2021年8月 7日 (土)

「ひきこもり国語辞典」さ~そ

    

今日は令和3年8月7日。

   

前記事に引き続き、

「ひきこもり国語辞典」(松田武己監修/時事通信社)

より引用していきます。

ただこの本は強力な本です。

ひきこもりの人たちの感じ方が次々に伝わってきて、

飲み込まれそうになります。

自分がひきこもりに陥ってしまいそうな気になります。

危険な本です。

それだけひきこもりというのは、今の社会では、

身近なことなのだと思います。

  

【ざいたくせいかつしゃ/在宅生活者】

居場所に参加した人が、自分をひきこもりではなく在宅生活者と紹介

したのを聞いて、これは使えると思いました。直接にひきこもりと言

わないのがよさそうです。

(80p)  

  

「ひきこもり」という言葉よりも、「在宅生活者」の方が、

当事者にも、関係者にもホッとする表現かなと思います。

  

  

【さいひきこもりきょうふ/再ひきこもり恐怖】

がんばって清掃関係の仕事に就き、働き始めました。土日も仕事が入り、

休日は変則的で不確定です。いつも辞めたい気持ちと闘っています。辞

めたらひきこもり生活に戻り、立ち上がれない恐怖があるからです。も

うあの生活には戻りたくはないです。

(80p)

  

そうだろうなと思います。

自分も休職に再び戻るのはいやだと思います。

そう思いつつも「辞めたい」気持ちが時々出てきます。

似た気持ちだと思っています。

  

  

【さくら/桜】

日本を代表する花です。桜の花は好きなのに春の新しい年度が始まる

ころに開花しますから、見ると悲しかったことを思い出したり、取り

残された気持ちが強くなります。懐かしいような、うら悲しいような

気分も味わわせてくれます。松尾芭蕉の俳句「さまざまなことを思ひ

出す桜かな」と同じ気持ちです。

(81p)

  

取り残された気持ちになるのはわかるような気がします。

何年もひきこもりになっている人にとってはなおさらでしょう。

次の「四月病」も似た感覚です。

  

   

【しがつびょう/四月病】

四月は年度初めで学校には新入生、会社には新入社員が入り、活気の

出る時節です。「今年も」自分がその活気のなかに加われなかったと

感じて落ち込みます。四月病とでも名付けたいです。

(86p)

  

  

 

【そうぎ/葬儀】

親が亡くなり遺体が室内に放置されるニュースを見ると他人事には思

えません。自分の親も高齢で、そうなったときどうすればいいのか分

かりません。お金のことや葬儀のことが分からず不安はとても強いで

す。親とはまともに話をしたことがないのに、葬儀のことだけを話せ

るはずがありません。

(114p)

  

なるほどです。

2021年8月 6日 (金)

「ひきこもり国語辞典」か~こ

     

今日は令和3年8月6日。

         

前記事に引き続き、

「ひきこもり国語辞典」(松田武己監修/時事通信社)

より引用していきます。

  

  

【がけっぷち/崖っぷち】

「いま何かしていますか」と聞かれて、「崖っぷち」と答えました。

聞かれたことの答えにはなっていないかもしれませんが、本当の気

持ちです。「崖っぷち」が口癖になっています。ゆっくり落ちつい

て座っていると見られることもありますが、気持ちはいつも追いつ

められ、崖っぷちにいます。

(41p)

  

  

【カースト】

ひきこもりの当事者間にもカーストに似た格差があります。親が資

産家で社会に出ずに人生逃げ切れるひきこもりが最上位バラモン階

層。働かざるを得ない貧しい家のひきこもりは下位の不可触民で社

会につながり働こうと苦悩します。中間諸階層はいろいろな知識や

才能を生かそうとする傾向があるように見えます。

※不可触民はカーストにも属さない被差別民を指す。

(42p)

  

こんなふうに考えるんだと思いました。

   

【かれかけのはな/枯れかけの花】

水をやっても生気をふきかえしそうもない枯れかけの花。ちょうど

私みたいです。それでも水を与えられると少しは元気になります。

私にとっての水は、私に関心を持ち、思いを寄せてくれることです。

枯れかけの花でも水がほしいのです。

(46p)

  

関心をもち、思いを寄せることはOKなのです。

  

