2016年1月17日 (日)

シリーズ真田丸5.竹束も見逃していました

今日は1月17日。

  

前投稿に引き続き、1月10日発行のMAG2NEWSより。

MAG2NEWS 遂に始まったNHK大河『真田丸』。初回放送をいきなりマニアック解説

書くネタを提供してくれるサイトです。

引用します。

  

ところで、新府城の櫓門の上に

竹束が置いてあるのに気付いたかな?

僕があの場所を指定したわけではないのだけれど、

城に竹束が置いてある映像は、大河ではたぶん初めて。

竹束はこちらからも時々出てくるよ! 

  

竹束を見逃していました。

さっそく録画を見て確かめました。

すぐにわかりました。

  

Rimg6517

Rimg6517a 「真田丸 第1話」より 

  

この竹束に関しては、少し前に見ていました。

1月6日放映の

「歴史秘話ヒストリア 徹底解明!これが“真田丸”だ

~地中に残された幻の城~」で見ました。

番組中に「大坂冬の陣屏風」が示され、その中に出てきました。

Rimg6519

そして、この絵を元に再現した映像がこれでした↓

Rimg6521  

同僚の先生で、お城に詳しいOさんによると、

板だと鉄砲に打ち抜かれるけど、

竹だと筋が強くて、撃ち抜かれないとのこと。

火縄銃の弾は丸く貫通力が乏しかったので、

竹束でも防ぐことができたと思われます。

命を守るための必死の発明なのでしょう。

  

再びMAG2NEWSから引用。

  

なお、新府城について詳しく知りたい方は、

今月の『歴史群像』を読んでね!

  

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手に入れて読もう。

給糧船「間宮」のポスターもほしくなりました。

  

  

★NHK大河ドラマ『真田丸』がより楽しめる4コマ漫画

ふぅ~ん、真田丸』発売中!

 

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この本も気になります。きっと買うと思います。

  

こうやって「シリーズ真田丸」を書いていくことで、

1年間いい勉強がしたいと思います。

  

シリーズ真田丸4.人質の磔/オロオロの理由

  

今日は1月17日。

  

前投稿に引き続き、1月10日発行のMAG2NEWSより。

MAG2NEWS 遂に始まったNHK大河『真田丸』。初回放送をいきなりマニアック解説

  

この城で重要なのは、七里岩の断崖よりも

城のすぐ横を通っている信州街道との位置関係。

勝頼が、諏訪の出身であったことを思い出してほしい。

ちなみに、ドラマ中で木曽義昌の妻子が磔になった、

との台詞があった。

木曽の妻子はたぶん、城のすぐ横の

信州街道沿いに晒されたのだと思う。

  

これも地図で調べてみました。

Photo_2

武田神社と言うのが、武田信玄の居城があった場所です。

上記の地図の「武田神社」の「田」の字の辺りにありました。

つまり新府城は、武田信玄の居城と諏訪を結ぶ

ライン上にあったということです。

そのラインとは信州街道であって、

現在の国道20号線というわけです。

  

「木曽義昌の妻子が磔になった」という台詞は

聞きもらしていました。

さっそく録画で確かめてみました。

ありました。番組が始まって18分ぐらいのところです。

Rimg6518

この場面です。

聞き書きしてみます。

 

真田昌幸と奥さんの薫(かおる)との会話。

 

昌幸:

 何を浮かぬ顔をして・・。せっかく久方に顔を合わせたと言うのに。

薫:

 今朝、木曽義昌様の母上とお子達が連れて行かれました。

 酷(むご)くも磔にされたとのこと。

昌幸:

 木曽は寝返ったのだ。仕方なかろう。

薫:

 姫様は17。嫡男千太郎は13でございました。

昌幸:

 人質というのはそういうものじゃ。

薫;

 殿はあたくしたちも人質であることをわかっておいでですよね。

昌幸:

 もちろん。

薫:

 大丈夫でございますよね。寝返ったりなさいませんよね。

昌幸:

 馬鹿をもうすなあ。

  

そうでした、そうでした。

確かにこの会話はありました。

この時に薫はオロオロしていました。

織田が攻めてきて武田はどうなるのか心配していました。

そのオロオロ加減は、ちょっと楽しいくらいでした。

それに関連することが、今読んでいる

「NHK大河ドラマストーリー 真田丸 前編」(NHK出版)

に書いてありました。

薫役の高畑淳子さんへのインタビュー記事から引用します。

高畑さんはこう言っていました。

  

