2013年1月 6日 (日)

「天地明察」より・・・保科正之

 

今日は1月6日。

 

前投稿に続いて、11月に読破した「天地明察」(冲方丁著/角川書店)より。

 

保科正之も「天地明察」では重要な役をしています。

保科正之は、徳川家光の異母弟。

3代将軍家光と4代将軍家綱を補佐した人。

春海の暦作りにも援助をします。

保科正之に関する記述を、たくさん引用します。

 

”凶作、飢饉、飢餓”

調べれば調べるほど、飢苦餓亡が領民を暴発せしめる第一原因なのだと確信された。

そしてそこで正之の天性とも言える”疑問する才能”が大いに発揮されることとなった。

”なぜそもそも凶作になると飢餓となって人は飢える?”

およそどの大名も疑問にすら思わなかったような、

根源的な問いを抱いたのである。

それは同時に、戦国から泰平へと世が移り変わる上での思想の変転そのものだった。

覇道に奔走する者たちにとって、災害援助や飢餓救済など、ある程度美談である。

しかし結局は、”贅沢”に過ぎない。

凶作は天候によってもたらされ、天候は天意であった。

その天意の結果、地に飢民が生ずるというのは、人の身でどうこうできるものではなく。

”仕方なく慎む”

べき事柄であった。いたずらに騒いで神に祈ったり対処したりすれば出費がかさみ、

領国を疲弊させる。そのため飢饉の折には、領主は自己の人徳を慎み、

領民は彼らの道徳を慎む、良い機会とすべきである。

そういう発想こそ常識だったのである。276~277p)

 

行いが悪ければ、天候が悪くなる。

そんな発想があったのでしょうか。

今なら「そんなことはない」と言えます。

保科正之は、当時の常識を覆していきます。

 

むしろ民が飢えるときこそ治世に都合が良く、

みなに質素倹約の貴さを教える好機である、という常識を、

正之は根こそぎ否定した。

そしてただ否定するだけでなく、

”凶作において重税を課し、領民を疲弊させるばかりでなく

飢えに陥らせるのは、慎みでも質素倹約でもなく。

ただの無為無策である”と断定した。さらには、

”凶作において飢饉となるのは蓄えがないからである”

というきわめて単純な解答を出し、

”なぜそもそも蓄えがない?”となおも疑問を続けた。

”民のために蓄える方法を為政者たちが創出してこなかったからである”

と過去の治世を欠点を喝破(かっぱ)し、

”凶作と飢饉は天意に左右されるゆえ、仕方なしとすれども、

飢饉によって飢餓を生み、あまつさえ一揆叛乱を生じさせるのは、君主の名折れである”

という結論に達したのである。

これこそ正之という個人が到達した戦国の終焉、泰平の真の始まりたる発想の転機となった。227~278p)

 

島原の乱が、戦国の世から泰平の世の転換期だと、

テレビの番組で聞いた覚えがあります。

その大きな発想の転換にかかわったのが、保科正之だったんだと思いました。

もう少し続きを引用します。

 

正之はまず、将軍とは、武家とは、武士とは何であるか、という問いに、

”民の生活の安全確保をはかる存在”

と答えを定めている。

戦国の世においては、侵略阻止、領土拡大、領内治安こそ、

何よりの安定確保であろう。

では、泰平の世におけるそれは如何に、という問いに、

”民の生活向上”と大目標をさだめたのである。(中略)

その政策が、ことごとく、戦国の常識を葬っていったことにあった。(278p)

 

江戸の生活用水を確保するために、玉川上水の開削をしました。

明暦の大火で、江戸が焼けた時は、備蓄米を放出しました。

火災で焼けた江戸城天守閣の再建をストップさせました、などなど。

 

 

この人が、教科書に登場してこなかった理由として、

死ぬ前に、正之が国策に関わった記述のある文書を全て処分させたのが大きいのかな。

彼のやったことを伝える資料が少なかったことが予想されます。

名誉も金もいらない、江戸時代の初期にすごい人がいたんだと知りました。

 

 

 

 

 

 

「天地明察」より・・・研鑽のためなら

 

今日は1月6日。

 

前投稿に続いて、11月に読破した「天地明察」(冲方丁著/角川書店)より。

 

渋川春海が観測事業で一緒に旅をしている建部昌明と伊藤重孝に、

関孝和のことを紹介するところがあります。

 

