2013年1月 3日 (木)

「北条義時」より・・・調伏・天皇上皇に逆らうこと

 

今日は1月3日。

 

1日~2日は奥さんの実家でゆっくりしました。

1日はドラマ「御鑓拝借」「相棒」を見て、

2日は「箱根駅伝」を見ました。

日体大が往路優勝。じっくり見ました。

なのに、1年経つと「どこが優勝したっけ?」となります。

どういうこと?もう少し記憶さん、しっかりしてよ。

 

 

昨日に引き続き、半世紀前に出版された「北条義時」(安田元久著/吉川弘文館)より。

 

後鳥羽上皇は、公家社会で最も頼みとした神仏の加護を重視して、

延暦寺・東寺・仁和寺などに命じて、

五月の初めから義時調伏(ちょうぶく)の修法を秘密裏に行わせた。

調伏とは仏の力に頼って怨敵を降伏させたり、

あるいは人を呪詛(じゅそ)して殺すことであって、

そのための祈祷が行われたわけである。

近代人の意識からすれば、呪詛とか調伏とかはおよそ無意味かも知れない。

しかし中世の人々にとっては、公家といわず武士といわず、

また一般の農民・庶民に至るまで、誰しもが、これを信じ、

仏の力によって絶大な効果をあらわすものと考えていた。(190p)

 

これも興味深い話です。調伏呪詛の力が信じられていた時代もあった。

鎌倉時代がそうだった。

そういう前提は、歴史を見ていくときに大事だと思います。

 

 

承久の乱の直前の話。

 

軍事の上からみれば義時の勝算はまず間違いないであろう。

しかしここに一つの、しかも最も重大な障(しょうがい)があった。

それは「一天万乗の君」に向って攻撃をしかけることの不利である。

中世の武士たちの意識の中にも、天皇や上皇に向って弓を引くことを、

道徳的な悪であるとする傾向は強く、また決定的であった。(192p)

 

承久の乱は、今考える以上に、武士にとって勇気のいる戦いだったようです。

 

「障害」ではなくて「障」でした。

「碍」という漢字に馴染みなし。

「碍子(がいし)」は「電柱や鉄塔に取り付ける絶縁体の器具」のこと。

Dzsyg005
AH!電柱好き少年ゴロンディーナー

会社「日本碍子」も1986年に「日本ガイシ」に社名変更しています。

なかなか出会えない漢字です。

 

2013年1月 2日 (水)

「北条義時」より・・・南都北嶺・官打ち

 

今日は1月2日。

 

半世紀前に出版された「北条義時」(安田元久著/吉川弘文館)より。

 

平氏に対抗する勢力として、14pに「南都北嶺(なんとほくれい)」という言葉がありました。

「南都」は「奈良の興福寺」を指すことは、この投稿をまとめていて知りました。

今晩大仏殿が炎上する

それでは「北嶺」は?

調べてみました。

 

「南都北嶺」について、辞典にこう書いてありました。

 

南都とは、北に位置する平安京に対する平城京すなわち奈良の都をいうが、

とくに、中世になって都市的発展をみせたかつての外京地域に位置する

東大寺・興福寺などの寺院やその周辺地域を指していう。

ひいては、これらの寺院のなかでもとりわけ強大な力を誇った興福寺を、

また同寺およびそれを中核とする寺社勢力を意味した。

一方、北嶺は直接には比叡山延暦寺のことであるが、

南都北嶺と総称する場合には、園城寺(おんじょうじ)(三井寺)などを含むこともある。

 

なるほど~。本を読んだことで、また一つ勉強ができました。

 

 

また官位の昇進を唯一の望みとした実朝に対して、

院当局はその希望にまかせて、しきりに将軍実朝の官位をすすめ、

健保六年正月に権大納言、三月兼左大将、十月内大臣とし、

その十二月には二十七歳の若さでついに右大臣に任ずるに至ったが、

この官位の陞叙(しょうじょ)は、朝廷が実朝をいわゆる「官打ち」にするためであったと言われる。

官打ち」とは、分不相応な官位の昇進を行い、その人が官位の重さに負けて、

生命をちぢめることを期待するという方策であり、当時の社会では、

そのようなことが信じられていたのである。

この「官打ち」を意図したという説は、『愚管抄』の著者慈円が述べたところであるが、

当時の京都側が、皇族将軍の実現のために、

実朝の死の早からんことを望むという客観情勢は、たしかにあったと思う。(167-168p)

 

官打ち」という言葉も知りました。

実朝に朝廷が積極的に官位を与えていたことは知っていました。

でもこんな魂胆があった(可能性があった)とは。

 

2階窓からの初日の出

 

今日は1月2日。

 

