今日は令和4年7月31日。
前記事に引き続き、
7月2日放映の「電脳ワールドワイ動ショー」より。
トルココーヒーが紹介されました。
砂の中に入れたコーヒーが・・・・
湧き出てきます。
これがトルココーヒー。ユネスコの世界無形文化遺産だそうです。
1杯のお値段は・・・
作り方は・・・・
あの砂は、熱せられた砂だったのです。
砂の中で煮立って、できあがるのです。
動画で見ることができました。
YouTube: 砂で熱する伝統トルココーヒー実演!一杯たったの100円です
ここでは1杯100円でした。
この動画には次のような説明がありました。
トルココーヒーを注文すると必ず、お砂糖の有無を聞かれます。日
本人なら普段は砂糖なしで飲む人が多いと思いますが、トルココー
ヒーの時だけは絶対砂糖を入れるのがおすすめ。砂糖なしでは苦い
だけで全然美味しくないんです。騙されたと思ってぜひ砂糖ありで
試してください。
この情報、いつか役に立つ時が来るかな。
今日は令和4年7月31日。
7月2日放映の「電脳ワールドワイ動ショー」より。
今では見かけない仕事として「金継ぎ(きんつぎ)」が
紹介されました。
金で装飾された器がなかなかいいです。
興味をもったので調べてみました。
YouTube: 【金継ぎ修理】小さく欠けた器を漆で直す~水色のカップ
ほんの少し欠けた茶碗に手をかけて修繕する金継ぎは、
日本人らしくていいかも。
金継ぎされた器の実物を見たことがないけど、
昔だったら、普通の家庭にもあったのだろうか。
※なんぼや 「金継ぎ」とは?~日本伝統の修復技法の魅力と方法
☝ ここから引用します。
金継ぎとは、金を使って壊れた陶磁器、ガラス製品などを修復する
ための技法のことを言います。
物がたくさんあふれている現代においては、陶磁器やガラス製品が
割れたときには、「廃棄して新たな物を購入する」という方法をと
るのが一般的です。
しかし物がまだそれほど多くはなかった時代には、「割れた物を修
復し、もう一度使う」という考え方が当たり前でした。
日本人の物を大事にする心によって生まれたのが、「金継ぎ」とい
うすばらしい技術なのです。
やはり日本人らしい技法なのでしょう。
金継ぎは、壊れた器を修復するための実用的技法であるとともに、
日本ならではの美しさを世界に誇るアートでもあります。
金継ぎで修復した器には、割れ面に沿って金の線が走ります。この
線を使いながら、器に新たな景色を描き出すことで、器の価値を高
められる点が、金継ぎならではのメリットと言って良いでしょう。
この美しい金継ぎの技術が確立したのは、室町時代だったと言われ
ています。当時の日本では茶の湯が盛んで、器も多く使われていま
した。
一つずつの器を大切に使うのはもちろんのこと、金継ぎの美しいデ
ザインに魅了された人が多かったことも事実であり、金継ぎは盛ん
に行われていました。
残念ながら近年では、壊れたものを修復してまで使おうとする方の
数は減少傾向にあります。
また金継ぎという伝統的修復方法について、知らない方も増えてき
ています。
初心者でも手軽に実践できる金継ぎですが、それをアートにまで昇
華させようと思えば、やはりそれなりの知識・技術が必要となりま
す。こうした金継ぎのプロは、徐々に減少傾向にあり、日本の伝統
的な技法を守っていく上で今後の課題とされています。
アートまで昇華された作品を見てみたくなりました。
ここで見ることができました。
今では見かけない仕事として紹介されましたが、
どっこい現代にも生きている技法でした。
今日は令和4年7月29日。
新聞を開いてビックリしました。
昨日読んだマンガ「ペリリュー 楽園のゲルニカ」の
宣伝が、新聞1枚デーンと載っていました。
今日の朝日新聞朝刊です。
写真を撮ってみました。
何て書いてあったか。
書き写してみます。
もし彼らが、今の時代に生まれていたら。
大学に行って、好きなことを勉強していたかもしれない。
二日酔いで、授業をサボる日もあったかもしれない。
彼女と遊園地に行って、お揃いのカチューシャをつけていたかもしれない。
SNSで、仕事の愚痴を呟いていたかもしれない。
同期とカラオケに行って、朝まで歌い明かしていたかもしれない。
今日も、なんでもない一日を過ごしていたかもしれない。
