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2020年8月23日

2020年8月23日 (日)

マハトマ・ガンジー、原敬を教えたくなりました

   

今日は令和2年8月23日。

   

前記事に書いた

「ひとつずつ すこしずつ ホントにわかる 中学歴史」

(新興出版社)は

中学校でならう学習を46章に分けています。

1章の「大河の流域におこった古代文明」から勉強を始めるのが

順当ですが、やめました。

スタートは37章の「帝国主義列強の対立から始まった

第一次世界大戦」からにしました。

7月に第一次世界大戦とスペイン風邪の授業をやっていたので、

関連して授業を始めて、現在に至るまでの歴史を教えます。

ほぼ100年間の歴史です。

とにかく全部の生徒を巻き込むことが目的です。

  

「非暴力・不服従」のマハトマ・ガンジーを教えるために、

2003年11月26日放映の「その時歴史が動いた ガンジー

暴力の連鎖を断ち切れ 大英帝国に挑んだ非暴力運動」を書棚から

出してきて見ました。ガンジーの凄さに驚き、教えたいという

気持ちになれました。

  

「政党政治」「平民宰相」の原敬を教えるために、

2008年3月16日放映の「歴史秘話ヒストリア 平民宰相 

暗殺の真実 政党政治100年 原敬の挑戦と挫折」

またまた書棚から出してきて見ました。

原敬については詳しく知りませんでしたが、

勉強家、几帳面な性格、上司の陸奥宗光とも議論する態度、

理想の世界を目ざして、できることをひとつづつやっていくところ。

いいなと思いました。この番組を見て、教えたいレベルまで、

自分の気持ちを高めることができました。 

  

   

自分らしさを出しつつ、

「ひとつずつ すこしずつ ホントにわかる」シリーズ

うまく利用して、日々の社会科の授業を積み重ねていきたいです。

教科書代わりに「ひとつずつ すこしずつ ホントにわかる 中学歴史」を利用し始めた

    

今日は令和2年8月23日。

    

8月17日から授業がスタートしました。

この日から新しく取り組んでいることがあります。

  

支援学級の社会科の授業で、

教科書代わりに、この本を使い始めました。

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「ひとつずつ すこしずつ ホントにわかる 中学歴史」

(新興出版社)です。

追って「中学地理」も注文しようと思います。

  

  

2年前(平成30年)の春に、

中学校の支援学級担任になりました。

 

即、社会科を教えるにあたって、困りました。

教室には、1年2年3年と異学年がそろっています。

そしていつも社会科の授業に全員が

参加するわけではありませんでした。

通常学級の授業に行く生徒もいて、

ある時は全員そろっても、ある時間には誰かがいない。

その次の時間には他の誰かがいない。

そんな状況で、何を教えたらいいんだろうと思いました。

  

地理・歴史・公民の教科書を教えるのは

すぐに無理だと思いました。

継続した内容の授業はできません。

 

結局、単発の内容の授業を繰り返してきました。

歴史の内容をやったり、地理の内容をやったり、

公民の内容をやったり・・・これで学力はつくのかと思いながら、

でも社会科の面白さを伝えるぞと思って、

1時間の授業を一つずつ作っていきました。

散発授業でした。

  

  

2年目(令和元年)は6月から休職。

翌年3月から復帰して、3年目(令和2年)がスタート。

授業が始まったのは5月末からでしたが、

相変わらず、散発授業でした。

  

  

夏休み。

このやり方でいいのかとずっと思っていたところに、

井上賞子先生のセミナーに参加しました。

その時に紹介してもらったのが、

「ひとつずつ すこしずつ ホントにわかる」シリーズです。

ここでも道草 20200813報告③ 使えるサイト・アプリ・・・本当に使えそうだ(2020年8月15日投稿)

 

教える内容が厳選され、

イラストで見やすくわかりやすく説明されていました。

見開いて、左のページが説明で、右のページが問題です。

つまり見開き2ページで、1単元がスッキリまとまっています。

きわめつけは、その単元の授業動画を

6分ほどで無料で見ることができます。

授業でもその動画は見せますが、

生徒も自宅で、あるいは授業の空いた時間に、

復習したい単元や、予習で興味のある単元を

先に見ることができます。

   

