ナイチンゲールは”統計学の母”
今日は令和5年3月26日。
昨日は父親の四十九日。
親戚に集まってもらって、自宅で法要。
自宅から自動車で30分かかる墓地まで行って、
お墓にお骨を納めてきました。
また一つ、やるべきことが終了。
学校も24日に修了式で、とりあえず終了。
町内会長も、3月19日に期末総会を終えて、
大きな行事は終了。
次に学校に出勤するのは4月3日。
年度末だあという気分を味わっています。
さて、本を読みました。
「はじめての統計学 レジの行列が早く進むのは、どっち!?」
(サトウマイ著/ 総合法令)
Youtubeを頻繁に見るようになって知った人、サトウマイさん。
興味を持ったので、サトウマイさんが書いた本を読みました。
この本の中で、ナイチンゲールについて書いたところが
特に印象に残りました。
名前はきいたことがあるという方も多いであろうナイチンゲールですが、
「立派なナース」というイメージを持っているかと思います。1850
年代のクリミア戦争で、敵味方関係なく、献身的に怪我人を看護したこ
とから「戦場の天使」といわれた人物です。
学校の授業では、「情に熱いエラい人だ」という印象で終わってしまう
と思います。しかし、ナイチンゲールのすごさは心意気だけではありま
せん。実際には、死亡者の状況を冷静に分析し、死亡率を大きく減らす
ことに貢献した人でもあるのです。
(112p)
サトウマイさんが書かれているように、私のナイチンゲール像は、
「戦場の天使」です。でも一方では、ナイチンゲールは、
”統計学の母”とよばれる面もあったというのです。
知らなかった。
クリミア戦争が勃発すると、彼女は自ら志願して38人の看護師を率い
て戦場に向かいました。しかし、女性蔑視が強かった当時、彼女らは病
院の中に入れてもらうことすら許されなかったのです。(中略)
しかし、ナイチンゲールたちは、(もちろん帰らずに)どの部署の管轄
にもならず、放置同然だった病院のトイレ掃除に目をつけました。病院
内に入らずともできる仕事として、まずトイレ掃除を始めたのです。
次に、管轄が曖昧で、人手がなかった衣類の洗濯の仕事を始めました。
すると、清潔な衣類を着ることができるようになり、病院での入院患者
の死亡率は急激に改善されていきました。ナイチンゲールたちは、圧力
の強い上層部などに、こうした行動を度々拒まれましたが、自分たちで
もできることを行って事態を改善し、少しずつ病院運営に関わることが
できるようになりました。
彼女たちが着任した当時、入院患者の死亡率は42%まで上昇していま
したが、衛生状態の改善により、3カ月後には死亡率は5%まで改善し
ました。これは大変な改善です。今でこそ常識になっていますが、病院
での死者は、大多数が負傷によるものではなく、病院内の不衛生(蔓延
する感染症)によるものであることが、ナイチンゲールたちの活動でわ
かりました。戦闘によって命を落とす兵士よりも、不衛生な環境から感
染症で亡くなる兵士のほうが多かったのです。
(112~113p)
この病院の実態を、政府関係者に知らせるために、
ナイチンゲールは、統計をとります。
そしてその結果を、グラフ化して見せることで、
政府関係者を説得して、病院の環境を改善したのです。
今でこそポピュラーになった「グラフ」ですが、数字を視覚的な図で表
現することを最初に行ったのは、ナイチンゲールなのです。
数字だけで説明するのではなく、視覚的にわかりやすいことが評価され、
人々に受け入れられやすかったのでしょう。「文字ではなく視覚的にわ
かりやすい情報を入れる」というのも、今ではプレゼンテーションの基
本になっています。コンピューターがない170年近く前に、すでにナ
イチンゲールが実践していたとは驚きです。
「統計が活用されないのは、人々が活用の仕方を知らないから」として、
大学教育においても、統計の専門家を育てるべきだと考えたのはナイチ
ンゲールでしたが、残念ながら生前にはかないませんでした。エビデン
スに基づく実践(Evidennce-Based Practice:EBP)という言葉がよう
やく普及してきましたが、ナイチンゲールは世界で最も統計学を実践に
活かした人でもあるのです。そのため、ナイチンゲールは、”統計学の母”
ともいわれています。
(114~115p)
勉強になりました。ナイチンゲールを授業で教える機会があったら、
この話もしたいですね。
サトウマイさんが、動画でナイチンゲールについて語っているものも
あります。
YouTube: 【ウクライナ情勢】クリミア戦争から学ぶ真実の見極め方
7分ほどの映像です。
サトウマイさんはどんな人?と思う人は、試しに見てみてください。
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