「一つ気になっていたのですが、それはなんの本なのでしょう」

伊藤が、春海の傍らに置かれた本を指さして言った。

先ほど月蝕観測の際に、春海が慌てて手渡した、関孝和の稿本である。

「これは・・・」

口ごもりつつ、とある算術の達人による稿本である、と告げるや、

「名は?」

「いずこの方で?」

たちまち建部と伊藤が一緒になって食いついた。

勢い、春海は金王八幡の算額絵馬のことや磯村塾や

”一瞥即解の士”たる関孝和について話さざるを得なくなり、

「そのような人物が江戸にいるとは」

建部など力いっぱい拳を握りしめ、

「ぜひ弟子入りしたい」

はっきりそう言った。なんと伊藤までが首肯(しゅこう)している。

この二人の老人にとって研鑽のためなら三十も年下の若者に

頭(こうべ)を垂れることなど苦でも何でもないらしい。それどころか、

「だいたいにして若いしというのは実によろしい」

「ええ、ええ。教えの途中で、ぽっくり逝かれてしまうことがありませんから」

などと喜び合うのだった。207p)   

 

この本を読んで、一番印象に残ったのは、実はこのシーン。

自分がベテランと言われる年になっているにもかかわらず、

まだ自分の未熟がどうしようもない。

でも学ぶ場に行くと年下ばかりになってきてしまいました。

※参考:2011高崎報告1・・・愛知県から1人でした

講師の先生も年下。

この伊藤重孝や建部昌明のような態度はいいなと思いました。

 

若い講師に出会っても、今の自分を否定しなければいいのです。

今の自分は、今までベストを尽くして出来上がってきたもの。

でも人間は一生完全にはなれない。

至らないところを補ってくれる講師に出会ったら教えてもらえばいいのです。

だから講師は老若男女関係なし。

学ぶのをやめる必要もなし。周りが若者ばかりでも。

 

1月12日。兵庫に行って勉強してきます。

 

「天地明察」・・・「関孝和」に命が吹き込まれた

 

今日は1月6日。

 

明日は始業式。

そしておそらく日の出が最も遅い日。

太陽で考えれば、最も底の日。

明日を境に上向きになります。そう考えれば最底(さいてい?)も悪くない。

※参考:日の出(最遅)日の入り(最早)時刻調べ

 

 

11月に読破した「天地明察」(冲方丁著/角川書店)より。

※参考:「生き方」を意識したい/冲方丁さんの記事(11月23日の投稿)

 

この本の主人公は渋川春海(1639年12月27日~1715年年11月1日)です。

そして脇役ながら、しっかり存在感を出しているのが、

関孝和(1642年3月?~1708年12月5日)です。

学生の頃に、江戸時代の和算家として社会科で暗記した人物名に過ぎなかった関孝和。

今でもありそうな名前だと思っていた「関孝和」

「天地明察」を読んで、名前だけだった関孝和に、命が吹き込まれた感じになりました。

稀有(けう!)の天才として描かれていました。そんな一場面。

 

初めてその男が塾を訪れたのは去年のことだ。

最初は壁に貼り出された問題を眺めたり、

塾の者たちの問答の応酬を横で聞いたりしているだけだったという。

門下に入りたいのかというと、そうではなく、ただ距離を置いたところから、

塾の様子を眺めているという感じだった。

だがそのうち、誰かが、あなたも解答に挑んでみたらどうかと勧めた。

ここでは自由にそれが許されている。誤謬(ごびょう)を恐れるなかれ、うんぬん。

その男は、それでは、と筆を持った。

いきなり全ての問題に、ただ答えだけを書いた。

その場に居合わせた者たちが一人残らず言葉を失うほどの速さだった。

あらかじめ答えを知っていて書いているとしか思えない。

だが塾の師である磯村が、手本として出題した、誰一人解けぬ難題にすら答えをつけた。

その日の内に、全て正解であることが分かった。

塾生全員が言葉を失った。

磯村は不在だったが、代わりに村瀬が、その問題の答えに、

『明察』

の二字を記した。塾に、どよめきが起こった。106~107p)

 

「その男」こそ関孝和でした。

 

関連して調べると、こんなサイトがありました。

satokenichilab's blog ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から

satokenichilab's blog ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から(1)

satokenichilab's blog 『天地明察』騒動:Coming Out m(_ _)m

satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(1)

satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(2)

satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(3)  

関孝和を研究している方のブログです。

ブログ本文もコメントも読んでいて勉強になります。(つづく)

<心の病>全国教員の休職、微減の5274人…11年度

 

今日は1月5日。

 

年始に奥さんの実家で、ゆっくりテレビを見て過ごしましたが、

ちょっと無理な姿勢で見た時に、再び頚椎症(けいついしょう)を発症させてしまったみたいです。

まいったなあ~、油断しました。大反省。

再び首の右側、右からから腕にかけて疼痛(とうつう)に見舞われています。

※参考:頚椎症は疼痛(とうつう)

 

昨年見かけたニュースのダイジェストを下に載せます。

うつ病に関する記事です。

11年度の統計です。休職者が5274人。

この人数、どう思いますか?

