20240310 納古山・遠見山登山報告②/川辺町下麻生の景色
今日は令和6年4月2日。今日も「即今着手」
前記事の続きです。
この登山の時に、リーダーの方が地図を用意してくれました。
その地図を頼りに登りました。
その地図を、ここに載せれば、
今回のコースは一目でわかるのですが、
日が経ってしまい、地図が行方不明。
残念。
ネットで地図を探しました。
こんな感じで歩きました。
ちなみに、前記事で書いた下麻生町は、
下麻生と中麻生に分かれて、
下麻生が川辺町に組み込まれ、
中麻生が七宗村(現在七宗町)に組み込まれました。
この地図中に下麻生と中麻生の地名が見られます。
なぜ下麻生町が、分裂したのか、興味があります。
もう少し調べると、七宗町には、
上麻生という地名がありました。
う〜ん、麻生の人たちはどのような歴史を辿ったのでしょう。
麻生は「上麻生」「中麻生」「下麻生」があり、
「上麻生」は七宗村(当時)の一部となり、
「中麻生」「下麻生」は合わさって下麻生町になりました。
これが1回目の分裂です。
なぜ上・中・下は一緒にならなかったのか?
そして2回目の分裂が、1956年。
今度は「下麻生」「中麻生」が分裂。
「中麻生」は七宗村(当時)に入ることで、
「中麻生」「上麻生」は再び七宗村内で一緒になり、
「下麻生」は単独になったと言えます。
実に不思議です。
いつか、麻生の歴史を調べたい・・・無理かな。
さあ登山の話を進めます。
左手に、今日の最後に登る遠見山の見晴し台を見ながら、
一般道を東に進みました。
レンガ造りの塔がありました。
煙突のようです。
世の中には、こういうものに興味を持ち、
調べ歩いている人がいるようです。
こういう人のサイトは勉強になります。
例えばここ。「レンガの煙突」の歴史と街角の文化財
このサイトから引用します。
明治時代から昭和期前半にかけ、醤油醸造・酒造業・窯業など、作業
工程に燃焼装置が必要な分野で「レンガの煙突」が築かれるようにな
り、全国各地で建設されて活躍した。しかし、燃料革命や生産品の衰
退などのためつぎつぎ姿を消していった。いま残っているものも、ほ
とんどは使用されていない。
そうなんだ、レンガの煙突は、全国各地で作られたのですね。
その1本を見ることができました。
歴史を感じる元たばこ屋さん。
川辺町のデザインマンホールでしょう。調べてみます。
このページの写真を転載します。
町章と町の花サツキが描かれていました。
なるほど。
ハナニラと思われます。
道路沿いにたくさん咲いていました。
早春の花なのですね。
11年前にも、この時期に写真を撮っています。
ここでも道草 H25 3月の花々22 ハナニラ (2013年3月26日投稿)
とてものどかな地区です。
そこに単線の鉄道が走っています。
踏切名は「県神社踏切」
「県」を「あがた」と読みます。
鉄道はJR東海の高山本線。
この鉄道、どこまで行くんだろうねと、
その時に話題になったので、調べてみました。
そしたら、この鉄道にとって、
今年は重要な年だとわかりました。
あきひこゆめてつどう 高山線全線開通80年 - 2014年10月25日で
岐阜と富山を結ぶ鉄道でした。
下呂とか高山を経由します。
「あきひこゆめてつどう」の記事が10年前の記事です。
つまり今年の10月25日で、高山鉄道全線開通90周年。
日記の10月25日のところに書き込んでおきたい。
ここは下麻生小学校の跡地。
1977年(昭和52年)3月31日に閉校。
「下麻生ふれあいパーク」の看板が載る石柱は、
小学校の門だったのでしょう。
その他は、かつて小学校だった痕跡が見当たりませんでした。
なかなか登山報告になりませんね。
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