「愛着障害とは何か」③ 「不適切な教育対応」に注意
今日は令和2年8月23日。
前記事に引き続き、
「愛着障害とは何か 親と子のこころのつながりから考える」
(宮本信也著/神奈川LD協会)より。
教育虐待も教育ネグレクトもどちらも適切な教育を受ける子ども
の権利を侵害しているということでは区別の必要はありません。
両方をあわせて、不適切な教育対応と呼んでいいのではないでし
ょうか。(中略)
不適切な教育対応が愛着問題を生じさせることもあります。どう
いうことかというと、基本的に自分と合わない教育を受け続けてい
る、あるいは自分に合う教育を受けさせてもらえない子どもは、そ
の教育から達成感や充実感を感じられない状況が長く続くというこ
とです。その状況は、子どもに対して「自分は大切にされていない」
と感じさせる結果となり、そうした環境をつくっている親に対して、
ネガティブな感情が高まっていくのです。その結果、愛着形成が阻
害されることになります。
(56~57p)
これも教育に関する記述でした。
支援学級に在籍すべきか、通常学級に在籍すべきか。
子どもによってはおおいに悩みます。
支援学級担任としては、
在籍を決断して支援学級にやってきた子どもに、
達成感や充実感を味わえるような授業を積み重ねていきたい。
特に、知的な障害がないといわれた場合「知的な遅れがないので
あれば、教え方で他の子と同じようになれるはず」と多くの保護者
が期待します。
(中略)
知的な遅れがない=正常だという言葉が誤解を生じさせてしまっ
たのです。
親としては、「なんとかなるはず」と思ってしまい、教える側も
「なんとかしてあげなくては」という思いに駆られてしまい、子ど
もに対していろいろなことをやらせてしまっていたわけです。
たとえば同じ計算を何回も何回もやらせると、そのときは計算が
できたようにみえます。でも、1週間後に同じ問題を出題すると、
またできない。保護者は「やらせるとできるのだけれど、すぐに忘
れるんです」と訴えます。でもそれは違います。忘れるのではなく、
そもそも計算のメカニズムが理解できていないのです。理解してい
ないことには定着しません。
計算問題は繰り返してやると、そのときはできるようになります。
反復学習は、表面上はできるように見えるものなのです。でも根本
的な数に対する認識、意味が分かっていなければ、問題の形式が変
わると答えは出せなくなります。すると、親はまだ訓練が足りない
と思い、また同じことを強制し、繰り返し子どもにやらせます。こ
のようにして、子どもに対する配慮に欠ける教育が継続されてしま
うのです。
不適切な教育対応で注意しなければならないのは、子どももまわ
りの大人も一生懸命にやっているように見えるので、周囲からはあ
まり問題点が気づかれないということです。表面的には、子どもが
頑張った成果が実ったように見えるので余計に問題視されにくくな
ります。
(59~60p)
情緒学級の子どもには、
通常学級並みの内容を教えるというのは、
上からのお達しなのです。
知的な遅れがないのなら、
できるだろうという発想なのでしょうか。
でも、小学校・中学校の支援学級担任を体験して、
それは非常に難しいことだと感じています。
少人数とはいえ、異学年異程度の子どもたちを
同じ教室で教えることは難しいです。
そしてそれぞれの子どもが、
発達障害による苦手を持っています。
それにも配慮しなくてはなりません。
やれるならやってみてくださいなんて、思ったこともあります。
でも「不適切な教育対応」はしてはならないと思います。
それは注意して授業を作ります。
以上で、
「愛着障害とは何か 親と子のこころのつながりから考える」からの
引用を終えます。
「愛着」について基本的なことも書いてあり、
あいまいだったことがだいぶハッキリしました。
愛着はお母さんが1番であり、お父さんはお母さんには勝てないこと。
自棄的に発せられる「死んでもかまわない」という発言は、
その子が大切にされた体験がないことを意味すること。
売春行為など、自分を大事にしない行動も、
大切にされた体験がないことを意味すること。
大切にされた体験がない子どもにどう接するか。
やっぱりその子のことを考えて誠意をもって取り組むしかないです。
「大人もいいな」と思われたいですね。
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