私は思ったより少ないと思ってしまいました。

 

肉体的には傷口もなく、腫れることもなく、折れることもない。熱も出ない。

何にも現れないのに、相当な苦痛に襲われるうつ病。

まわりに理解されないだろうなと思って無理をされている先生もいるのではないでしょうか。

少し休めば、かなり良くなる病気。そしてまた頑張れる。

無理すれば取り返しがつかないところまで行ってしまう病気。

 

10年余前には、あまり認知されていなかったうつ病。

私は当時この病名を知りませんでした。

でも今は世間でだいぶ認知されてきたと思います。

でも頚椎症や腰痛は話題にしやすいですが、まだうつ病はそうはいきません。

無理されている人は、ぜひひと休みを。

 

どうしたら、休職者の人数を減らせるか。

自分で人体実験?をしてみたいです。

どのような環境でどう働いたら、うつ病にならずに過ごせるか。

いい方法があったら、他の人に伝えることができます。

 

 

 

毎日新聞 12月24日

<心の病>全国教員の休職、微減の5274人…11年度

文部科学省は24日、うつなど心の病で11年度中に休職した教員は5274人だったと発表した。

2年連続で減少したものの、10年前(02年度2687人)の約2倍で、

08年度から5000人を超える高い水準が続いている。

同省は「学級を一人で受け持ち、保護者との関係の悩みなどを同僚や

上司に相談しにくい状況が依然あるのではないか」と分析。

今年度中に対策を検討する。(中略)

国の公立小中高校と特別支援学校、中高一貫校の教員約92万人を調査した。

心の病による休職は18年ぶりに減少(51人)した10年度(5407人)から、さらに133人減った。

50代以上が最多で2037人(39%)。

40代1712人(32%)▽30代1103人(21%)▽20代422人(8%)。

全体の教員数が最も多い小学校(約41万人)が2347人で最多だった。

同省初等中等教育企画課は「憂慮すべき状況で、教員の相談窓口を校内に設置するなどの対策が必要だ」としている。
心の病を含む全体の病気休職者は8544人で10年度から116人減り、19年ぶりに減少した。
(後略)
    

いかん、もう6日だ。

     

2013年1月 5日 (土)

同じ流れ星かも?

 

今日は1月5日。

 

今日の朝日新聞朝刊のこの記事をみてビックリしました。

EPSON177

これって、私が見たのと同じ流れ星ではないだろうか。

※参考:私が流れ星を見た時の投稿・・・流れ星を見る/こいつぁは春から縁起がいいわい

 

日時が3日午前5時27分。

同じくらいです。(投稿では5時半頃と書きました)

何より、位置です。

ひとつ輝いている星があったので、

スマホの星座を見るアプリでチェックしたところ、

「ベガ」でした。

私が見たのも、ベガの右側を上から下に流れました。

かなり明るい流れ星でした。

その直後、ベガより左側で、やや暗い流れ星が流れました。

 

この記事は、記念に残したいと、さっそくスキャン。

このブログに載せました。

 

 

タイヤを新調する/いい雲に出会った

 

今日は1月5日。

 

自動車のスタッドレスタイヤを新調しました。

2006年に買って、6シーズン使ってもう限界だと言われました。

「路面が凍ってたら滑りますね」

そうなんだ、そうだよね、もう7年目のシーズンだから。

今まで無事故でよかった。

 

来週の土日は路面が凍ってそうな場所に行くこと。

先日路面凍結で滑った自動車が、反対路線の自動車と正面衝突して、

3人が亡くなったという痛ましいニュースを見たこと。

これらの理由で、買うことにしました。

しかし、大きな出費でした。

 

全く関係ない話ですが、最近見た雲の写真。

新年早々、いい雲に出会えました。

 

1月3日の夕方、自転車で散歩した時の写真。

寒さにふるえながらの撮影。今年はやっぱり寒い。

RIMG2127

 

翌日の1月4日。

この日は初出勤の日。

校舎から東を見たら、ブワ~と広がる雲。

RIMG2133

写真にさっそく撮って、職員室にいた先生方に見せてまわりました。

「職員室を出て、廊下のつきあたりの窓から見えますよ」

何人かの先生が見に行きました。

今年もこんなことやっていきたい。  

 

 

2013年1月 4日 (金)

「三人吉三」の名セリフ

 

