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2022年1月 3日 (月)

20211226報告⑩ 絵本「わすれないで 第五福竜丸ものがたり」

     

今日は令和4年1月3日。

   

第五福竜丸展示館に行って勉強したことと、

行ったことをきっかけにして勉強したことをまとめています。

   

展示館でこの本を購入して読みました。

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「わすれないで 第五福竜丸ものがたり」

(赤坂三好 文・絵/金の星社)

  

和歌山県古座市で、第五福竜丸の前身である

第七事代丸(ことしろまる)が建造されて

進水するところから描かれています。

そして焼津に移って第五福竜丸となって、

遠洋に出かけるようになります。

そして核実験ブラボーと遭遇します。

死の灰をかぶった第五福竜丸と船員たちには、

その後過酷な出来事が待ち受けていました。

第五福竜丸は東京水産大学の練習船「はやぶさ丸」に

生まれ変わります。

このお話は、二見正直さんの紙芝居「わしのだいじなふね

第五福竜丸」に詳しいです。

「はやぶさ丸」として10年以上働いた第五福竜丸は、

夢の島に捨てられました。

  

本から引用します。

 

船を守ったのは、港で働く人たち、ジャーナリストから話をきいた、

多くの市民でした。世田谷区に住む会社員、武藤宏一さん(26歳)

は、新聞に、「沈めてよいか第五福竜丸」という投書を送り、”人間

のあかしとして船を守り、忘れかけている人にはそっと思い起こさ

せよう”とよびかけました。保存のための会が生まれ、運動が始まり、

募金が集められました。人びとは、船のまわりに集い、語り合い、

水を汲み出し、そうじをし、沈没を防ぎました。そして1976年、

第五福竜丸展示館(都立)が開館しました。

   

武藤宏一さんの投稿については、

第五福竜丸展示館に展示がありました。

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朝日新聞の「声」の欄は、自分にとっては重要な情報源です。

映画「西から昇った太陽」を知ったのも「声」の記事でした。

きっと今以上に新聞の力があった当時、

武藤さんの「声」は影響力があったのだと予想します。

その武藤さんですが、早死にしていました。

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でも第五福竜丸展示館の完成は目撃することができたことでしょう。

よかった。

第五福竜丸展示館は、たくさんの思いが積み重なって

できたところなのだと感じました。

   

絵本「わすれないで 第五福竜丸ものがたり」も、

第五福竜丸展示館で永久に保存されることになったことを告げて、

終えています。




 

 

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