シリーズ真田丸3.新府城があった七里岩
今日は1月17日。
ブログが少し休憩中でした。
16日の授業参観で、影絵劇「にじいろのさかな」を実施。
それに向けて道具の改善修理に時間がかかり、
ブログは後回しになっていました。
書きたいことはたまっているので、今日と明日でうとうと思います。
「真田丸」のこと。
1月10日発行の「MAG2NEWS」が面白かったです。
MAG2NEWS 遂に始まったNHK大河『真田丸』。初回放送をいきなりマニアック解説
ここからの引用。
初回のワンポイントは新府城。
この城は、七里岩の断崖を利用して築かれ、
戦国の甲斐を代表する要害堅固な名城、みたいにいわれてきた。
でも、実際に縄張りを分析してみると、
堀がほとんど掘られていない。
その一方で、曲輪はきれいにならされている。
つまり、住み心地を良くすることが優先で、
防禦は二の次。基本的には館の意識で造られた、
巨大な「館城」なのだ。
だから僕は、この城を「名城」「堅城」と呼ぶ気になれない。
一読してわからないところのあった文章でした。
でも同僚の先生で、城好きの方がいて、解説してもらいました。
「縄張り」とは、城の設計図のようなものだそうです。
「曲輪」は「くるわ」とよんで、山の斜面を削ったり盛り土をして、
平らにした場所のことだと教えてもらいました。
新府城は2本の平行して流れる川の間の土地に作られ、
川への斜面は断崖になっているそうです。
「七里岩」について調べてみました。
2本の川とは塩釜川と塩川であって、見事に浸食された崖でした。
Yahoo!地図に少し地名を加えて作ってみました↓
中央の川に挟まれた台地が七里岩です。
ちょうど緑色をしています。
この形が韮(ニラ)の先のようだと言うことで、
韮崎という地名の語源になったという説が有力なのだそうです。
今なら簡単に航空写真で確かめられますが、
昔はそんなことはできないわけで、そこは?です。
韮崎市のHPに新府城址の航空写真が載っていました。
この断崖はすごい。
私も実際にこの目で見てみたいです。
日本には、まだまだ面白い場所があります。
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