今日は1月4日。

 

前投稿に書いたことがまだ気になって調べました。

こいつぁは春から縁起がいいわい

このセリフが出てくる歌舞伎を映像で見られないか調べました。

以下、Wikipedia 三人吉三廓初買を参考にして書いてみます。

これは歌舞伎の「三人吉三巴白波(さんにんきちさ ともえの しらなみ)」という演目だそうです。

省略して「三人吉三」とも言います。

「こいつぁは春から縁起がいいわい」は、演目の冒頭で、

吉三の一人のお嬢吉三(おじょうきちさ)が言ったセリフの一部。

このセリフは、「厄払い」という名前のセリフで、歌舞伎の中での名セリフなのだそうです。

それではその名セリフを書いてみます。

 

月も朧(おぼろ)に 白魚の

篝(かがり)も霞(かす)む 春の空

冷てえ風に ほろ酔いの

心持ちよく うかうかと

浮かれ烏(からす)の ただ一羽

ねぐらへ帰る 川端で

竿(さお)の雫(しずく)か 濡れ手で粟(あわ)

思いがけなく 手に入る(いる)百両

(舞台上手より呼び声)御厄払いましょう、厄落とし!

ほんに今夜は 節分か

西の海より 川の中

落ちた夜鷹は 厄落とし

豆だくさんに 一文の

銭と違って 金包み

こいつぁ春から 縁起がいいわえ

以上です。

これを読むと、「節分」とあるので、立春の「春」ということ。

つまり旧暦の正月ですね。

では実際に歌舞伎でセリフが言われているところが見られないか。

 

ありがたいことに、youtubeにありました。

よかったら見てみてください。

ちょうど5分くらいのところで、お嬢吉三が正体(お嬢吉三は女装の盗賊)をあらわして、

夜鷹のおとせからお金を盗み、おとせを川に落とします。

そしてこのセリフを言います。

 

「濡れ手で粟」も出てきます。

昔投稿したことを思い出します。

日めくりより・・・濡れ手で粟/通水カップ

濡れ手で「泡」ではなくて、「粟」ですよ。

流れ星を見る/こいつぁは春から縁起がいいわい

 

今日は1月4日。

仕事始め。さっそく自転車通勤で行きたい。

この冷え具合。気合が入ります。

 

昨晩は外で30分も空を眺めていたのに、

しぶんぎ座流星群の流れ星は見ることができませんでした。

しかし、今朝の5時半頃、家の窓を開けて眺めていたら、

上から下に流れる星を目撃。5分で2つ。

ここで浮かんだ言葉が、

こいつぁは春から縁起がいいわい」です。

ここに出てくる「春」はもしかしたら正月のこと?

 

さっそく調べました。

このサイトに正解がありました。

開運招福!祈願倶楽部

一部引用します。

 

よく聞くこのセリフ、実は歌舞伎の中のセリフなのです。

三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)という演目の中に出てきます。

この話は和尚吉三とお嬢吉三、お坊吉三という三人の吉三と名乗る盗賊の物語です。

この中でお嬢吉三が夜鷹から百両もの小判を強奪したときのセリフで・・・(中略)

ちなみに、ここで言う春は、新春、正月のことです

正月から縁起がいい、ということなのですね。

正月に何か縁起が良いことがあったら、ぜひ使ってみましょう。

 

夜鷹は遊女のこと。

夜鷹を川に突き落としてお金を奪った後に言うセリフだそうです。

けっこう卑劣な事件のあとに出てきたセリフでした。

まずはそのことに驚きました。

「春」はやはり正月のことでした。

新年早々、流れ星が見られたのは縁起がいいことです。

2010年に見ることができなかった雪辱を果たしました。

しっぽの先で輝くアルクトゥルス(2010年1月4日投稿)

やっぱりもう一度言いたい。

 

こいつぁは春から縁起がいいわい

 

 

 

 

 

2013年1月 3日 (木)

今晩は流星そしてブロンコビリー

 

今日は1月3日。

 

今晩は流れ星が見られる可能性アリ。

終業式の日にプリントで子どもたちには紹介しました。

忘れないで見ようとしているかな。

しぶんぎ座流星群ですよう。

8月のペルセウス座流星群、12月のふたご座流星群とともに、

三大流星群の一つに数えられています。

見頃は午後10時頃。もうすぐです。

夜明けまで見られる可能性アリ。明るすぎる月がネック。

 

 

