今日は5月28日。
運動会が30日にあります。
鈴割りの竹に縄を巻く仕事があります。
縄の太さを表す単位は「分(ぶ)」でした。
例年使ってきた縄の太さは、「3分」でした。
お店の人に聞いたところ、今の太さに換算するには、
3mmを掛け算するのだと教えてもらいました。
つまり3×3=9で、9mmということです。
これは正確に9mmではなくて、約9mmです。
さらに縄の場合は、機械で作られた時には9mmだったとしても、
多少はふくらむそうです。
日めくりより。
「けんもほろろ」の語源って?
キジの鳴き声だったんだ。
コンピュータソフトのミスがなぜ「虫」?
実際に「虫」が侵入して故障を起こしていたんだ。
これまたビックリ。
最後は竹に関するもの。
どうして竹はグングン伸びるのか?
毎日日めくりは面白いネタを提供してくれます。
そのまま捨て去ってしまうことがもったいない。
このブログに少しは留めておきたいです。
今日は5月27日。
投稿に間が空いてしまいました。
ちょっと忙しかったです。
投稿を後回しにしていたら、日が経ってしまいました。
生活のBGMを最近変えました。
昨年12月に発売されていて、注目していたアルバムを手に入れました。
※参考:ここでも道草 12月の生活のBGM/来年1月も(2014年12月4日投稿)
このアルバムからの映像も良かったです。
再びここに載せます。
もう一つありました。
アルバム1曲目の印象的な曲です。
昨晩は「豊橋のおじさん」の通夜に行ってきました。
1月に母親の姉である「豊橋のおばさん」が亡くなったことを書きました。
※ここでも道草 今日が20年目/おばさんが亡くなる(2015年1月17日投稿)
1月16日でした。
そして旦那さんである「豊橋のおじさん」が
5月24日の午後1時20分に亡くなりました。
アルツハイマー病との闘病で6年入院していました。
祭壇に掲げられた写真は、よく知ったおじさんの姿であって、
とても懐かしく、家に来てくれた時の会話が思い出されました。
時は流れました。
84歳。
84年前に生まれた時には、どのような人たちに囲まれていたのでしょう。
そのようなことも思いました。
その時周りにいた人たちも、今はもうほとんどいないことでしょう。
その人たちに囲まれて生まれた命も、今回召されていきました。
縁があって、囲みの一人でしたよ。
いとこの息子が言っていました。
「1月になくなった母親が、あの世から呼んだのでしょう」
そう思いたいですね。
あの世で仲睦まじく話していることでしょう。
平成20年に亡くなったうちの母親も入れてもらっているかな。
「おじさん、みんなの分も長生きしてくださいね」
と、うちの父親がいとこから言われていました。
83歳の父親はプレッシャーをかけられていました。
こうなったら長生きしてよ、じいちゃん。
今日は5月23日。
変形タイヤがなくなったのに気がついたのは、今年になってからだと思います。
このブログで、最後に写真を載せたのは、昨年の9月でした。
※ここでも道草 謎の大きな矢印/変形タイヤはこの後どうなる?(2014年9月9日投稿)
投稿は9月でしたが、写真は8月でした。
2012年4月に初めて気がついてから、月日が流れました。
このまま永久に?置いておくのかと思いましたが、
忽然と姿をくらましました。
ちなみに↓が、3年前の4月の写真です。
まあ、片付けるのが順当でしょう。
通勤路の傍らにキャナリーロウがもうじき開店します。

↑5月8日の撮影。
工事中に撮影していました。
1月28日撮影↓
2月16日撮影↓
↑大きなタンクが登場しました。
2月20日撮影↓
2月24日撮影↓ タンクが埋められていました。
以上です。
おそらく今年になって工事スタート。
できちゃうもんなんですね。
帰るときなど賑やかになるかな?
追記:上の大きなタンクが埋められた場所の今が気になって、
他の用事のついでに見てきました。
この蓋の下に何が入っているのか証拠写真を持っている人は、
私以外にそうはいないでしょう。自己満足。
5月31日に向けて、作業もラストスパートしていました。
今日は5月23日。
今朝、自転車に乗って25分の床屋さんに行ってきました。
最近は自動車で行くことが多く、久々の自転車でした。
自転車だと、見えなかったものが見えてきます。
「センダン」の花が咲いていました。
この強力なセンダンの花が咲くのはこの時期でした。
このブログでも時々話題にする「交差点のセンダン」は
今も生き続けています。
※ここでも道草 身辺雑記・・・パチンコ店、交差点のセンダン(2015年9月24日投稿)
↑市内のある駅のホーム。
電車がちょうど停まり、扉が開きました。
その下に道があります。
ホームの下に道。それもちょっと年季の入った道です。
この景色、いいなあと思って撮影。
↑玄関横の木でできた小さな物置き?