【きすいいき/汽水域】

川が海と合流する。真水と海水が入り混じる場所を汽水域といいま

す。一般人とひきこもりが接触し混じり合う役所や図書館は、汽水

域です。居場所にもそれらしい面があります。自分は一般社会に入

る前に汽水域を経験して慣れていきました。

(52p)

  

   

【きたい/期待】

ひきこもった生活をしていると、誰かの働きかけがあったとき、そ

の人が私に対して期待しているものも一緒に見えます。外出を勧め

るとか、できそうなアルバイトを教えてくれるような働きかけはあ

りがたいこともありますが、期待が一緒についてくるのが重荷です。

働きかけてほしいけれども期待はしないでください。

(54p)

   

関心をもち、思いを寄せることはOKでも、

期待してはいけない。

これが難しい。

   

  

【こころのカーテン/心のカーテン】

いつも部屋を閉めきり、窓のカーテンも閉めています。カーテンを

閉めている以上に心を閉めているのです。人や社会に向けて心が開

かないとカーテンも開けられません。

(74p)

  

そりゃそうだろうなと思います。

2021年8月 5日 (木)

「ひきこもり国語辞典」あ~い

    

今日は令和3年8月5日。

   

現在この本を読んでいます。

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「ひきこもり国語辞典」(松田武己監修/時事通信社)

  

読むきっかけになったのは、次の記事に書きました。

ここでも道草 番画〈329〉〈330〉:ひきこもり文学 ひきこもり死(2021年7月24日投稿)

ひきこもりの人たちの感覚がわかればいいなと思って読み始めました。

なるほどと思った項目を引用していきたいと思います。

  

【アルバイト】

働くのはハードルが高い課題です。居場所に一緒にいた人が「アルバ

イトを始めた」ことを聞くと「えっ!」と思います。「なんであいつ

がアルバイト?」という驚き、うらやましさ。「自分にはできるのか」

という焦り、取り残された感があります。一大奮起して急いでアルバ

イトの面接を申し込みました。けれども面接直前に怖くなり、足が動

かず落ち込みました。気を取り直すのにしばらく時間がかかります。

アルバイトを始めた人が辞めたと聞いてほっとしました。そんな自分

が嫌なやつに思えます。

(13p)

  

【いちにち/一日】

家にいて特に何をするでもなく過ごす一日はなかなか終わりません。

でも一年たってみるとあっという間に過ぎます。新年を迎えるころや、

誕生日が近づくとため息とともに出てくる気分が「一日は長く、一年

は早い」です。

(19p)

   

【イブニングフォールしょうこうぐん/症候群】

イブニングフォールとは夕暮れのこと。ひきこもりだから家にいて当

たり前かもしれないけれども逆もあります。あの家から出てきて、な

んとなく楽しい時間を過ごした日なんかは特にそうです。夕闇がせま

りそろそろ家に帰る時間になると落ち込む気分におそわれます。また

あの家に戻らなくてはならないのかと思うと気が滅入るのです。さら

に強くなると帰宅拒否症候群です。家に帰れるのは、まだ落ち込みが

浅いのかもしれません。

(21p)

  

「居場所」という場所について時々出てきます。

ひきこもりの人たちや支援する人たちが集う場所のことをようです。

そこで楽しい思いをすると、家に帰りたくなくなる気持ちに

なるのですね。

  

つづく

日めくりより/キュリー夫人が残したノートは・・・

     

今日は令和3年8月5日。

    

日めくり「雑学王」(TRY-X)より。

   

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gigazine キュリー夫人の研究用ノートは100年が経過した今も放射線を出している

☝ このサイトで、より深く勉強ができます。

一部引用します。

  

マリ・キュリーとピエール・キュリー夫妻は

「どのような物質がなぜ放射能を持っているのか」について研究し、

キュリー夫人は1903年と1911年にノーベル賞を

合計2度受賞しています。

しかし、夫妻は放射性物質の危険性については理解しておらず、

自宅の研究室にはトリウムやウランなどが裸のままで

置かれていたそうです。

これらの放射性物質は暗いところでぼんやりと発光するため、

キュリー夫人の手記には「研究の楽しみのひとつは、

夜中に研究室に入ることでした。

試料の詰まった試験管が淡い妖精の光のように美しく輝いていました」

と書かれています。

  

