今日は令和8年3月18日。
前記事に引き続き、昨年1月26日に歩いた金勝アルプスの
記録を書いていきます。
この橋を渡ると「逆さ観音」があるとのこと。


「逆さ観音」の案内板。
この文章の中から一部引用。
一番不思議なことは、なぜ逆さになっているのだろうか
次に、なぜ三尊石仏なのに「観音」さんなのかしら
更に、大岩の一端が割り取られているのではないか
の疑問が湧いてくるでしょう。
元は、その上部の山上にあり逆さになっていなかったのです。
正しくは「阿弥陀三尊石仏」で、中央が「阿弥陀如来」、左右の
侍仏が「観音・勢至菩薩」なのです。
大岩の一端は、下流の「オランダ堰堤」築造時(明治二十二年完成)
に石材の不足が生じてそれに使われたのです。そのため、後にバラ
ンスを失い山上からずり落ちて逆さになったのです。
以来、身を削られ逆さになっても、地元の人々を大洪水から守って
いてくださると敬われています。
逆さ観音となったのは、明治22年(1889年)の「オランダ
堰堤」がきっかけだったのですね。
もっと古くから逆さ観音だと思っていました。
でも逆さになった理由がはっきりしているのはいいのかな。
「伝説で、・・・・・が理由で逆さ観音になったと言われている」
よりは、スッキリするかな。
これが逆さ観音です。

削れたところがよくわかります。
逆さ観音を見て、先を進みます。

何か面白そうな人工物が見えてきました。
あの橋らしきものはなんだろう?
地図の⑨の場所です。

ここがオランダ堰堤がある場所でした。



これがオランダ堰堤です。

ここにも、「逆さ観音」の案内板と同時期に作られた
案内板がありました。
こんな文章がありました。
昔、この一帯の森林はヒノキの美林であったが奈良時代から平安時
代にかけて、寺院・仏閣の造営に大量の材木が奈良・京都に伐り出
された。
このため、山は荒れて禿げ山になり、明治に至るまで大洪水がたび
たび起こり、下流の人々に大きな被害を及ぼし続けた。
そこで政府は、明治六年「淀川水源砂防法」を制定、淀川水系の
治山治水工事に着手しオランダから砂防工事の技術者ヨハネス・
デレーケ氏を招いた。
ここに現存するえん堤は、明治二十二年同氏の指導の下に作られた
割石積えん堤で、わが国最古のものと言われている。
なぜ、百年以上も経った現在もなおその機能を発揮し続けているの
だろうか。
その理由としては、水裏(下流側)の放水路面がアーチ型になって
おり、中央に水を集めることで、両袖部が削られにくい構造である
ことや、えん堤下流面を階段積み(鎧積み)にすることで、流水が
階段面に当たって衝撃を和らげ、水叩部の洗掘を防止する構造であ
ることなどが考えられる。
現在もなおその効力を発揮している巧みな構造技術であり、生きた
遺跡ともいわれ「日本の産業遺産三百選」に選定されている。
ここが不明「水裏(下流側)の放水路面がアーチ型」が難解。
ここはGeminiにまた聞きました。
1. もしも放水路が「平ら」だった場合(一般的な形)

問題点: 水が横幅いっぱいに広がって流れ落ちるため、堰堤と川岸が
接している部分(両袖部)にも水が激しくぶつかります。ここが削ら
れると、堰堤全体が崩れる原因になってしまいます。
2. オランダ堰堤の「アーチ型」の場合

構造: 水が流れ落ちる部分(放水路面)の形を、まっすぐではなく中央
が低くなるようなアーチ型(ゆるやかなU字型)にしています。
効果: 水は自然と低いところ(中央)に向かって集まってから流れ落ち
ます。その結果、一番守りたい両端の岸(両袖部)に水が当たらなくな
り、削られにくくなるのです。
「放水路面」がわかっていなかったです。
堰堤の上部の水が流れる場所が「放水路面」であって、
上部に向かってアーチ型になっているんですね。
なるほどです。
でも、実際のオランダ堰堤を見ても、そのアーチが顕著ではないです。
まだ解決ではない状態で保留としたいです。
いつか確認したいです。
昭和に作られた砂防ダムなどは、この放水路面のアーチ方式を
採用していますね。
となりのカインズさん

デ・レーケの胸像。

やっぱり大水の時には沈んでしまう沈下橋のようです。
夏にはこの橋や、オランダ堰堤付近は、
水遊びをするために、子ども連れの人たちで賑わうようです。
しがそび オランダ堰堤 ってなんだ?! 大津市水遊びスポット
ここのサイトから写真転載。

この写真を見ると、少しはアーチ型がわかります。
真ん中に水流も集まっています。


いよいよ駐車場に戻ってきました。

13時23分でした。歩き出したのが午前7時54分。
5時間29分間山の中にいました。
以上で昨年の1月26日の山行の記録を終えます。