美しい仕上がりでした。
プロの仕事?日曜大工?
↑最近はビワの実を見ます。
この時期に実をつけるビワは、やっぱり異色です。
花が咲くのは冬です。
冬に咲いても、寒さでやられてしまう花もあるそうです。
ひと房に100こほどの花が咲きますが、実ができるのは少なく、
人間が実を大きくするために摘果もします。
その結果、ひと房3個ほどの実となります。
※参考:ビワよもやま話
↑南京錠までついた本格的な「ひみつきち」
「たかのり」って、誰だろう?
男の子だと想像しますが、犬かなあ。
近くに家のない道沿いの場所になぜこんなものが?
自転車で行くと、こんなことに気がついて楽しいです。
今日は5月21日。
今日はいやだなあと思っていた仕事が終了。
長らく心の重荷でしたが、やり遂げました。
楽しいこともいやだなあと思うことも、いずれはその日が来て、
嬉しくも辛くも、どんな感情を持っていても、過ぎ去っていきます。
土曜日の晩にもいやだなあと思っていることがスタートする機会があります。
今から1年、心の重荷になりそうなことの始まりです。
でもどうにかなるのかな。(内容は今は内緒)
子ども「先生、くもが” つ ”に見える。」
先生「なに?」
子「つ!」
先「くもが” つ ”に見えるの?」
子「見て、見て!」
先「お~、写真、写真」
子「ちっちゃい”っ”に見える」
先「てんてんがついて、” づ ”だね」
子「づ! すご~い!」
昼休みにボイスレコーダーがとらえた子どもの声です。
2年生です。
雲の流れは速い。月日より速い。
2年生の子どもが見たときには、もっと「つ」だったと思います。
でも十分「つ」でした。
こういうことに喜べる子どもっていいなあ。
今日は5月20日。
先日、長篠の戦いに関する投稿した時に、
引用文の中に「寛恕」という言葉がありました。
ここでも道草 歴史捜査1/出土した武田騎馬軍団の馬(2015年5月18日投稿)
「寛恕」は「かんじょ」と読んで、意味は次の2つ。
今日は5月18日。
前投稿のつづき。
「片岡愛之助の解明!歴史捜査 戦国頂上決戦 長篠の戦いの真実」
(4月23日放映)より。
捜査員は、菊池さんが経営する牧場を訪れます。
この牧場では、戦国時代の馬の系譜を継ぐ日本の在来馬を飼育しています。
戦国時代の馬の体格に近い木曽馬を見せてもらう。
高さ131cmは、骨格復元模型と同じサイズです。
ポニーくらいと言われていた「ポニー」も見せてくれました。
ポニーだと、大きくてこれくらいの高さ(113cm)なのだそうです。
伴先生の授業で抱いたイメージはこの馬の感じです。
↑木曽馬の方が大きくて、がっしりしています。
↑3種の馬の比較です。
サラブレッドに比較したら、高さは低い木曽馬ですが、
体の横幅はしっかりあります。
腸が長いからだそうです。したがって丈夫です。
また膝から下の長さが短いのも、木曽馬の特徴でした。
それはアップダウンのある場所でも苦にせず歩ける力がある証拠だそうです。
さて問題は走力です。
牧場スタッフが、当時の武将のスタイルで騎乗し、走力を調べました。
距離は約100m。
その結果・・・
↑サラブレットと木曽馬の混血馬(152cm)は、11,27秒。
およそ時速30km。
↑木曽馬の場合は、12.03秒。
短距離なら、サラブレットとの混血馬に匹敵する速さでした。
伴先生が言っていた時速9kmよりはかなり速い。
これだけのスピードがあれば、鉄砲の発射間隔の間に、
射程距離の50mを走って、馬防柵までたどり着けてしまうのです。
さらに木曽馬のいいところ。
混血馬↓
↓木曽馬
2つのコーンを8の字で回るシーンです。
木曽馬の方が小回りがききます。
速く走れ、小回りがきくのは、戦場において有効だということです。
武田騎馬軍団は本当は強くなかったのではという説を
否定する情報をこの番組で得ました。
実際はどうなのでしょう。
長篠の戦いの真実はいかに?