また、キュリー夫人は研究のためにポロニウムとラジウムを

小瓶に入れて常に持ち歩いていたのですが、

研究用の標準服以外に放射線から身を守るような服は

何も着ていなかったそうです。

キュリー夫人は研究に用いた放射性物質が原因で

再生不良性貧血を患って、1934年に66歳で亡くなっています。  

現在、キュリー夫人の手書きノートはフランス国立図書館で

保管されているのですが、キュリー夫人が持ち歩いていた

放射性物質の半減期は1601年のため、

ノートを始めとした研究資料や衣服、家具、料理本に至るまで、

キュリー夫人の持ち物はいまだに放射能を持っており、

今後何世紀にもわたって鉛の箱に入れて保管しなければ危険な状態です。

   

  

亡くなって87年が経ちます。

放射性物質の怖さは認識された時代になったと思いますが、

原子爆弾が投下されたり、原子力発電所がメルトダウンしたりと、

痛ましい出来事は起こってしまいました。

そしてその危険性は身近にあります。

キュリー夫妻の無知を笑うことはできません。

2021年8月 4日 (水)

番画〈349〉:宅配ドライバーのプロをめざす

    

今日は令和3年8月4日。

   

番画です。

今日は「プロフェッショナル 仕事の流儀」を3本見ました。

今回の番画は、道徳の授業で見せてもいいなと思いました。

  

〈349〉「プロフェッショナル 仕事の流儀 ”1分の1”の荷物に

  思いを込めて 宅配ドライバー 永澤康太(29)」

  (2021年5月18日放映)

 

〇(ナレ)永澤が荷物を運べば町の空気が変わる。

〇配達される人たちに人気のある人。

〇埼玉県鴻巣市北東部を担当。ヤマト運輸。

〇4分で1つの配達のペース。過密だ。

〇「僕らが届けた荷物でお仕事を始められる方もいらっしゃる。

 工事現場の人で『それ待ちだった』『ありがとう。早くて助かった』

 って言われると、役に立ってるなあと思いますね」

〇気配りがすごい。

 ・扱っている2000軒の在宅時間をつかんでいて、

  在宅時に配達する。

 ・雨が荷台に降りこまないように向きを考えて駐車する。

 ・ラーメン屋に届けるのに、

  午前11時50分に届けたら困ると予想する。

〇安全重視 なるべく車をバックで動かさない。

  配達で走るのは、安全確認の時間をとるため。

〇人工知能を使って配達順が示される。

 永澤は、その配達順に自分の経験を加えて配達順やコースを決める。

 より安全なルート、停車位置を決める。

〇実際に荷物が発送されて届くまでに関係する人たちを紹介。

 新潟の蕎麦屋のそばが、埼玉の家に届くまで。

 途中行程の運転手の発言。

 800~1000個の荷物を運ぶ。

 「プレッシャーは感じています。その荷物の数を人間って考えたら、

 ものすごい。背中からの来る重圧っていいますかね」

〇朝早く届いた荷物を、配達車に振り分ける

 「早朝アシスト」という仕事。こういう仕事もあるんですよね。

〇永澤さんが、宅配ドライバーになるまでの課程が物語だった。

 中学時代 中途半端な自分 卒業文集に「何かのプロになりたい」

 高校卒業後、保育士になろうとして専門学校へ。

 とても保育士にはなれないと判断して専門学校をやめる。

 仕事に就くが、長続きしない。

 母親が務めていたヤマト運輸で働くことになる。

 それほど宅配の仕事に思い入れがあったわけではなかった。

〇「頼んだ翌日に頼んだ時間に届くのが

 当たり前になっている世の中で、

 そこのイメージは絶対に崩したくないですし、

 僕が届けて、ひとつ笑顔になったことで、

 少しでも優しい気持ちになって、

 少しでも楽しい気持ちで

 僕がお届けしたあとの生活が待ってればいいかなと

 思いますね。」

〇「いつか(宅配の仕事が)『職業の夢ランキング』に

 入ってくれたらと思っています」

 この発想は、ゴミ収集員の気持ちと共通している。

 ※ここでも道草 プロフェ・ごみ収集員(2021年7月25日投稿)

〇(ナレ)何かのプロになると願った普通の青年。

 今、宅配のプロとして、仲間とともに走る。

〇「何かのプロ」になりたいと書いた永澤は、宅配のプロをめざす。

 

登校日にスイカを教室で食べた/果物アレルギーを知る

   

今日は令和3年8月4日。

  

昨日は出校日でした。

この日にやりたかったことが、

学級の畑で収穫したスイカをみんなで食べること。

ここでも道草 スイカの収穫4個(2021年7月27日投稿)