撮影にあたって三谷(幸喜)さんが

こんなことをおっしゃっていました。

私たちは歴史の結果を知っているけれど、

登場する人たちは先がどうなるかわからない中で生きている。

なので、右往左往している人を演じてくださいと。(26p)

  

なるほど、脚本家の意思を受けてのオロオロなのかと

合点がいきました。

シリーズ真田丸3.新府城があった七里岩

 

今日は1月17日。

  

ブログが少し休憩中でした。

16日の授業参観で、影絵劇「にじいろのさかな」を実施。

それに向けて道具の改善修理に時間がかかり、

ブログは後回しになっていました。

書きたいことはたまっているので、今日と明日でうとうと思います。

  

「真田丸」のこと。

  

1月10日発行の「MAG2NEWS」が面白かったです。

MAG2NEWS 遂に始まったNHK大河『真田丸』。初回放送をいきなりマニアック解説

ここからの引用。

  

初回のワンポイントは新府城。

この城は、七里岩の断崖を利用して築かれ、

戦国の甲斐を代表する要害堅固な名城、みたいにいわれてきた。

でも、実際に縄張りを分析してみると、

堀がほとんど掘られていない。

その一方で、曲輪はきれいにならされている。

つまり、住み心地を良くすることが優先で、

防禦は二の次。基本的には館の意識で造られた、

巨大な「館城」なのだ。

だから僕は、この城を「名城」「堅城」と呼ぶ気になれない。

  

一読してわからないところのあった文章でした。

でも同僚の先生で、城好きの方がいて、解説してもらいました。

「縄張り」とは、城の設計図のようなものだそうです。

「曲輪」は「くるわ」とよんで、山の斜面を削ったり盛り土をして、

平らにした場所のことだと教えてもらいました。

新府城は2本の平行して流れる川の間の土地に作られ、

川への斜面は断崖になっているそうです。

  

「七里岩」について調べてみました。

2本の川とは塩釜川と塩川であって、見事に浸食された崖でした。

Yahoo!地図に少し地名を加えて作ってみました↓

Photo

中央の川に挟まれた台地が七里岩です。

ちょうど緑色をしています。

この形が韮(ニラ)の先のようだと言うことで、

韮崎という地名の語源になったという説が有力なのだそうです。

今なら簡単に航空写真で確かめられますが、

昔はそんなことはできないわけで、そこは?です。

  

韮崎市のHPに新府城址の航空写真が載っていました。

韮崎市HP 新府城跡

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この断崖はすごい。

私も実際にこの目で見てみたいです。

日本には、まだまだ面白い場所があります。

2016年1月12日 (火)

シリーズ真田丸2.武田信玄役の林邦史朗さん

  

今日は1月12日。

  

大河ドラマ「真田丸」の人物相関図。

昨日作製を進めましたが、タイムアップ。

現在はこんな状態です。

Rimg6416

色画用紙6枚分の台紙に、

顔写真の駒を両面テープで貼りつけました。

今日はいろいろ書きこんで完成できるでしょう。

子どもたちがドラマを見る時の参考になったらと思います。

  

顔写真は下のサイトからコピーしました。

真田丸ネタバレ情報館

今回の注目はこの人↓

Rimg6421  

武田信玄役の俳優さんです。

鎧姿で顔がよくわかりませんが、

上記サイトには「林邦史朗」とありました。

え!? この名前は、大河ドラマを見てきた人にはお馴染みです。

俳優ではなくて、殺陣(たて)師としてです。

  

大河ドラマの殺陣と言ったら、この人でした。

ちなみにシリーズ前回で紹介した「国盗り物語」の殺陣も

林邦史朗さんでした。

Photo 今回は殺陣師としてではなくて、俳優なんだと思いました。

そして調べていったら、驚きのことを知りました。

林さんは昨年の10月19日にすい臓がんで

お亡くなりになっていました。76歳でした。

武田信玄役はすでに収録済みだったそうです。

つまり遺作になりました。

林さんの演技が見られるのは、1月17日の第2回だそうです。

  

では今回の殺陣はどなたが・・・

次のサイトに書いてありました。

得んため東西南北

引用します。 

  

林邦史朗さんの弟子の中川泰幸さん

「邦史朗」の名を継いて中川邦史朗として、

真田丸の殺陣指導も引き継いだようです。

  

次回放送では、最初のクレジットで、

「中川邦史朗」の名を見つけたいです。  

2016年1月11日 (月)

昨年末の写真/月に似た看板・餅花

  

今日は1月11日。

 

年末に撮った写真を並べます

Rimg6166

↑12月27日撮影。

この写真、何で撮ったと思いますか?