前回の授業にいなかった生徒には、

いなかった授業をコンパクトにまとめて教え、

授業動画も見せます。

教科書代わりのものを用意したので、

授業でいなかった時にやったことの内容を

手軽に見ることができるし、その量は厳選されていて少ない。

  

この「ひとつずつ すこしずつ ホントにわかる」シリーズを使えば、

生徒全員に散発ではない、継続した社会科を教えることができる

可能性が出てきたのです。

諦めかけていたことが、セミナーのおかげで、

きっとできると信じることができ、

すぐに動き出してしまいました。

  

  

    

授業動画があれば、学校の先生なんていらないじゃん、

と言われそうですが、そうではありません。

厳選されている分、補足説明を必要なところがあります。

私らしく動画によって、説明も追加しています。

    

この試み、また途中経過を報告します。

中学校の特別支援学級の社会科の授業をどうやって行くか。

もし、悩んでいたら、参考にしてみてください。

でもまだ1週間しか実践していないんだよなあ。

「愛着障害とは何か」③ 「不適切な教育対応」に注意

   

今日は令和2年8月23日。

  

前記事に引き続き、

「愛着障害とは何か 親と子のこころのつながりから考える」

(宮本信也著/神奈川LD協会)より。

  

 教育虐待も教育ネグレクトもどちらも適切な教育を受ける子ども

の権利を侵害しているということでは区別の必要はありません。

 両方をあわせて、不適切な教育対応と呼んでいいのではないでし

ょうか。(中略)

 不適切な教育対応が愛着問題を生じさせることもあります。どう

いうことかというと、基本的に自分と合わない教育を受け続けてい

る、あるいは自分に合う教育を受けさせてもらえない子どもは、そ

の教育から達成感や充実感を感じられない状況が長く続くというこ

とです。その状況は、子どもに対して「自分は大切にされていない」

と感じさせる結果となり、そうした環境をつくっている親に対して、

ネガティブな感情が高まっていくのです。その結果、愛着形成が阻

害されることになります。

(56~57p)

  

これも教育に関する記述でした。

支援学級に在籍すべきか、通常学級に在籍すべきか。

子どもによってはおおいに悩みます。

支援学級担任としては、

在籍を決断して支援学級にやってきた子どもに、

達成感や充実感を味わえるような授業を積み重ねていきたい。

  

 

 特に、知的な障害がないといわれた場合「知的な遅れがないので

あれば、教え方で他の子と同じようになれるはず」と多くの保護者

が期待します。

(中略)

 知的な遅れがない=正常だという言葉が誤解を生じさせてしまっ

たのです。

 親としては、「なんとかなるはず」と思ってしまい、教える側も

「なんとかしてあげなくては」という思いに駆られてしまい、子ど

に対していろいろなことをやらせてしまっていたわけです。

 たとえば同じ計算を何回も何回もやらせると、そのときは計算が

できたようにみえます。でも、1週間後に同じ問題を出題すると、

またできない。保護者は「やらせるとできるのだけれど、すぐに忘

れるんです」と訴えます。でもそれは違います。忘れるのではなく、

そもそも計算のメカニズムが理解できていないのです。理解してい

ないことには定着しません。

 計算問題は繰り返してやると、そのときはできるようになります。

反復学習は、表面上はできるように見えるものなのです。でも根本

的な数に対する認識、意味が分かっていなければ、問題の形式が変

わると答えは出せなくなります。すると、親はまだ訓練が足りない

と思い、また同じことを強制し、繰り返し子どもにやらせます。こ

のようにして、子どもに対する配慮に欠ける教育が継続されてしま

うのです。

 不適切な教育対応で注意しなければならないのは、子どももまわ

りの大人も一生懸命にやっているように見えるので、周囲からはあ

まり問題点が気づかれないということです。表面的には、子どもが

頑張った成果が実ったように見えるので余計に問題視されにくくな

ります。

(59~60p)

  

情緒学級の子どもには、

通常学級並みの内容を教えるというのは、

上からのお達しなのです。

知的な遅れがないのなら、

できるだろうという発想なのでしょうか。

  