昨年パソコンが壊れて、今までの年賀状の住所が消えてしまいました。

探し出せなかったので、今回は住所を打ち直しました。

うった後に「保存」ボタンを押さなかったことがあったようで、

住所が保存されていなくて、

いつも出していた人なのに、何人か年賀状を出さなかった人がいたことが判明。

あわてて今年になって年賀状を出しました。失礼しました。

やっぱり確認が大事です。

 

 

1月1日の初日の出を見ようと思って早起きしました。

我が家の2階の窓から、日の出を待ちました。

どの辺りから出るのかなと思ったら、2本の電信柱の間から出てきました。

 

RIMG2124

RIMG2125

 

雲があって、きちんとした輪郭が見られませんでしたが、

なかなかいい初日の出でした。

来年も、同じ窓から見たら、2本の電信柱の間から出てくるはず。

当たり前のことかもしれませんが、2本の電信柱の間から出るかどうか、

来年も同じ場所から初日の出を見ようと決めました。

 

 

今年は、全国でもあまり初日の出はきれいに見られなかった模様。

残念でした。

2013年1月 1日 (火)

日めくりより・・・最後の1枚・色外に現る・垢(あか)

 

今日は1月1日。

ついに始まった2013年。どんな年になるかな。

ブログは3119本目からスタート。

 

年末に注文した日めくりがまだ届きません。

新しい年が始まってしまったにもかかわらず。

注文するのが遅かったです。

 

昨年の日めくりのラスト1枚はこれでした。

 

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終わりよければすべてよし

めくってこれを見たときは笑っちゃいました。

最後の1枚らしい言葉です。

私にとっては昨年はそんな感じです。

10年ぶりに病気でダウンして休みました。

迷惑をかけました。

復活してから、ゆっくりゆっくり離陸。

現在、夢中で飛行中です。

 

 

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思い内にあれば色外に現る

物事いいふうにいいふうに考えていきたいです。

不満だらけだと、それが表に出ます。

近寄りがたい人間になってしまいます。

不満をため込まないように。

不満だと思うことがあったら解決を目指そう。

なるべく「うれしいな」「好きだなあ」「面白いなあ」「楽しいな」

といった気持ちが心の中で多くを占めるようにしたい。

 

 

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垢も身のうち

どういう意味だろうと思って説明を読みました。

こういう意味だったのですね。

「腹も身のうち」をもじった言葉と聞いてなるほどと思いました。

でもこうやって冷やかすような、度を過ぎた人は、

自分の身のまわりで気がつかないな~。

使わないですんでしまいそうな言葉です。

 

 

 

2012年12月31日 (月)

花の観察を続けたらどうなるだろう?

 

今日は12月31日。いよいよ大詰め。

 

これが3118本目の投稿。

2012年の最初が2449本目でしたので、

この1年で670本。

花に夢中になったために、花の写真をたくさん載せて本数が増えました。

 

まさか自分が花に夢中になるなんて、1年の始まりには思いませんでした。

でもよかった。身近にあっても見えなかったものが、見えるようになりました。

最近はちょっと離れていますが、きっと今から春に向けて

加速度的に花に夢中になっていくと思います。

花の写真を載せ始めたのが5月なので、

来年の5月を迎えると、季節を一周することになります。

今の目標です。

 

そして2周目。

1年目に見逃した花々をまた撮影していくと思います。

3周目、4周目・・・・と花の観察を続けていったらどうなるのだろう。

何が起こるのだろう。

将来の楽しみです。

 

 

あと10分ほどで2012年も終わりです。

今年は一度ダウンして周りの人を心配させました。

すみませんでした。

おかげさまで復活。

思ったよりいい状態で1年を終えられます。ありがたいことです。

 

来年はどんなことに夢中になるのだろう。

自分のことですが予測不能です。

 

 

読んでくれている人にとっても、来年が良い年になるといいです。

あと3分。

 

 

2012年12月30日 (日)

日めくりより・・・大吉は凶に・アイディア勝負・逸する×

 

今日は12月30日。

 

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大吉は凶に還る

もうじき正月。そして初詣。

おみくじを引くことになると思います。この言葉を思い出そう。

「小吉」や「中吉」がベストかな。ほどよく行こう。

でも「大吉」を引いて、「大吉」状態を体験してみたいとも思います。

 

実は・・・・お世話になっている占い師さんによると、

来たる2月の節分以降は、調子がよくなる1年。

いろいろ思うように行くようです。「大吉」状態かも。

しかし、その次の1年はよくない。

調子がよい1年のうちに精神を強くして、その次の良くない1年を乗り切れとのお達し。

何かコワイ。やっぱり「大吉は凶に還る」ですね。

 

 

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凝っては思案に余る

このことわざの意味を、次のように説明している辞典もありました。

わかりやすい。

 

一つのことにあまり集中すると、かえって良い考えが出ないものである。

常に気持ちにゆとりをもって、事に当たることが必要であるという教え。

 