注目は2か所です。

Rimg6166a 

左手に月です。昇ってきたての月です。

満月だったかなあ。低い位置だったので、赤味を帯びていました。

右手にその月と同じようなものがありました。

あれ?と思ってよく見たら、昭和シェル石油の看板でした。

Rimg6167

大きさや色、光り具合が似ていました。

面白いと思って撮影しました。

写真じゃあ、わかりにくいですね。

   

 

 

12月28日に、親戚の家に出かけて餅つきをしました。

毎年恒例の行事なのですが、今回は少し違うこともしました。

ついた餅に、食紅を入れて赤くしました。

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赤く染まった餅と白い餅を、

みんなで少しずつ梅の木に付けました。

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こんなのが出来上がりました↓

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これを「餅花(もちばな)」と言うそうです。

自宅に持ち帰り、玄関に置きました。

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なかなかいいです。

 

2016年1月10日 (日)

シリーズ真田丸1.相関図を作りたい

 

今日は1月10日。

  

今年は本を読みたい。

毎年新年早々、そう思っていますが、実行がされず。

でも今年はちょっと違うかも。

今日、1冊目が読めました。

読書を後回しにせずに、1冊読破しました。

「64(ロクヨン) 上」(横山秀夫著/文春文庫)です。

昨年までは読書を後回しにしていたので、今年は何か違う。

かも。

  

  

次は、「NHK大河ドラマ・ストーリー 真田丸 前編」(NHK出版)です。

本の性格上、きっと拾い読みです。

大河ドラマ「真田丸」が今晩からスタートします。

楽しみです。

現在担任している子どもに5年生がいます。

4月からは6年生。

6年生は歴史を勉強をします。

チャンスだと思いました。

大河ドラマ「真田丸」を見ることで、歴史が好きになると思いました。

  

私がそうでした。

小学生で見た大河ドラマ「国盗り物語」で、歴史好きになりました。

社会科教師になったのも、「国盗り物語」が理由の一つでしょう。

とにかく、目の前の子どもたちを歴史好きにさせたいです。

戦国時代はやはり歴史に入り込むには、素晴らしい門です。

 

こんなものを作りました。

Rimg6391  

このサイト↓からコピーして印刷、ラミネートをかけたものです。

真田丸ネタバレ情報館

この後、これを切り取って、並べ直して、

教室に掲示する登場人物相関図を作ろうと思っています。

このようなものを作るのは初めてですが、

歴史ドラマで、やはり登場人物がこんがらがると楽しめません。

  

今晩は新年会があって無理ですが、明日には完成させ、

火曜日に登校する子どもたちを驚かそうという魂胆です。

楽しみです。

そして今晩から12月の最終回まで「真田丸」を見続けて、

ブログにもいろいろ「真田丸」関係のことを書いていこうと思います。

今回が記念すべき「シリーズ真田丸」のスタートです。

最後に「国盗り物語」のテーマ曲

もう忘れているなあ。


YouTube: 国盗り物語のテーマ

「パソコンを置いて森で暮らそう」/「ダメ」と言わなくなった

今日は1月10日。

  

昨年10月23日に放映された番組を見ました。

「BS世界のドキュメンタリー パソコンを置いて 森で暮らそう」です。

NHKのHPから引用します。

  

「仕事に追われて子供と過ごす時間がない」と悩んでいた

女性テレビ・ディレクターが、

あらゆる情報から隔絶されたカナダの大自然の中で、

家族だけの生活を試みる。

電気も水道もないカナダ北部・

ユーコンの山小屋に引っ越した一家。

ネットもテレビもなく、近所に友だちもいない。

生活に飽きないか、兄弟仲が悪くなるのではないかと

心配する両親を尻目に子供たちはたくましく成長していく。

しかし、町に出かけた父親が吹雪で遭難しかけたり、

家の周りにクマが出没したりといった危険にも遭遇する。

情報化社会の恩恵を一切断って暮らすという稀有な経験を通して、

絆を深めていく家族を描く。

  

9か月も森の中で過ごしました。

いつもパソコンに頼っている生活。

このような人の挑戦は参考になると思いました。

山で3泊4日の体験はあるけど、9か月はすごい。

このブログもうてなくなるわけで・・・・・まあどうにかなるか。

  

印象に残った場面を引用します。

森の中で穴を見つけた子供たち。

「家を作っていいか」と親に聞いてきました。

その時のシーンです。

 