常温で食べてもいいかなと思いましたが、

主任の先生に「冷やしましょう」と言われて、

前日から冷蔵庫で冷やしておきました。

  

夏休みの出校日に、教室でスイカを食べる。

そんな体験ができました。

よかった。

  

驚いたのが、スイカが苦手な先生や生徒がいたことです。

誰もが喜ぶと思ったスイカですが、

苦手な人がいました。

アレルギーだという人もいました。

調べてみました。

「果物アレルギー」というのが増えているそうです。

杉本クリニック 果物アレルギー ご注意を

☝ ここから一部引用します。

    

果物を食べると口の中のかゆみ、唇の腫れなどの症状が出る

「果物アレルギー」が増えている。

花粉症との関連がある新しいタイプのアレルギーと考えられており、

注意が必要だ。

  

国立病院機構相模原病院(神奈川県相模原市)の

アレルギー性疾患研究部長、海老沢元宏さんは

「果物によるアレルギーは増えている。花粉症の人が発症しやすく、

関連があると考えられている」と指摘する。

   

飲食して5分以内に口の中や唇にかゆみや違和感がでることから、

「口腔アレルギー症候群」とも呼ばれる。子どもも大人も発症する。

果物や野菜には、

花粉症のアレルゲン(アレルギーの原因となるたんぱく質)と

似た構造のたんぱく質を含むものがある。

花粉症患者が、これを食べると症状が出る場合がある。

花粉症になって数年後に果物によるアレルギーを

発症するケースが多いが、遅れる理由ははっきりしない。

   

花粉症の原因となる植物の種類によって、

アレルギー症状が出る果物は違ってくる。

カバノキ科のハンノキやシラカンバの花粉症は、

リンゴ、モモ、サクランボといったバラ科の果物で症状がでやすい。

ブタクサは、メロンやスイカなどだ。

患者が多いスギ花粉症はトマトで症状が出るが、報告例は少ない。

理由は不明という。  

  

  

調べてみて再び驚きました。

花粉症との関連があるのですね。

ブタクサで花粉症になる人は、スイカは苦手になるのです。

ミネラル水で花粉症が治ってしまった私にとっては、

大丈夫だと思えた情報ですが、

スイカを食べられる人がこれからは減ってくるかと思うと心配です。

  

番画〈348〉:夜間中学教師 自分の人間力で勝負する

    

今日は令和3年8月4日。

   

番画です。

   

〈348〉「プロフェッショナル 仕事の流儀 夜間中学教師

  入江陽子(53)」(2021年5月25日放映)

  

〇夜間中学校 全国に36校ある。

 現在、生徒の約8割を占めるのは外国人。

〇夜間中学校はセーフティネットの役割。

〇昼過ぎに出勤して、晩は午後9時半まで。

〇1年目は日本語教室

 2~3年目は通常学級

 入江陽子は27年間、日本語学級教師として勤めてきた。

〇生徒は生きていくために言葉を習得したいと思っている。

〇いろいろな事情があって通ってくる生徒

 「ゆっくり、粘り強く」教えている。

 ひらがなの読み書きができることで生活が変わる。

〇いろいろな事情があって通ってくる生徒。

 一教員では体験しないような体験をしてきた生徒もいる。

 生徒と先生の上下関係ではできない面もある。

 「縦じゃない、水平」

〇国も違い、文化も言葉も違う生徒たち。

 それでも「心が通じ合う」ことがある。

 だから面白くて教師の仕事をやめられない。

〇夜間中学校の存在は、在日外国人にあまり知られていない。

 入江陽子も休日返上で広報活動をしている。

 「(夜間中学が)本当に必要な人に届いていない」

〇なめられたら終わりだと思って、厳しくしかっていた生徒がいた。

 その生徒は退学した。

 でも本当は見てもらいたかった。

 「一人の人間として自分を見せるしかない。

 変にかっこうつけるっていうか、

 先生ぶるっていうか、

 その前に自分はこういう人間なんだというところを

 見せるしかないな。

 それをただもう伝えて、

 その反応によって、また対話を深めていく」

 「等身大の対話」

 「生徒が何を考えているとか、

 どんなことを感じているかとか、

 そういうのをやっぱり知りたい」

〇ここはすごく共感できるところだ。

 なめられてはいけないと思って、教師がやることは、

 その先生にとって不慣れなことをする。

 その先生らしさがなくなってしまう。

 この先生のように、なめられるかもしれないが、

 自分はこういう人間だと示して、それで付き合う。

 対話をする。

 自分の人間力で勝負する。

  

