「完全版 明治神宮 不思議な森」4.献木による10万本の植樹
今日は1月10日。
前投稿の続き。
1月2日放映の「完全版 明治神宮 不思議な森」からです。
38分頃からの聞き書きです。
ナレーター:
明治天皇崩御から3年の1915年、
いよいよ計画がスタートします。
森に必要な膨大な樹木をどうやって集めるのか。
考えたのは、広く民間の力を借りることでした。
本多たちは、森に必要な木を選び出し、募集します。
すると、明治神宮に木を献上したい人たちが、
我も我もと手をあげました。
献木は日本全国から10万本に達します。
作業に参加したいと、全国から青年団が集結。
その数、延べ11万人。
原宿駅から専用の線路が引かれ、
最盛期には1日30両もの貨物列車が
樹木や資材を届けてくれます。
日本中が参加した一大プロジェクトでした。
(中略)
3人には森づくりの秘策がありました。
広葉樹の森を目指したはずが、
意外にも植えた木の半分近くは針葉樹。
まず、痩せた土地に強いマツなどの針葉樹を植え、
森の基本的な形を作ります。
その隙間に広葉樹を植えていきます。
そこにはどんな計算があったのか。
林苑計画書をくわしく見ていきましょう。
最初の配置は、自然界で起きる
広葉樹と針葉樹の競争を考えたものでした。
50年、100年経つうちに、人間が手を加えなくても、
木々の競争が自然と起こります。
すると、生長の早い広葉樹に押され、針葉樹が消えていきます。
最終的に常緑広葉樹が主役の、
原生林のような森になると予言したのです。
自然界では荒れ地が原生林になるには、
数百年かかります。
本多たちは、木々の競争を正確に予想して植樹を行い、
わずか150年で完成させようとしたのです。
(中略)
6年の歳月をかけた植樹。
1920年11月1日。明治神宮は鎮座の日を迎えます。
これは当時まだ珍しい、飛行船から撮影したものです。↓
荒れ地に植えられた10万本の木。
こっから先は人は手を加えず、自然の力にゆだねられました。
本多、本郷、上原。3人は100年先の森を知ることはできません。
その実験の結果を探るのは、私たちの世代です。
「鎮座」という言葉が出てきました。
意味を調べると2つの意味がありました。「デジタル大辞林」より。
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