教師は「アイディアと根気と笑顔」だと思っている私としては、

アイディアが浮かばない状態は、とんでもないこと。

行き詰ったら、「凝っては思案に余る」を思い出そう。

 

 

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遅い助けは助けにならぬ

このことわざを見て、確か、「遅きにいっする」と言った言葉があったぞと思って調べました。

遅きに失する(おそきにしっする)」でした。

意味は「遅すぎて間に合わなくなってしまう。用をなさない」

うろ覚えだった「遅きに逸する(いっする)」は、なんと間違いでした。

時期を逸するイメージから、「遅きに逸する」と思っていました。

あぶない、あぶない。

 

来年も世のため人のために頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

2012年12月29日 (土)

日めくりより・・・惣領の甚六

 

今日は12月29日。

 

またまた天気予報をよく見ていませんでした。

午前中天気が良かったので、布団まで干しました。

ところが気づいたら、空は一面に雲。

布団が干してあるのが恥ずかしいくらい。

急いで取り込みました。

国際宇宙ステーションも見える可能性なし。

前投稿を書いた時には思いもよらない事態でした。

 

さて日めくり紹介。

 

EPSON156

 

惣領の甚六

「惣領」については、先日の投稿で書きました。

「北条政子」より・・・父が同じでも母が違えば他人も同然

昔、後継争いで、兄弟がすさまじいけんかをすることがありました。

それをふせぐために、のちの武家社会では、長男に権威をつけて惣領としました。

「惣」は「全部をまとめる」という意味があります。「領」は「領地」

すなわち領地全体の管理者とし、弟たちは絶対これに服従させることにしました。

武家社会で生まれた言葉だったわけです。

 

「甚六」は「碌(ろく)でなし」を連想させる言葉。

 

辞典には「惣領の甚六」の意味を、こう書いてありました。

  

長男や長女がだいじにされてのんびりと育てられ、

これといった才能もなく、また努力もしないで家禄を相続できたため、

他の兄弟姉妹に比べてうすぼんやりしているさまをあざけっていった。

転じて、うすぼんやりした人やお人よし、愚か者をいう。

 

兄弟のあらそいが怒らないようにした工夫が、

結果的にこの言葉を生んだと言えます。

「惣領」のいわれを知って、ちょっと知識に厚みができました。

 

日の出(最遅)日の入り(最早)時刻調べ

 

今日は12月29日。

 

昨晩は久しぶりの人たちと飲み会。

皆さん元気で何より。

気持ちよく飲んでいたら、うっかり終電に遅れてしまいました。

雨もやんでいたので、歩きだしたら、

ついつい家まで歩いてしまいました。

1時間10分。夜中の12時を過ぎていました。

歩いている人はあまりいませんでした。(当然か~)

濡れた道路に月明かりや街路灯などの光が反射して、

なかなか洒落た道を歩いてきました。

 

 

天気予報をしっかり見ていませんでした。

今日はこんなに晴れるのですね。

それなら今晩の国際宇宙ステーションの観察は可能性大。

見え始めは18時14分30秒(北西)

見え終わりは18時17分30秒(北東)

観察してみませんか。

地上から400km上空を秒速7.7kmで移動する国際宇宙ステーションをぜひ。

 

 

かねがね調べてみたいことを、年末の忙しい時に調べました。

日の入りが最も早くなるのはいつか。

日の出が最も遅くなるのはいつか。

 

 

日の入り時刻の推移を書き並べてみます。

場所は豊川市で計算しました。※日の入り日の出時刻を計算できるサイト

 

2012年

11月24日 16時39分

11月25日 16時39分

11月26日 16時38分

11月27日 16時38分

11月28日 16時38分

11月29日 16時38分

11月30日 16時37分

12月 1日 16時37分

12月 2日 16時37分

12月 3日 16時37分

12月 4日 16時37分

12月 5日 16時37分

12月 6日 16時37分

12月 7日 16時37分

12月 8日 16時37分

12月 9日 16時37分

12月10日 16時37分

12月11日 16時38分

12月12日 16時38分

12月13日 16時38分

 

日の入りは11月30日~12月10日の16時37分が最も早かったです。

この期間の中日である、12月5日が1年で最も日の入りが早いということかな

12月5日。皆さんは何をしていましたか?