〇卒業していく生徒への思い。

 「日本での人生に幸あれ 心よ、壁を越えてゆけ」

〇プロフェッショナルとは・・・

 「本当に生徒のことを、生徒に向き合って、

 生徒のことを考えて、最善を尽くせる人。

 とことん考え抜いてやれる人」  

番画〈344〉〈347〉:大迫傑 挑戦と挫折を繰り返してきた愚か者

    

今日は令和3年8月4日。

   

番画です。

   

〈344〉「ウルトラQ リマスター版 19 2020年の挑戦」

  (2021年8月2日放映)

 

〇「2020年」に注目したけど、よくわからなかった。

 ケムール人は充分に気味が悪く、走り方が独特で、

 5歳の時に見た覚えがあるぞと思わせてくれました。

  

 

〈345〉フィッシャーズ

【ドッキリ】フィッシャーズ大好きな子たちの家にいるドッキリしたら大号泣しちゃった!!
YouTube: 【ドッキリ】フィッシャーズ大好きな子たちの家にいるドッキリしたら大号泣しちゃった!!

  

〈346〉フィッシャーズ

運転手さん、許せるわけねぇだろ!!
YouTube: 運転手さん、許せるわけねぇだろ!!

 

〇フィッシャーズの番画を2本見ました。私のノルマ。

〇シルクはタクシーに乗ることが多いそうで、

 タクシーで出会った運転手さんにまつわるエピソードを

 話す回だった。

 警察に追われ、それを振り切ったタクシーの話が面白かった。

 シルクの、人に話を聞かせる話術は参考になる。

 フィッシャーズが続くのは、シルクの話術も大きな理由のひとつだろう。

  

 

〈347〉「プロフェッショナル 仕事の流儀 ”愚か者”が道をつくる

  大迫傑(すぐる)」(2021年6月29日放映)

 

