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2024年12月30日 (月)

設楽町への新ルートでの新発見 地名編「千万町」

  

今日は令和6年12月30日。

  

押し迫ってきましたね、令和6年。

いつ頃だったか忘れましたが、

記事の冒頭には、平成何年、令和何年の何月何日と

書くようにしました。

いつの記事だったか、ひとめでわかるようにしました。

ブログの機能で、勝手に西暦何年何月何日が明記されますが、

元号でも表示しておこうと思いました。

  

切り替え時によくミスをします。

きっと、もうじきやってくる年始には、

「令和6年」とこの1年間の習慣で、

うってしまうこともあると思います。

まもなく「令和7年」

今上(きんじょう)天皇は私より年上で、ほぼ1歳上。

(昭和35年2月23日生まれ)

長生き競争をして、令和をたくさん積み重ねたいですね。

  

前記事同様、前置きが長かったです。

前記事の続きを書きます。

設楽町への新ルールを走ってみて気がついた新発見を

書いていきます。

地名編の3つ目。

  

「千万町」です。

岡崎市千万町町なる住所があります。

町が2回続く、きっと珍しい地名だと思います。

「千万町」を何と読むか?

  

旧宝飯郡で教師をやっていた人たちは、

馴染みのある地名です。

「千万町」に愛知県野外教育センターがあって、

子どもたちを引率して宿泊した体験があるからです。

今は岡崎市ですが、それ以前は額田町ですね。

  

さあて読み方です。

実は私は正式名称を間違っていました。

私は「ぜまんぢょ」と思っていましたが、

正式には「ぜまんぢょう」と最後に「う」がつくそうです。

「千万町町」なら「ぜまんぢょうちょう」です。

「町」という漢字まで含めて、地名になっているのが

驚きです。

その語源は?

ネットで語源に触れていたのはこのサイト。

ARUHIマガジン 【いくつ読める?】千万町町、御器所、黄柳野…愛知県の難読地名〜中級編〜

このサイトから引用します。

 

千万町町は、千万町村と呼ばれ、古くから人々が暮らしていました。

「ぜまんぢょう」ではなく、「ぜまんぢょ」と呼ばれることもありま

す。千万町には、その昔作手(つくで)地区の管轄で、「番所」の出

張所があったとか。これを「出番所」と呼んでいたところなまって、

「でばんじょ」→「ぜまんぢょう」になったというのです。

ただなぜ、ぜまんぢょうに「千万町」という字を当てたのかは定かで

はありません。

   

フムフムです。

これが語源なら、「でまんぢょ」で「う」がない方が、

正式だと思ってしまいます。まあいいけど。

  

  

最近、この千万町が有名になったのは、

WRC(世界ラリー選手権)です。

12月28日に撮った写真です。

Img_9740

左奥にある建物は、千万町楽校。

閉校した旧岡崎市立千万町小学校跡地です。

この前の道が、WRCのコースであって、レーシングカーが疾走します。


YouTube: 2023WRC JAPAN SS13千万町楽校

  

この景色も、WRCの名残です。

Img_9732

 

  

  

  

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