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2020年5月

2020年5月19日 (火)

「長期ひきこもりの現場から」⑫ ベイシック・インカムが導入されると

  

橋は令和2年5月19日。

  

さあ今日も副題にあるように「シングルタスクで行こう」

「結果自然成(けっかじねんになる)」をこころがけて

一つひとつやっていきましょう。

  

5月5日の記事の続きで、

ドキュメント・長期ひきこもりの現場から

(石川清著/洋泉社)より引用します。

この本からの学びは多いです。

  

 

 長期ひきこもりの場合、本人のひきこもり問題だけでなく、周り

の家族の孤立化の問題も考えなければならない。

 多くの家族は、ただでさえ”家族にひきこもりがいるなんて世間

に顔向けができない”とか、”家族に精神病者がいると、家族や親戚

の結婚などに支障がでてしまう”という、ある意味では”妄想”、ある

意味では”偏見や誤解”、ある意味では”強迫観念”に支配されている。

 この前時代的な偏見や誤解は今もかなり根深い。

「うちには兄と弟、ふたりの子供がいます。兄は10年以上ひきこ

もっています。先日、お付き合いをしていた女性と弟の結婚が決ま

りました。もちろん、相手の女性は義兄がひきこもりだと知ってい

ました。ふたりだけなら何の問題もなかったんです。ところが、そ

のことを、相手の女性の両親に息子が伝えたところ”それでは嫁にや

れない”と言われたそうです。理由は”もし義兄がこのままひきこも

りを続けたら、娘夫婦がその義兄の面倒を見続けなければいけない。

そんな負担は負わせられない”というのです・・・」

 一見、もっともな意見に聞こえるかもしれないが、これは誤解で

あり、差別や偏見以外の何物でもない。日本には福祉制度がまがり

なりにも整っている。民法では3親等以内の親族が生活の面倒をみ

るという記述があるが、それは明治時代につくられたもので、現状

にはそぐわない。先進国ではどこもそのような決まりはない。だか

らこそ福祉制度があるのだ。経済的なケアについては、十分とは言

えないが、障害年金制度や生活保護制度もある。核家族化が進んだ

現代で、家族が際限なく長期ひきこもりや高齢者、障害者のケアを

受け入れていくことは不可能であり、負担が大きすぎる。

(223~224p)

  

ここで一休み。

3親等以内の親族が生活の面倒をみることは、

現状にそぐわないと言い切っています。

核家族化が進み、個の時代になっている現代では、

兄弟親戚が近くに寄り添って住む時代ではないので、

確かに難しいと思います。

  

続きを引用します。

  

 正直、現状の年金制度や生活保護制度は、今の時代にあってはコ

ストがかかるわりには、効果が薄い。しかも日本の福祉は申請主義

が原則で、自分から生活保護を申請しないと受給できない。しかし、

恥ずかしいので、多くのひきこもりは申請をしないで踏ん張る。そ

れが長期化や困窮化の一因となってしまい、やがて手遅れの状態に

なる。すると周りの家族も憂き目にあうことがある。

 この国の財政余力のまだあるうちに、”申請”や”認可”を受けなく

ても、誰もが最低限の生活を保証・維持される、ベイシック・イン

カム(最低限の生活費を市民それぞれに継続的に給付する制度)な

どが実現されるとありがたい。たとえ税金などの負担が増えたとし

もである。今後、AIも普及すると、ひきこもり経験者の就労に

イナスの影響も出ることもあるし、社会保障制度の見直しは必要

なる。

 ひきこもりの人だけに有効な政策はいらない。だれにとっても恩

恵があり、そしてそのなかでひきこもりの人も恩恵を受けられる、

そのような優しい福祉や政策がいい。一部の人を特別扱いしたり、

ランク分けするような福祉は、時代遅れだ。

 ちなみに前述の結婚問題は、相手の女性が「そんな心配するのが

おかしいし。そんな考えは逆にとても恥ずかしい考え」と両親の懸

念を一刀両断して、何の問題もなく結婚に至ったそうだ。

(224~225p)

  

ここで出てきた「ベイシック・インカム」という制度に注目したい。

今回、全国民に10万円配付が行われるが、そういった現金支給を

継続的に行なう制度なのです。

【COVID-19】「一律給付」と「ベーシック・インカム」:『みんなにお金を配ったら』

このサイトを読むと勉強になります。

  