〇2018年シカゴマラソンで、日本人の壁であった2時間6分を

 上回る2時間5分50秒で日本新記録。

 褒賞金1億円を手にする。

〇少年野球の練習で走る練習をする。

 走る大会で勝ったことから長距離に進む。

 中学校で陸上をやる。

 指導者の言われたとおりに頑張るタイプだった。

 中学校のラストで、予選で落ちたことで、指導者に言った。

 「もっと他の練習をしていたら、もっと早く走れたのではないか」

 大迫選手が「自分で考え、自分で決める」ことを始めたのは、

 この時の経験からではないか。

〇高校は指導者を求めて佐久長聖高校。

 大学は各自の考え方を重視する早稲田大学。

  国際ジュニア大会で、外国選手に1周遅れとなる。

 こんなのではダメだと思った。

 駅伝でちょっと走ったくらいで満足してはダメだ。

 日本一を目指すのではなく世界一を目指そうと考える。

 周回遅れを体験して、圧倒的な力の差を見せつけられたのに、

 そこから頑張れるのはすごいことだと思う。

〇実業団に所属して力を養うのが日本の流れ。

 大迫は1年実業団に所属したが、その後はアメリカに拠点を置く。

 プロランナーとなる。

〇日本の走り方はかかとから着地する走法。

 それでは世界との差は4分。

 足先を先に着くフォアフット走法を大迫は取り入れる。

〇今年1月からはケニアで合宿。

 心地よい環境から離れるのが挑戦。

 レベルの高い選手との練習ができる。

 空気の薄さ 心肺機能を強くすることができる。

 標高2400m。

 人がやらないことをやる。

〇なぜリスクが高いことをやるのか。

 大迫さんが帰国した時に一緒にランニングする仲間。

 彼らもさまざまな分野で挑戦するエキスパート。

 彼らと交流することで、刺激を受けている。

 背伸びをしてこれらの人と会うことで発見がある。

〇「毎日を積み重ねる」

 「陸上競技ってシンプル。右足左足、目をつぶっても動かせば

 前に進む。シンプルな競技。そしてシンプルにタイムを競う競技。

 シンプルに順位を競う競技。だからこそ、当たり前のことを

 当たり前にやる。本当に単純に毎日の練習。

 ただひたすらにシンプルなことを継続して、

 シンプルに自分に向き合うしかないんですよね。

 毎日の積み重ねが大事だということです。」

〇毎日が挑戦、毎日が挫折。でも続ける。

 恥をかくことを恐れない。

 恥をかくのがいやだから行動しないのはもったいない。

〇最初の日本代表選考会で、実業団選手に敗れ、代表から漏れた。

 挫折。

 しかし、2020年3月の最終選考会で、

 日本新記録で、代表選考に選ばれる。

〇「自分で決めて失敗して違う方法で決めて試してまた失敗し、

 もう一回試してまた失敗して、でももう一回試した時に

 成功するんじゃないですか。

 そのためには常に商戦し続ける。

 それって僕にとってとても価値のあることだと思っている。」

〇挑戦と挫折を繰り返してきた愚か者

 このセリフが番組の総括としていいなと思った。

   

 

2021年8月 3日 (火)

「維新前夜」③ 名倉予何人が魅力的な人物でした

    

今日は令和3年8月3日。

   

前記事に引き続き、

「維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ」

(鈴木明著/小学館)

より引用していきます。

   

 

この世に「火輪車」というものがあり、アメリカに行った使節団一行

も、また二年前竹内使節団一行も、この「火輪車」に乗っている話は

きいていたのだが、復一は「鉄道」という言葉にだまされて頭から、

そこには「鉄の道」が続いていると思い込んでいたのである。

復一は、初めて「鉄道」というのは、二本の敷かれたレールであるこ

とを知って、おもわず、

「あっ、これが鉄道か」

と声を出した。

知ってしまえば何のことはないが、初めて見る復一には、自分の知識

不足、愚かさに対して、頭をなぐられたような気持である。

(203~204p)

   

そう思うだろうなと思います。

当時の人たちがどう思ったかわかるいいシーンです。

私も、先入観を覆させられ、頭をなぐられるような体験から

離れているなあと思いました。

  

  

カイロに着いてから、名倉はことあるごとに怒っていた。

「エジプト人は不潔だ」

「迷信だけで、信念がない」

「食い物が粗野だ」

そういいながら、名倉は一日として宿舎にいたことはなかった。43

歳としては、信じられないほどの行動力だった。唯一の好物になった

らしいオレンジを食べながら、土地の習慣、三層ホテルの様子、食べ

もの、家屋、地形、軍隊の教練、水利、葬式、結婚式、水煙草、それ

にエジプトの主権国トルコ人の横暴・・・およそ眼につくものは、す

べて書き留めていた。

(211~212p)

中国と、平等な条約を結び、お互いに手を携え、西欧の勢力をアジア

からしめ出すーーー。

それが、名倉の火のように燃えた信念だった。

(337p)

  

名倉予何人(あなと)はとても魅力的な人物として描かれていました。

年輩なのに、好奇心があって行動力がありました。

そして信念がありました。

60歳になったけど、名倉予何人の生き方は参考になりました。

  

  

明治新政府が、旧幕臣の技術力に眼をつけ、新政府への登用をはじめ

たのは、明治2年の半ば頃からであった。昨日まで「薩長・徳川」と

いう形で戦ってきた、まさに「次の日から」といった変わり方である。

三宅の親代わりともいうべき田辺太一の許へも、何度か薩長の使者が

来て「是非、新政府への仕官を」と説得した。田辺太一が「外務省」

の役人になったのは、明治3年1月である。

(341p)

   

「万波を翔る」のラストは、田辺太一が新政府に仕官することを

決断した時でした。

江戸幕府は滅びましたが、幕臣には優秀な人がたくさんいて、

田辺太一のように、新政府にも貢献した人がいたことが、

本を読んでじわじわわかってきました。

  

  

幼い頃、黒船を見て驚いた少年は、明治、大正、昭和と生き続け、晩

年にはラジオの熱心なファンになった。エレキテルの発見から、ラジ

オの普及期になるまで、三宅は生き続けたのである。

昭和13年3月16日、三宅秀(ひいず)は眠るように死んだ。91

歳だった。

(354p)

  

パリに行った時には17歳だった三宅復一(幼名)。

その後、とっても立派になって驚いてしまいました。

※参考Wikipedia 三宅秀

私も昭和、平成、令和の3つの元号の時代を生きて、

なにか面白いものに夢中になって、

90歳くらいまで生きて、眠るように死にたいですね。

  

  

以上で引用終了。

「維新前夜」② この本での田辺太一、水野忠徳の描かれ方

   