母親:

 子どもたちに「ダメ、後でね」と言うのが、

 私の口ぐせになっていました。

 森でいいことを思いついたと言われても、

 「ダメ、後でね」と言いそうになって、

 「あれ?なぜダメなの?いいじゃない。やりましょうよ。」

 と、思いなおしました。

 あの切り替えができたのは、私にとって大きな変化でした。

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Rimg6102  

なぜ「やりましょうよ」と言えるようになったのか考えます。

子どもたちの力を信用するようになったのかもしれません。

森という環境が、挑戦に向いているのかもしれません。

「ダメ」と言うことは確かに多いです。

「ダメ」について考えるきっかけになる場面でした。

森に長く過ごした体験が気づかせてくれたこと。

その体験をしていない私は、一生懸命想像します。

この本も役立ちそう。

今朝、宣伝が目に入ってきた本です。

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(宣伝文)子どもが熱中していることをほめる。

子どものいいところを探してほめる。

何もなくても「とりあえず」ほめる。

親子関係が最高によくなります。

「そんなことしちゃダメよ」を「気をつけてね」に言い換えてみませんか。

  

  

ちなみに今回の番組はyoutubeで

見ることができることに気がつきました。

いかがですか?

引用場面は16分過ぎです。


YouTube: パソコンを置いて 森で暮らそう

「完全版 明治神宮 不思議な森」6.50年早く理想の森に

  

今日は1月10日。

 

前投稿の続き。

1月2日放映の「完全版 明治神宮 不思議な森」からです。

  

1時間17分経過の辺りからの聞き書きです。

  

ナレーター:

 調査を初めて2年。ついに毎木調査の結果が出ました。

 100年間の森の変化が、初めてわかります。

 今回計測した直径10cm以上の樹木を地図上に再現します。

 赤が針葉樹、濃い緑が常緑広葉樹です。

Rimg6430

 100年前は半分あった針葉樹が、1割程度に激減。

 代わって常緑広葉樹が3分の2を占めるようになりました。

 樹木の数はおよそ半分に減少。

 しかし、直径1メートルを越す常緑広葉樹の大木が、

 250本近くも見つかりました。

 木々の競争が起き、強いものが生き残ったのです。

 (中略)

 3人の天才の計画通りに進んだと思われる大実験。

 (中略)

 始めてから100年。

 早くも理想としている森に到達していました。

 

何と、3人の天才の予想(150年)よりも50年早く、

目的の森になっていたのです。

しかし、これ以後はどうか。

都市部のヒートアイランド現象の影響もあって、

森の乾燥化が進み、小さな生物の数が減ってきているのだそうです。

今まではうまくいきましたが、この後どうなるか。

関心が高まります。

  

それでは100年前と現在の明治神宮の森の比較写真を並べます。

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100年の変化の大きさに驚かされます。

  

昨日はサークルに参加。

この番組を見た先生が「授業で使いたい」と言っていました。

同感です。どのように使うかはこれからまた考えますが、

とにかく子どもたちに見せたくなる番組でした。

今回は生物とか紹介しませんでしたが、

番組中にはたっぷりいろいろな生き物が出てきます。

それがまた面白い。いい番組に出会いました。

  

以上で番組紹介終了。

「完全版 明治神宮 不思議な森」5.100年の歴史/掃き屋さん

  

今日は1月10日。

 

前投稿の続き。

1月2日放映の「完全版 明治神宮 不思議な森」からです。

  

1時間半の番組なので、全てを聞き書きすることは難しいです。

どちらかというと歴史的なことにしぼって書いています。

  

明治神宮鎮座以後の明治神宮関係の歴史です。

  

1920年 明治神宮創建

1923年 関東大震災

      明治神宮の森は震災の被害を免れました。

1926年 外苑完成

1931年 神宮球場 日米野球開催

1941年 日本 第2次世界大戦参戦

1943年 学徒出陣 明治神宮外苑で行われました。

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      あの有名な学徒出陣の映像も、

      思えば明治神宮外苑の競技場で行われました。  

      歴史の舞台になっているのです。

  

1945年 空襲

Rimg6420

      明治神宮の森は被害を免れ、

      空襲からこの森に避難してきて、

      命を救われた人たちもたくさんいたそうです。

      ただ4月の空襲で、明治神宮の社殿は消失してしまいます。

1964年 東京オリンピック開催

Rimg6421

      明治神宮外苑の競技場が主舞台でした。

      あの学徒出陣と同じ場所です。

 

