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2021年5月 3日 (月)

地球上にまだたくさんの核兵器がある事実

   

今日は令和3年5月3日。

   

連休の残り3日。

いい3日間にしたい。

  

2021年5月2日の朝日新聞朝刊から引用したい。

3面の「日曜に想う(おもう)」の記事は、

このブログにキープしておきたいと思った記事でした。

第五福竜丸で核兵器への関心が高まり、

昨日の「虎ノ門ニュース」で、軍事費増のニュースに触れて、

いやがうえでもこの記事は注目です。

書き手はヨーロッパ総局長の国松憲人さん。

長い引用です。

  

頭を上に、核を見据えよ

 

 足元に、核戦争の影が潜んでいる。そう知ったのは、ウェブで偶

然目にした昔の地図の写しからだった。

 冷戦時代、ロンドンの8か所に核シェルターが設けられていた。

その位置を示した図面の地形に、何だか見覚えがある。自分の職場

の真ん前ではないか。

 朝日新聞ヨーロッパ総局が入るビルの玄関先直下から、延長1,5

キロに及ぶ狭い筒状のトンネル空間が広がっている。地下鉄の駅よ

りさらに深い地下約30メートル。第2次世界大戦中にドイツ軍の

空爆対策として掘られ、その後核シェルターに転用された。入り口

は、通勤の際に日々見かける無表札の古びた建物だった。

 閉鎖されて久しいその内部を見た人に話を聴いた。地下探索愛好

家団体「サブテラネア・ブリタニカ」前代表のマーティン・ディク

ソンさん(66)だ。1990年代半ばに見学を許されたという。

 「普段誰の目にも触れない地底に、こんな世界が広がっていたと

は。異次元に移った気分でした」。そこには、核攻撃下での通信拠

点となる電話交換局が設置されていた。米ソ首脳が連絡を取り合う

ホットラインも、ここを経由していたという。職員約150人のた

めの食堂やバー、社交クラブも内部に備わっていた。

 「ただ、実際に核戦争が起きると、シェルターに2,3週間隠れ

たところで、何ができるでしょうか。英国のような小さな島国は、

何発か見舞われた時点でもう、廃墟になってしまいますよね」

   

 地球を何度も破壊するに足る核ミサイルを手に、米ソが対峙した

冷戦は、30年前に終結した。シェルターはもはや、過去の遺物と

映る。

 ところが、核攻撃の脅威は消えたどころか、近年再び高まってい

る。少なくとも英政府はそう考えていることをうかがわせる出来事

があった。3月に発表された外交安全保障政策の見直し「統合レビ

ュー」で、現在180発と見られる保有核弾頭の上限を260発に

引き上げる、との方針を明らかにしたのである。何千発も持つ米ロ

に比べると地味な動きだが、軍縮に熱心だと思われていた英国が方

針を転換したとして、論議を呼んだ。

 国威発揚を狙うジョンソン政権のパフォーマンスではないのか。

しかし、そのような政治的な意図だけではないと、核政策に詳しい

英王立防衛安全保障研究所(RUSI)のマシュー・ハリーズ上席

研究員(34)は分析する。「例えばロシアのミサイル防衛技術向

上に対応するなど、軍事戦略的な要請も背景にあったと考えるのが

自然です」

 実は、こうした核戦力重視の傾向は英国にとどまらない。冷戦後、

国際政治の主役の座から降りたはずの核兵器がここ数年、軍事外交

戦略の要として復権しつつあるという。核兵器保有各国は、その強

化を模索し始めている。

 「米国とロシアと中国との関係悪化は、核兵器の重要性が見直さ

れることにつながりました。ロシアには今や、核兵器の限定的な使

用さえ検討している節がうかがえます」

 核兵器を何か遠い世界の存在だと感じていたのは、単なる勘違い

に過ぎなかったようだ。脅威が消えたとのんきに構えていた間に、

その影は再び、ひそかに背後に忍び寄っている。

  

 重大な危機に直面したダチョウは、頭を砂に突っ込んで逃れた気

になる、との言い伝えがある。振り返ると、それは自分自身の姿だ

っただろう。人類を破滅に導く核戦争を想像するのが怖いあまり、

砂に潜るがごとく目を背け、日常の課題に没頭することで満足感を

得ていたのではなかったか。

 この鳥の名誉のために付け加えると、本物のダチョウにそんな習

性はないそうだ。人間が創作した俗説だという。ダチョウは危難を

しっかり見据え、対応を模索する。我らもまた顔を上げ、事態を直

視しなければなるまい。

 ディクソンさんによると、ロンドンの核シェルターはすべて政府

や軍のためで、市民は入れなかったという。地面に逃げ込むことは

ここでも、問題の解決に結びつかないのだった。

  

  

冷戦が終わって30年。

確かに核兵器への関心が薄れていました。

そんな時に「第五福竜丸」の紙芝居に出合えて、

その紙芝居で授業をしようと考えたのは、幸運なことと思いたいです。

武田教授が言うには、アメリカが行った水爆実験の影響は、

今なお残っているそうです。

1954年から67年も経っているのにである。

地球上の生物は、微量化もしれませんが、放射線を浴びているのです。

  

ダチョウのたとえはわかりやすいです。

地球上にはまだ数多くの核兵器が存在するのです。

減らす方向が鈍化して、あろうことか増える方向に転換したなら、

由々しき事です。

  

この記事は取っておきたい記事でした。

 

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