上海上陸作戦その3・・・「見事に死んでほしい」と言われる時代
今日は1月3日。
前投稿のつづき。
「上海敵前上陸」(三好捷三著 図書文化社)より引用。
「命令。本隊は今朝四時を期して前面の青島に強行上陸を敢行する。
この軍事行動の中心部隊は第三大隊である。終わりっ!」
これをきいた私たちは静まりかえってしまった。
命令をおえると大隊長は顔をやわらげて、
「前面の青島には大部隊のシナ兵がいるという情報がはいっている。
おそらく激戦になると思う。
大隊長も死ぬ覚悟をしているから、お前たちも死んでくれ。
おれは今いったように生還を期していない。
戦争は軍人にとってはヒノキ舞台であるから、
けんめいに戦って見事に死んでほしい。
お前たちの長い苦しかった訓練も、今日一日のためのものである。
おたがいに健闘を祈って戦おう」
といった。この道下大隊長の話を聞いていると、
お前たちの命はあと二、三時間で終わるのだ、終わらすのだ、
といっているようにも思えたが、私にはどうしてもピンとこなかった。
あと二、三時間で死ぬなど、とうてい現実とは思われず、
また思いたくなかったからである。(50p)
「見事に死んでほしい」と言われる時代である。
それも命はあと2~3時間。
信じられないし、信じたくないことです。著者に共感します。
結局青島への上陸作戦は中止となり、上海のウースン(呉淞)上陸となります。
ウースン上陸作戦中、手榴弾だ配布されるが、日露戦争当時の残品。
旧式のもので、あまり役に立ちませんでした。
これは軍隊の兵隊蔑視のせいだと著者は憤っています。
当時の国民は、なんとかして兵役をのがれようとして努力していた。
長男は兵隊にとられないといわれると、
子のない他家に入籍して長男となったり、
徴兵検査に不合格になるために検査の前に減食して体重を減らしたり、
醤油を大量にのんで身体の調子を悪くしたりすることがあったそうである。
それに日本では、一銭五厘のハガキ一枚で徴兵検査をして兵隊にすることができたので、
兵隊には「一銭五厘」という蔑称があった。
私も現役時代によく一銭五厘といわれたものである。
また、軍隊ではよく兵隊より馬が大切だといわれた。
それは、馬を手に入れるには大金を必要とするが、
人間はハガキ一枚で簡単に補充することができるからであった。
このことが軍の兵隊蔑視の思想となり、
人間軽視の用兵となっていったものと思う。
じっさい、軍隊の用兵には人間性というものはどこにも感じられなかった。(67p)
したがって敵前に上陸して、多くの犠牲者を出す作戦が行われたのでしょう。
(つづく)
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