そして彼らだって、戦争に、興味なんてなかったかもしれない。
違うのは、生まれた時代だけ。
私たちと変わらない普通の若者たちが、何を想い、戦場を生きたのか。
今こそ、すべての人に知ってほしい。
知りたいです。
私はまだ1巻しか読んでいないけど、
全11巻あります。
縁があったから、このシリーズを読みたいです。
今日は令和4年7月28日。
このマンガを読みました。
「ペリリュー 楽園のゲルニカ」第1巻
(武田一義作/ヤングアニマルコミックス)
作者の武田さんは、ペリリューの戦いについて、
2015年に知ったと書いていました。
2015年、天皇皇后陛下が慰問でペリリューを
訪れたニュースで知ったそうです。
私もそのニュースに注目していました。
※ここでも道草 4月9日に両陛下がペリリュー島訪問(2015年3月25日投稿)
※ここでも道草 ペリリュー島に関するニュース2/両陛下の9日の動き(2015年4月11日投稿)
武田さんは、それ以後、ペリリューの戦いについて勉強して、
マンガを連載をしたようです。
私は、このマンガを読むことで、
武田さんの勉強したことを学びたいと思いました。
利用できるものは利用します。
1巻では、アメリカ軍がやってくるのに備えて、
固い壁を掘って洞窟陣地を作るところと、
そしてアメリカ軍がいよいよ上陸して戦いが始まったところが
描かれていました。
戦いが始まったばかりなのに、死体が累々と横たわっていきます。
映画やドラマで描かれるような、きれいな死体ではありません。
千切れた、吹っ飛んだ、そんな死体です。
それが現実なのでしょう。
そして主人公の田辺一等兵は、ハエが増えたことに気がつきます。
死体にたかるハエが集まってきたのです。
その後、死体はどうなっていくか。想像に難くないです。
田辺は、一緒に戦って生き残った吉敷上等兵と、
「生き残ろうぜ」「生きて日本に戻ろう」と語り合います。
現実は厳しい。
ペリリューの戦いで、日本兵は1万人。
生き残ったのは38人。
2人の運命はどうなるのか。
最近知ったミャンマーの軍事政権による死刑執行のこととか、
前から勉強している沖縄戦のこと、ペリリュー戦のこと。
少しでも情報を集めて、生徒に語れるようになりたいと、
社会科教師としては思います。
社会科教師の役目だと思うのです。
いろいろなことを生徒に伝えたい。
今日は令和4年7月28日。
この映画を観ました。
「沖縄スパイ戦史」(三上智恵、大矢英代監督)
戦争が始まれば、こんな悲劇が起こってしまうことを
教えてくれたドキュメンタリー映画だと思いました。
沖縄戦での出来事。
悲劇その1は、少年兵。
沖縄では、15~17歳の少年たちが、銃を持たされ、
訓練を受けて少年兵として戦いました。
護郷隊、鉄血勤皇隊、防衛隊などと呼ばれました。
護郷隊の少年たちを訓練したのは、
陸軍中野学校出身の2人の中尉が派遣されて行いました。
日本軍は、沖縄の民間人を巻き込んで
戦争を遂行する方針だったのです。
上陸したアメリカ兵との肉弾戦を強いられました。
追い詰められて、基地を移動する際には、
ケガをしている少年兵は殺されました。
戦友の看護は認められていなかったのです。
足手まといになるし、生きてアメリカ兵の捕虜になれば、
こちらの情報が知られてしまうことを恐れて、殺したのです。
派遣された中尉は、戦争を生き残ります。
戦後、元中尉は、元少年兵や少年兵の遺族を訪問します。
遺族からは「何であなたは生きのこって、私の息子は死んだんだ」
と言って、追い返させられます。
中尉も当時は22歳。
少年兵にとっては兄貴のような存在。
少年兵も中尉も、戦争体験をするには若すぎたのです。
悲劇のその2は戦争マラリアです。
これについては、以前本で読みました。
※ここでも道草 沖縄「戦争マラリア」① 8カ月一緒に生活して話を聞く(2020年4月29日投稿)
沖縄諸島の中にある波照間島での出来事。
この島に、中野学校出身の山下虎雄が赴任します。
最初は学校の優しい先生として、島民には認識されました。
しかし、戦火が近づいてくると、山下は正体を現します。
島民を、西表島に強制移住させるのです。
当時の西表島は、マラリアに罹る可能性が高い恐怖の島でした。
島民は反対しますが、受け入れられません。