最近、長篠の戦いはなかったのではないかという説もあります。
もっと鉛の弾が落ちていそうなものだけど、
今まで拾われたのは12個のみだそうです。
その点はずっと気になっていました。
貴重な鉛なので、戦場から回収して再利用したのでしょうか?
次のサイトは参考になります。
今日は5月18日。
4月23日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 戦国頂上決戦
長篠の戦いの真実」を昨日見ました。
その中で注目は、武田軍が乗っていた馬です。
当時の馬は、今で言うサラブレットのような馬ではなく、
小型のポニーのような馬だ言われていました。
伴一孝先生の授業でも、その説が取り入れられていました。
時速9kmなので、とても戦闘用ではなくて、移動のための馬だったとのこと。
このことが、私の中で定説になっていました。
※参考:ここでも道草 伴一孝先生の「長篠・設楽原の戦い」の授業(2007年8月19日投稿)
しかし、今回は武田軍が乗ったであろう同じ種類の馬が出てきて、
実際に走りました。
その辺りを、番組の写真と聞き書きでここに残しておきます。
(ナレーター)
戦国最強と言われた武田騎馬軍団。
しかし、近年、その最強説に対し、さまざまな否定的な意見が出ている。
騎馬軍団は、本当は強くなかったのでは。
馬は全てポニー並みで、ろくに走れなかったのではないか。
はたして騎馬軍団の真実の姿とは?
捜査員は手がかりを知る人を訪ねた。
武田氏関連の発掘調査に、33年間関わっている人だそうです。
信藤さんが案内してくれたのが、
武田騎馬軍団の武将が乗ったであろう馬の骨格復元模型です。
年齢で12~13歳。
人間の年齢に換算すると、37~38歳のオス馬。
武田氏の館跡から出土した骨から作られた模型です。
丁寧に埋葬されていたところから、
上級武士が乗っていた最上の馬と予想されています。
馬の高さはほぼ130cm。
サラブレットの平均が160cmくらいなので、比較して低い馬でした。
捜査員は、馬の真実を知るために富士山の麓の牧場に向かいました。
今度の情報提供者は、この人↑
先ほどの信藤さんといい、この菊池さんといい、
好きな武士の名前に記憶がありません。
その人誰?と思ってしまいます。
そこで脱線しますが、調べてみました。
【武田逍遥信綱】
武田信廉(のぶかど)と呼ばれていたようです。
武田信玄の弟で、信玄が病気で死んだあとは、
影武者として信玄に成りすまし、その死を隠したとのこと。
映画「影武者」のモデル?と思いましたが、
映画では信廉が連れてきた信玄瓜二つの盗人が影武者になっています。
でも、信廉の影武者説がベースになったのでしょう。
↑映画「影武者」で武田信廉を演じた山崎努。
http://ameblo.jp/pyscipks/entry-10638340773.html
【金刺盛澄】
この人は、信玄の時代の人ではありませんでした。
Wikipediaにこう書いてありました。
平安時代後期の諏訪大社下宮の神官・武士。
源義仲と親密な関係にあったため、義仲の討伐後、
源頼朝によって捕縛され、梶原景時に預けられた。
頼朝は盛澄を処刑しようとしていたが、
盛澄が卓越した弓の名手であったことから、
景時は盛澄の命を奪うのを惜しみ、頼朝に説得を重ねた末、
せめて盛澄の弓の技量を見てから死罪にして欲しい、と請願する。
盛澄は頼朝の基に参上し、流鏑馬を披露した。
この時頼朝は盛澄が騎乗する馬としてわざと暴れ馬を与えた上、
盛澄が指定された八つの的を射抜くと、射抜いた的の破片、
さらに的を立てかけた串を射抜くよう難題を押し付けてきたが、
盛澄は見事に全て射抜いたため、赦免された。
この時、景時が同じく捕縛された義仲の郎党達にも寛恕を施して欲しい、
と頼朝に願い出て、その郎党達もまた助命されたという。
この顛末は『諏訪大明神絵詞』で描写されている。
その後は御家人となり、流鏑馬や的始の儀式で活躍した。
史料では建仁3年(1203年)までの活動が見られる。
下諏訪町には盛澄が恩人の景時を偲び建立した梶原塚がある。
長野県には時々行くので、いつか「梶原塚」にも行ってみたいです。
このサイトが参考になります↓
熱く散って逝ったもののふ達のフォト列伝 源平列伝・梶原景時 「下諏訪町の『梶原塚』の物語」
菊池幸雄さんの情報は次の投稿で書きます。