今回のコロナショックが、「ベイシック・インカム」導入の

大きなきっかけになるかもしれないと書いています。

紹介されている本も、読んでみたくなりました。

  

  

以上、今朝はここまで。

通勤準備をします。

 

2020年5月18日 (月)

いまの暮らしで思いついたことを、生かしたい

 

今日は令和2年5月18日。

  

2020年5月17日(昨日)の

朝日新聞朝刊の記事です。

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「くるり」と言えば、以前生活のBGMに選びました。

ここでも道草 6月17日からの生活のBGM「その線は水平線」(2019年6月19日投稿)

 

だからこの記事に注目しました。

そして、「10代の君へ」というタイトルですが、

「ぎりぎり50代の私」に最後の文章が印象に残りました。

  

いまの暮らしで思いついたことを、その後の生活に生かしてほしい。

  

新型コロナウイルス感染拡大以後に思いついたこと?

この状況になったから思いついたことがあるはずです。

う~ん、最初に浮かんだのは、

黒板アート風の絵画です。

休校にならなければ、

私は黒板アートに挑戦しなかったと思います。

そしてその絵画を写真に撮って、プリントして、

自粛中の生徒に届けました。

  

この思いつきが、これからも生きるかな?

生かしたいなあ。

 

他にもないか?

  

「くるり」の岸田さんの文章が、頭に刺激を与えてくれました。

  

「オススメの本」も面白そうです。

2020年5月17日 (日)

動画「ステイホームブルース」「民衆の歌」

  

今日は令和2年5月17日。

  

新型コロナウイルス感染で生まれた動画はたくさん(ありそう)。

その中から、私の印象に残ったもの。

桑田佳祐のやさしい夜遊び「ステイホーム ブルース」

 

5番まであります。

5番の歌詞がいい。説得力あります。

 我々は今日も 大変な時代を生きている(ステイホーム)

 我々は共に 不安な時代を乗り越えよう(ステイホーム)

 治療薬もワクチンもないコロナ いつか笑顔になろうぜ(ステイホーム) 

  

「共に不安な時代を乗り越えよう」「いつか笑顔になろうぜ」に

共感、共感、共感

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続いてこの動画。


YouTube: 【Shows at Home】民衆の歌 / Do You Hear The People Sing ? - Les Miserables -

 

ミュージカル「レ・ミゼラブル」の劇中歌だそうです。

気づけば、3回4回と繰り返して聴いてしまいます。

 

新たに熱い命が始まる 明日が来た時 そうさ明日が

  

その明日が来ることを信じて頑張ろう!

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「蚤と爆弾」④ 曾根二郎は2回潜伏していた

   

今日は令和2年5月17日。

  

前記事に引き続き、

「蚤と爆弾」(吉村昭著/文春文庫)より。

   

曾根二郎は部下に関東軍防疫給水部の内部を抹殺することを命じて、

満州から飛び立ちます。日本に帰ったのです。

昭和20年8月9日のことでした。

ページにこだわると、それは172pに書かれていました。

 

それまで常に小説に登場していた曾根二郎が、

ここで小説から姿を消します。

その後書かれていたのは、建物内部(外部も)の抹殺の様子と、

抹殺を果たした部下たちが、命からがら日本に戻ってきた話。

そして終戦。

   

戦後、曾根の研究に関心をもった

アメリカ占領軍司令部員の前に曾根二郎が現われたのは

225pでした。

50p、曾根二郎は潜伏していました。

抹殺は部下に任せて。

   

 

司令部員は曾根を戦犯として捕えるためではなく、

曾根の細菌兵器の研究内容を知りたいがために会いたがったのです。

細菌兵器を作るのに人体実験を繰り返し、

実際に戦場で細菌兵器を使って、伝染病を流行させた張本人に、

何のお咎めもないのです。

ここが戦争の醜いところだと思いました。 

  

アメリカ占領軍司令部員を曾根のところに案内した

君島元陸軍中将(小説に出てきたもう一人名前)と、

曾根の会話が印象に残りました。

  