でも、小学校・中学校の支援学級担任を体験して、

それは非常に難しいことだと感じています。

少人数とはいえ、異学年異程度の子どもたちを

同じ教室で教えることは難しいです。

そしてそれぞれの子どもが、

発達障害による苦手を持っています。

それにも配慮しなくてはなりません。

やれるならやってみてくださいなんて、思ったこともあります。

  

でも「不適切な教育対応」はしてはならないと思います。

それは注意して授業を作ります。

以上で、

愛着障害とは何か 親と子のこころのつながりから考える」からの

引用を終えます。

「愛着」について基本的なことも書いてあり、

あいまいだったことがだいぶハッキリしました。

愛着はお母さんが1番であり、お父さんはお母さんには勝てないこと。

自棄的に発せられる「死んでもかまわない」という発言は、

その子が大切にされた体験がないことを意味すること。

売春行為など、自分を大事にしない行動も、

大切にされた体験がないことを意味すること。

大切にされた体験がない子どもにどう接するか。

やっぱりその子のことを考えて誠意をもって取り組むしかないです。

「大人もいいな」と思われたいですね。

 

「愛着障害とは何か」② 「世の中には信用していい大人がたくさんいるんだ」

  

今日は令和2年8月23日。

  

前記事に引き続き、

「愛着障害とは何か 親と子のこころのつながりから考える」

(宮本信也著/神奈川LD協会)より。

  

前記事で「愛着」の定義について書きました。

  

次のものは「愛着」ではないそうです。

  

 親密な対人関係以外では愛着という言葉は使いません。ときには、

子どもと保護者以外の大人、大人と大人との関係性において愛着が

述べられることがありますが、そこには多少の無理が生じます。た

とえば虐待を受けた子どもが施設に行って、施設の職員が愛着の対

象になり得るかというと、それには無理があります。

 子どもたちを支援する側の大人が、愛着の対象になるというよう

な誤解をしてはいけません。支援する側の大人と子どもの関係性は、

どこかで切れることになります。ですから、逆にある種の距離感を

持つことがとても大事なのです。

 学校の先生方がこの問題に巻き込まれるケースはとても多いよう

です。虐待を受けていても、そのまま家庭にいて学校に通っている

子がほとんどです。たとえば性的虐待を受けた子どもから、養護教

諭や担任の先生がそのことを打ち明けられると、先生たちの気持ち

は揺さぶられます。何とかしてあげなくてはという思いに駆られま

す。でも、最後は対処しきれなくなって、結果的にその子から距離

を置くことになってしまい、その子は二度目の心のトラウマを受け

ます。先生方には、そのことに気をつけていただきたいと思います。

親子関係のような親密な関係性以外で愛着という概念を用いること

は、必ずしも適切ではないのです。

(23~24p)

  

教師として何とかしてあげなくてはと思うと思います。

でもいずれは関係が切れるときがあり、

それがトラウマになってしまうという内容。

教師はどうすればいいのか?

どうやって距離をとるの?

そんな疑問を持ちました。

その回答が、もう少し後ろのページに書いてありました。

  

 

 負の連鎖を断ち切るための経験としてあげられるのが、虐待を受

けた人が成長の課程のどこかで、信じられる大人と出会っているか

ということです。これはとても重要なことです。

 親以外の大人は愛着対象にはならないし、愛着形成の代わりも務

められませんが「大人ってみんな悪い人ばかりではない、信頼でき

る大人もいるんだ」と思えるような人と出会い、人間が信じられる

ようになることで、虐待経験者は負の連鎖から抜け出せることが多

いといえるでしょう。

 学校現場でも、先生自身が虐待を受けている子どもの愛着対象に

なる必要はありませんし、元々それは無理なことなのですが「世の

中には信用していい大人がたくさんいるんだ」と、子どもに実感さ

せてあげることができるはずですし、それが教師の役割であるとも

いえます。ぜひ、そういう存在になれるように力を注いでもらいた

いのです。

 同年代の友人ではその役割を果たせません。なぜなら、大人から

ひどい目にずっとあわされてきたわけですから、そのような大人ば

かりではないということを証明できるのは大人しかないのです。被

虐待児と出会ったときの教育現場における教師の役割として、この

ような存在の大人となることがとても重要です。

(34~35p)

  

 

わかりやすい。

子どもには誠意をもって接することを続けます。

それが教師にできること。

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