私は、腕時計の電池を交換した日でした。

ちなみに今日(12月29日)の日の入りは、16時46分。

どんどん遅くなっていて、来年の1月15日には17時になります。

 

 

それでは日の出時刻の推移を書き並べます。

 

2012年

12月29日 6時57分

12月30日 6時57分

12月31日 6時57分

1013年

 1月 1日 6時57分

 1月 2日 6時58分

 1月 3日 6時58分

 1月 4日 6時58分

 1月 5日 6時58分

 1月 6日 6時58分

 1月 7日 6時58分

 1月 8日 6時58分

 1月 9日 6時58分

 1月10日 6時58分

 1月11日 6時58分

 1月12日 6時58分

 1月13日 6時57分

 1月14日 6時57分

 1月15日 6時57分

 

1月2日~1月12日の6時58分が最も遅い日の出時刻となります。

この期間の中日の1月7日が1年で最も日の出が遅い日と考えられます。

始業式の日ですね。

 

12月5日が最も日の入りが早い日。

1月7日が最も日の出が遅い日。

そしてその中間の12月21日が冬至で最も昼が短い日。

うまくできているなあ。

 

調査終了。

 

2012年12月28日 (金)

「北条政子」より・・・曾我兄弟のかたき討ち

 

今日は12月28日。

  

本「北条政子」(永井路子歴史小説全集9/中央公論社)より。

  

この本を読んで、曾我兄弟かたき討ちに関心をもちました。

日本三大かたき討ちは、次の3つ。

1193年 曾我兄弟かたき討ち

1632年 伊賀越えのかたき討ち(鍵屋の辻の決闘)

1703年 赤穂浪士のかたき討ち

  

赤穂浪士は有名です。

伊賀越えのかたき討ちは、昔、NHKで素晴らしい時代劇が作られ、じっくり見ました。

(あの時代劇をまた見たい!1990年の『荒木又右衛門 決戦・鍵屋の辻』だと思います)

しかし、曾我兄弟かたき討ちはいま一つわかっていませんでした。

  

永井さんは、曾我兄弟のかたき討ちは、単純に父親を殺した恨みを晴らすだけのものではなく、

頼朝の暗殺までを考えたクーデターだったのではと書いています。

現場は富士の裾野。

そこで起こったかたき討ちの実際はどうだったのでしょう。

調べて勉強になったサイトがここ。

秦野エイト会 曾我物語

じっくり読んでしまいました。

いろいろな説がありますが、単純なかたき討ちではなかったようです。

  

「北条政子」を読んで、このかたき討ちについてくわしく知ったのがうれしいです。

  

 

 

「北条政子」より・・・父が同じでも母が違えば他人も同然

  

今日は12月28日。

  

本「北条政子」(永井路子歴史小説全集9/中央公論社)から引用します。

 

源頼朝と義経が仲たがいしたことについて書いた文章です。

   

この有名な兄弟の仲たがい事件を、これまではとかく、

頼朝の嫉妬や猜疑心、またはまわりからの讒言(ざんげん)やら兄弟の離間を策した

朝廷側の陰謀などとみているが、それはまちがっているか、あるいはごく一部しか見ていない議論である。

第一、頼朝というこの男、女癖は悪いが政治感覚は鋭敏だ。

二十年間流人で我慢してきただけあって、自分の感情を殺すことに馴れている。

個人的な感情で大局を見失うようなことは決してしない人物である。

その彼が九郎の戦功をねたんだなどというのは、少し子供っぽすぎる。

それよりもまず第一に考えねばならないことは、

当時と今では「兄弟」という血筋のけじめがまったく違っていたということだ239p)

  

今の「兄弟」関係がどう違うのか。さらに引用します。

   

そのころ、厳密な意味で「兄弟」というのは、

母を同じくする子供たちだけで、父が同じでも母が違えば、まず他人も同然だった。

しかも、ものをいうのは母の家柄で、家柄が悪ければ、

たとえ先に生まれていても、跡継ぎにはなれない。

げんに頼朝は義朝の三男だが、母の出がよかったので、

はじめから嫡男あつかいだった。(中略)

しかも、子供たちは母の家で育つから、母が違えば顔も知らない場合が多い。

これでは兄弟の情などは起こらないのがあたりまえで、

顔をあわせてもしっくりゆかない。

それどころか、ときには他人よりもすさまじいけんかになることもある。

それをふせぐために、のちの武家社会では、

長男に権威をつけて惣領ーーーすなわち領地全体の管理者とし、

弟たちは絶対これに服従させることにした。

この「惣領」ということばはつい最近まで生きていて、

長男が家の中で絶対権力をもっていたのはご存じのとおりである。239-240p)

     

今とは違う兄弟関係に驚きました。

義経は頼朝を兄上として親しく接しようとし、弟だから許されるだろうと甘い面もあったようです。

しかし、頼朝は兄弟だから許していては、他の御家人たちにしめしがつきません。

義経が朝廷から官職をもらったことは、それを禁じていた頼朝としては、

許せなかったことだったのでしょう。

兄弟の情も薄かったこともあり、頼朝が義経を追いやった結果になったようです。

  

父が同じでも母が違えば他人も同然。

特に驚きました。

母でさえ、乳母が子どもの面倒をみるので、子どもとの交流が少ない。

昔はちゃんと理由があったと思いますが、なぜこのようにしていたのでしょう。

まだまだ知らないことあり。

(つづく)

  

 

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