西表島で島民の3分の1がマラリアで命を落とします。
なぜ移住させたのか。
軍の作戦を遂行するのに、戦力にならない民間人はじゃまだったのが、
一つの理由。
そしてもう一つの理由は、波照間島で飼われていた牛馬を取り上げて、
沖縄戦で戦う兵士の食糧にするためでした。
沖縄戦では、民間人を利用しながら、戦争が行われました。
しかし、日本軍は、民間人を信じていなくて、
民間人が敵に捕まれば、スパイになると思っていました。
疑心暗鬼の中、民間人をころす兵隊がいました。
民間人同士で疑って、かねてから気に入らなかった人物を、
殺してしまうということもありました。
この映画で、沖縄戦は、民間人を巻き込んだ
悲劇的な戦いだったことがわかりました。
軍隊は、敵のせん滅が目的であって、住民を利用すれども、
住民を守ることは作戦には入っていないのです。
味方の軍隊は、私たちを守ってくれるという考えは甘いのです。
それは昔話ではなく、今戦争が起こったとしても言えることなのです。
今日は令和4年7月27日。
※ここでも道草 生活のBGMは「孤悲」(さだまさし)(2022年6月24日投稿)
☝ まだ聴いています、このアルバム。
今晩は、アルバムのライナーノーツを読みました。
「緊急事態宣言の夜に」の文章が印象に残りました。
この曲の歌詞は、2年前の2020年4月7日に、
インスタグラムに書いた文章が元だそうです。
インスタの文章を読んだスタッフに「これを是非歌ってくれ」と言
われ、迷った末、「今を刻む」責任があると考え直し、4月9日に
一気に作った。翌日の配信ライブで歌った所、沢山の熱烈な共感が
寄せられたのに吃驚(きっきょう)した。
それがこの映像であろうか。
YouTube: 【新曲披露】さだまさし 緊急事態宣言の夜に作曲した新曲 〜68歳誕生日 生放送〜 字幕歌詞付き
文章はつづく。
はじめ本アルバムに入れる気は無かったが、スタッフの強い希望で
収録することにした。(中略)歌詞は2年前の不安と感謝を歌った
ものだが、敢えて一切修正しなかった。「あの時の自分」を刻むた
めだ。
2回「刻む」という言葉をさだまさしさんは書いています。
「今を刻む」責任
「あの時の自分」を刻む。
刻むというのはいい言葉だと思います。
言い換えるなら、「記録する」でしょうか。
さださんは、その時代を記録する歌を作る責任が
確かにあると思います。
私も、毎日何かを刻んで前進していきたいと思っています。
それが日記帳であり、このブログなのかなと思います。
できたら力強く刻みたいなあ。
そのためには、良かれと思うことは
頑張って実行しつづけることですね。
今日は令和4年7月26日。
前記事に引き続き、
「80歳の壁」(和田秀樹著/幻冬舎新書)
より。
80歳を過ぎた幸齢者の場合は、生きがいに頼り過ぎるのも考えも
のです。
いつまでも続けられるとは限らないからです。たとえば、ジャズダ
ンスを生きがいにしている人がケガをした場合、大きな喪失感を味
わうことになります。犬を生きがいにしている人が、犬の死をきっ
かけに外出しなくなる例もあります。
生きがいがあることは幸せなのですが、あまりに幸せだと、なくな
ったときの反動が大きいのです。
そう考えると、やはり、日々を楽しく暮らす、という発想が大事な
のだと思います。したいことをする、面白そうだと思うことをやっ
てみる。
そうやって日々気楽に一日一日を過ごしていくことが、80歳の壁
の乗り越え方なのかもしれません。
(127~128p)
これはなかなか意味深な提案だと思います。
私は山登りが好きですが、いつまでもできるものではありません。
できなくなった時には反動があるかもしれません。
いきがいを持つことが当然と思っていました。
でも小さな生きがいもあると思います。
動画を収集して見ること、ブログを書くこと、
ビールを飲むことだって、生きがいになると思います。
死ぬまでまわりに迷惑をかけずにできる
小さな生きがいも大切にしておきたい。
過去が恵まれていた人は、その差をどうしても引き算で考えがちで
す。このため、今は不幸だと思ってしまう。でも、そうやって過ご
す晩年は、やはり寂しいものです。できるなら、楽しい晩年にして
ほしいと思います。
そのためには、どうするか?