今日は令和3年8月3日。

   

前記事に引き続き、

「維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ」

(鈴木明著/小学館)

より引用していきます。

  

いうまでもなく、高島秋帆の名は、幕末における最大の砲術家として、

よく知られている。(中略)

秋帆は、その後さまざまな事件に巻き込まれ、十年の長きにわたって、

幽閉の生活を送らされた。秋帆が、これらの苦難をのりこえて、再び

幕府講武所の教官に返り咲いたのは、嘉永六年である。この年、秋帆

が予言したイギリスではなかったが、アメリカのペルリが浦賀に来航

し、黒船騒ぎで日本中が沸き返っていた。秋帆が再起用になったのは、

その丁度二か月後、ということになる。

(92p)

  

「いうまでもなく」と書かれたけど、高島秋帆についてよく知りません。

でも、大河ドラマの「青天を衝け」でこの名前を聞いたぞと、

繋がりました。

玉木宏が演じていた人が、この高島秋帆だったのです。

勉強になったぞ。ちなみに秋帆は「しゅうはん」と読みます。

幕末の人たちの名前は読みづらい。

  

     

田辺太一は、幕府のエリート校であった昌平黌(しょうへいこう)で

「並ぶものなき秀才」といわれた男である。唯、儒者の次男だから、

太平の世ならば「優秀な先生」として、その生涯を終ってしまったか

も知れない。

時代が田辺太一を必要とした、というのが、一番適切な表現であろう。

太一が二十二歳のとき、ペルリが来船した。それから六年後、横浜が

開港されると、太一は甲府の先生から江戸に引き戻され「外国方」の

勤務となった。二十八歳である。

田辺太一の仕事は、横浜における外国人と日本代表との交渉を「筆記」

することだった。「筆記」といえば、唯の速記者のようにみえるが、

そうではない。外国人との交渉の内容をよく理解し、誤りのないよう

に他人に伝えることが「筆記」である。「筆記」をするには、外国へ

の知識だけでなく、幕府が何を考え、日本の針路をどのように目指し

ているのか、根本のところを、よくよく理解していなければならない。

田辺太一の主人筋に当たるのが、これまた天才、傑物とうたわれた水

野筑後守忠徳であった。幕末には数多くの者が「外国奉行」となり、

思いがけない人材を輩出したが、その中でも、「開国とは何か。貿易

とは何か。外国通貨との為替や相場が、日本の”両”に如何なる影響を

及ぼすのか」ということを、本当に理解していた老中は、この水野筑

後守一人であった、といっても、いい過ぎではない。

水野筑後守は田辺太一の才覚を頼りにし、田辺もまた、水野を心の底

から尊敬していた。二人は、お互いの智恵を出し合いながら「メキシ

コ銀と一分銀の交換レートを如何にすべきか」とか、それが日本に及

ぼす経済的波及効果など、それまでの日本が、嘗て一度も経験したこ

とのなかった難事に取り組んでいた。

(97~98p)

   

「万波を翔る」の主人公の田辺太一、副主人公的な水野忠徳。

作家が違うと、描かれ方が違ってくるのが楽しい。

「万波を翔る」だと、2人は天才、秀才っぽくなかったです。

でも「万波を翔る」と「維新前夜」を読んだことで、

幕臣にはなじみが出てきたのがうれしいです。

教科書に載っていない人は、たくさんいるんだなあ。

  

   

当時のフランス支配者ナポレオン三世は、パリを近代的な都市にする

ことに熱中し、同時に新しい「シルクロード」を海に求めていた。パ

リーリヨンーマルセイユースエズーシンガポールー上海、そして江戸

を結ぶルートが一番理想的だが、そこにはいくつかのネックがある。

まず第一に、地中海はスエズのところで陸地になっており、印度洋に

直行できない。このために、荷物は一旦陸に下され、アレキサンドリ

アからスエズまで陸揚げして運び直さなければならないが、これは大

変なエネルギーの浪費である。

1850年代に入って、フランスの外交官レセップスが「スエズに運

河を作って、アジアへの直線コースを便利にしよう」と考え、ナポレ

オン三世もこれを許可して、1859年に世界的な大工事にとりかか

った。

(180~181p) 

  

渋沢栄一にも影響を与えたスエズ運河の大工事には、

このような背景があったのですね。

フランスによる工事だったんだ。

これも勉強になった。

  

  

つづく  

     

  

  

  

  

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