がこの役を演じて経験したことはとても意義がある」と香川さん。

また日本国内で上映されないことについては、「日本で南京をテーマとした映画は普通上映できないし、

日本人も撮影しない。しかしこの映画が少しでも中国の人たちの苦しみを取り除いてくれるよう望んでいます」と話す。

映画に出てくる朝香宮鳩彦親王は裕仁天皇の叔父にあたる。

南京大虐殺で重大な責任を負っていたが、戦後は皇族の身分で軍事法廷に出なくて済んだ。

このような非常に敏感な役を、香川さんという日本でもよく知られている俳優が演じたことで、

不快感を示す日本の右翼の人も多い。

『ジョン・ラーベ』は4月2日からドイツ、4月28日からは中国、

11月にはベルギー、フランス、イタリア、スペインでも上映されることになっている。

しかし日本はこの映画に対して沈黙あるいは拒絶の態度をとっていたため、

『ジョン・ラーベ』は日本での上映をあきらめざるを得なかった。

◆日本人役は必ず日本人が演じるべき

『故郷(ふるさと)の香り』と『鬼が来た』などの中国映画に出演したことのある香川さんは、

中国の観客にもよく知られている日本俳優の1人だ。

去年、国内外で多くの賞に輝いた『トウキョウソナタ』にも出演している。

『ジョン・ラーベ』が世界で好評を博した後、日本国内では批判の声が聞かれるようになった。

業界の人たちは、どうしてこの映画に出たのかと香川さんに直接聞くこともあり、

「プレシャーは相当大きかった」という。

「この映画を見て、本当に日本人は残忍なことを多くしたのだということを知りました。

確かにそれを受け入れることは非常に難しい。難しいですが、現代の人たちにこの歴史を語る必要があります。

そういう意味では、私は確かにこのようなテーマの映画が好きです」

ガレンベルガー監督は、朝香宮鳩彦親王役を選ぶ際に多くの日本の俳優と会った。

しかしほとんどの俳優が出演を断り、最終的に引き受けたのが香川さんだ。

「脚本を見た時に、この映画に出るべきだと思いました。

その国際的な視点は現代の観客の反省を促すことができるからです。

多くの人が、日本人としてどうしてこのような日本人を演じることができるのかと言うかもしれませんが、

この役はやはり必ず日本人が演じるべきなのです」

   

この映画についてどう思うか、これだけの情報では難しいです。

歴史上の事件を扱う映画はこういうものなのか。

以前、映画で歴史が勉強できると思って、実行したことがありました。

でも十分気をつけないといけないと思いました。

今までの自分の教え方は良かったのだろうか?一面しか教えていなかったのでは。

ふと、積読(つんどく)してあった本を思い出しました。

その本の名は「映画でまなぶ世界史」(家長知史著/地歴社)。

1995年からの積読。読んでみようかな。

     

次のサイトの映画評も参考になった。

http://yohnishi.at.webry.info/201108/article_12.html

 

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