なくなったことではなく、増えたことに目を向ける、というのが私
の提案です。「昔は忙しかったのに」ではなく「いまは時間がある
から、のんびりと、いろんなことを自分のペースでできる」
「昔は大企業の重役だったので、みんながペコペコしてくれたのに」
ではなく「いまは施設で、いろんな人と話ができるから人情の機微
に触れられる」。
このように、高齢になったからできることを楽しんだり、自分の世
界を深めたりすれば、毎日がもっともっと面白くなると思うのです。
(136~137p)
これは今でも言えます。
退職したからできることを楽しもうと思っています。
夏休みに出勤した日は、部活動に行かなくてもいいのです。
これは昨年とは大きな違い。
そして何をやっているか。
教材研究として、教室で動画を見ています。
この前は「チコちゃんに叱られる」を連続5本も見ました。
再雇用の先輩が、「再雇用の先生が何をやっているかなんて、
他の先生はあまり気にしていないよ」と教えてくれました。
これも追い風です。
人間が80歳、90歳まで当たり前に生きる時代なんて、これまで
誰も経験してこなかったのですから、幸齢者の生き方に正解などあ
るはずがないのです。
世間でもっともらしく言われている常識などに惑わされることなく、
気楽に生きていきましょうよ。きっとそのほうが、満足な日々を過
ごせるし、結果長生きにもつながりますから。
(141p)
いい生き方をしてみたいですね。
そしてその生きっぷりをこのブログに記録して、
積み重ねていくのが理想ですね。
いいことがたくさん書いてあった本ですが、
引用はこれで終えようと思います。
これから20年の生き方の参考になりました。
今日は令和4年7月26日。
前々記事に引き続き、
「80歳の壁」(和田秀樹著/幻冬舎新書)
より。
クルマの運転に関しては、私は続けたほうがいいと思っています。
運転する自信がなくなったら、クルマを運転しなければいいだけの
話で、運転免許を返納する必要はないと思います。なぜ、できるこ
とを自ら放棄してしまうのか、私には不思議でなりません。
持っている能力はキープし続ける。できることは放棄しないーー。
80歳の壁を超えていくには、これは絶対に必要なことだと考えて
います。
(118p)
運転免許の返納は、周囲の人たちが安心したいのでやることだと
思います。
死ぬまで運転免許を保持することは、やってみたいことですね。
きっと周囲は反対すると思いますが。
今でも、娘からは「おとうは、運転が荒いから、免許返納すべき」
と言われています。
免許に関しては、続きがあります。
そもそも75歳以上の高齢ドライバーに「認知機能検査」を義務付
けていること自体が憲法違反だと、私は思っています。
多くの先進国には「年齢差別禁止法」なるものがあります。196
7年にアメリカが先陣を切り、続いてカナダ、オーストラリア、E
U(欧州連合)各国、2002年にはお隣の韓国でも始まりました。
しかし日本にはまだありません。
この法律は雇用に関する差別を禁止したものですが、年齢差別は社
会のあらゆる場面で見られます。認知機能検査もその一つでしょう。
差別とは、特定の人間に対して「〇〇だ」と決めつけることを言い
ます。
75歳の高齢者に認知機能検査を課すということは、「高齢の人は
認知機能が衰えているから運転は危ない」という決めつけであり、
完全な差別と言えるのです。
もしも認知機能検査を受けさせたいのなら、全年齢のすべてのドラ
イバーに受けさせるべきです。なぜなら、事故を起こすのは高齢者
だけではないからです。(中略)
そもそも24歳未満の人のほうが事故を起こす確率が高いのに、高
齢者だけに「危険」というレッテルを貼るのは、やはりおかしいと
思います。
また、そのレッテルを自ら貼ってしまうのも間違っています。まだ
十分に運転できる人が、そそくさと免許を返納することはないので
す。
幸齢者が本当にすべきことは「免許の返納」ではなく「もっと自動
運転装置の精度を上げて、一日も早く安心できる暮らしを実現して
よ」と声を上げることだと私は思います。みなさんは、そう思われ
ませんか?
(120~121p)
なるほどと思って読みました。
全員に「認知機能検査」をすべきです、うん。
20年経てば、自動運転装置の精度も上がって、
免許の返納をしなくてもいいかもしれないですね。