以上の激動の100年の時代を経過してきた森です。

大震災や空襲による焼失の危機もあったのですね。

Rimg6422

  

   

「掃き屋さん」に関する聞き書きをします。

1時間経過ぐらいから聞き書きです。

  

ナレーター:

 自然に任せ、人の関わりを最低限に抑える森づくり。

 その中でひとつだけ、人が積極的に手伝っていることがあります。

 参道の落ち葉を掃く人たち。

 明治神宮では、親しみを込めて「掃き屋さん」と呼ばれています。

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 集めた落ち葉は、捨てることなく、全て森の中へ返します。

 「落葉ハ一見無用ノ廃物タル観アリト雖モ」

 「落葉ヲ採集除去スルコトナケレハ常ニ営養足リ」

 林苑計画書にこう記されています。

 落ち葉を無駄にせず、自然のサイクルで返せば、

 樹木の栄養になるということです。 

Rimg6428

Rimg6429  

掃き屋さんの仕事っぷりを撮影した映像も興味深かったです。

上に写真を載せましたが、参道の中央に集めていきました。

参拝者のじゃまにならないような配慮だと思いました。

センターラインに落ち葉が集まった参道を歩いてみたいなあ。

いやいや、掃き屋さんが掃いているところから見てみたい。

  

あと1本書きます。

 

「完全版 明治神宮 不思議な森」4.献木による10万本の植樹

今日は1月10日。

  

前投稿の続き。

1月2日放映の「完全版 明治神宮 不思議な森」からです。

  

38分頃からの聞き書きです。

  

ナレーター:

 明治天皇崩御から3年の1915年、

 いよいよ計画がスタートします。

 森に必要な膨大な樹木をどうやって集めるのか。

 考えたのは、広く民間の力を借りることでした。

 本多たちは、森に必要な木を選び出し、募集します。

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 すると、明治神宮に木を献上したい人たちが、

 我も我もと手をあげました。

Rimg6411

 献木は日本全国から10万本に達します。

 作業に参加したいと、全国から青年団が集結。

 その数、延べ11万人。

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 原宿駅から専用の線路が引かれ、

 最盛期には1日30両もの貨物列車が

 樹木や資材を届けてくれます。

 日本中が参加した一大プロジェクトでした。

Rimg6413

 (中略)

 3人には森づくりの秘策がありました。

 広葉樹の森を目指したはずが、

 意外にも植えた木の半分近くは針葉樹。

 まず、痩せた土地に強いマツなどの針葉樹を植え、

 森の基本的な形を作ります。

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 その隙間に広葉樹を植えていきます。

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 そこにはどんな計算があったのか。

  

 林苑計画書をくわしく見ていきましょう。 

Rimg6399_2  

 最初の配置は、自然界で起きる

 広葉樹と針葉樹の競争を考えたものでした。

 50年、100年経つうちに、人間が手を加えなくても、

 木々の競争が自然と起こります。

 すると、生長の早い広葉樹に押され、針葉樹が消えていきます。

  

 最終的に常緑広葉樹が主役の、

 原生林のような森になると予言したのです。

  

 自然界では荒れ地が原生林になるには、

 数百年かかります。

 本多たちは、木々の競争を正確に予想して植樹を行い、

 わずか150年で完成させようとしたのです。

 (中略)

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 6年の歳月をかけた植樹。

 1920年11月1日。明治神宮は鎮座の日を迎えます。

Rimg6418

 これは当時まだ珍しい、飛行船から撮影したものです。↓

 荒れ地に植えられた10万本の木。

 こっから先は人は手を加えず、自然の力にゆだねられました。

 本多、本郷、上原。3人は100年先の森を知ることはできません。

 その実験の結果を探るのは、私たちの世代です。

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「鎮座」という言葉が出てきました。

意味を調べると2つの意味がありました。「デジタル大辞林」より。

 

①神霊がある場所にしずまりとどまっていること。               
「二柱の神が-する」             
②どっかりと場所を占めていること。からかっていう場合に用いる。
「顔の真ん中に-する大きな鼻」    
  
今までは②の使い方でしたが、
今回は滅多に使わない①の使い方ですね。        
  
  
あの林苑計画書は、
献木された木の状況を見て作られたものだったのですね。
100年後を見ることができる幸いに感謝して、
明治神宮の森に実際に行って見たくなりました。
 
東京駅も 今一度しっかり見たいし、明治神宮の森も見たい。
  
東京に出かける用事を作らなければなあ。
  
  
つづく

   

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