今晩は家族でブロンコビリーへ。

名古屋が発祥のステーキレストランチェーンです。

最近、映画「ヤングガン2」を久々に見たので、

「ビリー」と聞くと、ビリー・ザ・キッドのことを連想しました。

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調べてみました。

ブロンコビリー」は、

アメリカ西部時代の暴れ馬ブロンコとならず者のビリーの名前を合わせたものだそうです。

ならず者のビリーと言ったら、ビリー・ザ・キッドでしょう。

予想は当たりました。

東京には、「ビリー・ザ・キッド」という名前のステーキ・ハンバーグ店があるようです。

ステーキハウス ビリー・ザ・キッド

 

ビリー・ザ・キッドは映画でもしぶとかったけど、

現実でもしぶとい。

 

 

 

 

「北条義時」より・・・六波羅探題の場所・義時の死

 

今日は1月3日。

 

「3度目の正直」「2度あることは3度ある」という2つの言葉が頭にあります。

六波羅探題と義時の死について書いた原稿が2回消えてしまいました。

ショック。でもくじけずに再びうとうと思います。

すぐにうつと、まだ内容が記憶に残っているし、

案外最初にうったよりもいい文章になることが多いです。

さあ、最後までうって、投稿まで持ち込むぞ。

 

前投稿に続いて、半世紀前に出版された「北条義時」(安田元久著/吉川弘文館)より。

 

承久の乱の後、幕府政治の新しい展開がはじまり、

また幕府権力の伸長が見られるが、その具体的表現として、西国に対する行政機関の設置と、

地頭設置範囲の拡大とがあげられる。

前者は、いわゆる六波羅探題の創設であり、

後者は新補地頭の補任である。

京都の治安が恢復(かいふく)するに従って、幕府軍は漸次帰東した。

しかし幕府は、戦後の占領行政にあたっていた南北六波羅の時房・泰時をそのまま京都に駐留させ、

これまでの京都守護に代って、

朝廷の監視と京都の治安警察のことに当らせることとした。

これが六波羅府のおこりであり、六波羅の首脳者は探題と称されるようになった。(222~224p)

 

六波羅探題の起こりは承久の乱でした。

その終わりは、足利尊氏らに滅ぼされた1333年です。

鎌倉時代を象徴する役所だったわけです。

 

六波羅探題があったのは現在のどこか?

北方と南方の2つの役所があったことを知ったのは、この本を読んで。

北方はどこに、南方はどこに?

ヒントはこのサイト。

e-kyoto.net 北条時宗「京紀行」 六波羅北方南方地図

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方広寺や豊国神社のような行ったことがある場所も、六波羅に入っていました。

かつては平家の人たちが住んでいた地域だそうです。

まだ勉強不足でわかっていないのは、

六波羅という地名があって、その北側を「六波羅北方」南側を「六波羅南方」というのか?

それぞれの場所に、六波羅探題府が置かれたということか?

それともこの広大な場所が六波羅探題府だったのか?

この辺りがあいまいですが、今回はこの程度。また調べます。

 

北条時房は、北条義時の異母弟。北条泰時は、北条義時の長男。

 

 

 

義時の最期。

義時が亡くなったのは、承久の乱があった3年後の元仁元年(1224年)6月13日。

急死でした。

引用します。

吾妻鏡』『百鍊抄』によれば、その死因は脚気衝心(かっけしょうしん)であったと思われる。

従ってその死は、全く突如として襲ったもののようである。

こうして武家政治の成立期を生きて来た政治家北条義時は、

執権政治を確立するための最後の仕上げをすることなく62年の生涯を終った

しかし彼の遺志は、あとをついで執権となった嫡子泰時によってうけつがれ、

やがて見事に開花するのである。(240~241p)

 

脚気は、ビタミンB1の欠乏により起こる病気。

脚気衝心は、辞典には次のように書いてありました。

「脚気に伴う心臓機能の不全。呼吸困難となり、苦悶(くもん)して死に至ることが多い」

脚気は、最近聞かない病気です。

しかし、日露戦争では、戦死者を大きく上回る脚気での死者を出したと聞いたことがあります。

脚気での死者が減ったのは1950年代後半だそうです。

つまりこの本が書かれた頃には、もっと身近な病気だったのです。

だから著者は、当然のように病名を書いていて、特別に説明をしていません。

50年前に書かれた本ならではの箇所だと思いました。

義時は、承久の乱で命を消耗したのではないでしょうか。

 

 

北条義時が悪者扱いされていた明治時代の方が、

今よりも義時が有名だったと思います。

今はその時に比べて、義時に対する関心が低いと思います。

私も50歳を越えて、関心を持ちました。

そのスタートでこの本が読めて勉強になりました。

 

さあ投稿しよう。

3度目の正直ですね。今度はOKです。

 

 

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