(君島)「しかし、アメリカ占領軍当局は戦犯にはしないというが、

本当に信じてよいかどうか一抹の不安はある」

 君島は、顔を曇らせた。

(曾根)「細菌戦用兵器を開発したという意味ですか?冗談ではな

い。戦争は、殺戮し合うものだ。相手国の将兵をより多く殺す兵器

をもった方が、勝利にめぐまれるのは当然の理だ。日本だけではな

く世界各国が新兵器の開発に全力をあげたのは、そのためだ。細菌

戦用兵器が、なぜ非人道的なのか。銃や大砲やその他すべての兵器

も、人を殺すためだけの目的でつくられている。細菌戦用兵器が非

人道的なら、あらゆる兵器も非人道的なものといわなければなるま

い。それにアメリカには、細菌戦用兵器を非人道的だなどという資

格は全くない。原子爆弾を考えてみたまえ。かれらは、軍事施設も

なく非戦闘員だけしかいない広島、長崎に原子爆弾を投下して多く

の人間を一瞬にして殺傷したではないか。非人道的とはアメリカに

こそあてはまる言葉だ。私が戦犯などにあるわけがない」

 曾根の顔には、みじんも不安そうな表情は浮かんではいなかった。

(227~228p)

  

ここで「君島」と名前を記したのは、

この場面で曾根が言ったことが、信頼しうる人物(当人?)から

吉村さんが聞いたことであり、かつ内容が重要だからだと思います。

戦争がからんだ時に葛藤するテーマがここにあると思います。

非人道的でない兵器はないのです。

でも戦争がからむと、そんなことを言ってられなくなります。

  

小説のラストで、再び曾根二郎は消息を絶ちます。

  

 やがて曾根の消息は、親しい者たちの間からも絶えた。アメリカ

に渡ったという説もあったし、かれの指導によってアメリカ軍が朝

鮮半島で細菌爆弾を使用したという噂も流れた。

 昭和33年春、かれの姿は、国立第一病院の手術台上にあった。

かれは、咽頭癌におかされていたのである。

 手術後の経過は順調で病状は小康をたもったが、1年後には再発

し、昭和34年10月8日午後3時死去した。

 告別式は青山斎場でおこなわれたが、どこから聞きつたえたのか

千名におよぶ焼香客が斎場にあふれた。

 焼香客は、一部の者をのそいて複雑な表情をしていた。顔見知り

同士であることはその表情のわずかな動きで察しられたが、焼香を

終えると、たがいに眼をそらし合って斎場を出てゆく。

 かれらは、旧関東軍防疫給水部の関係者たちで、喪章をはずすと

思い思いの方向に足を早めて去った。

(240~241p)

  

 

これで終わりです。

最後まで淡々と曾根二郎の生涯を語り、終わりました。

こんな人がいたというノンフィクション。

こうやって生きた人がいました。

どう思う?

と、問われました。

  

以上で「蚤と爆弾」からの引用を終えます。

読んで、ブログをうって、

この本についてたくさん時間を使いました。 

「蚤と爆弾」③ 「富嶽」計画/曾根二郎の決断

  

今日は令和2年5月17日。

  

前記事に引き続き、

「蚤と爆弾」(吉村昭著/文春文庫)より。

  

以前、「中島知久平」「富嶽」について勉強しました。

ここでも道草 「昭和の選択 中島飛行機の戦争」を見る(2020年4月14日投稿)

この本にも、富嶽計画のことが書かれていました。

  

 ドウリットル爆撃機隊の日本本土初空襲がおこなわれた昭和17

年末、中島飛行機株式会社社長中島知久平は、ひそかに大航続力を

もつ爆撃機の試作を計画していた。

 かれは、日本本土から超大型爆撃機を発進させ、太平洋を横断し

てアメリカ本土を爆撃すれば戦局を有利にみちびくだろうと判断し、

社の技術陣を督励して新型爆撃機の研究をすすめさせていた。

 当時日本の航空機設計・製作技術は、世界の最高水準に達してい

た。中島の構想にもとづく超大型爆撃機は欧米各国の予想を完全に

上廻るもので、中島は異常なほどの情熱をそそいでその研究にとり

かかっていた。

 アメリカに対する報復手段を考えていた大本営は、中島の計画し

ている太平洋爆撃機の構想に注目し、翌昭和18年秋、陸・海軍と

中島飛行機との三者協力のもとに新型爆撃機の出現に努力すること

を決定した。このアメリカ本土爆撃計画はZ計画と称され、新型爆

撃機を「富嶽」(G10N1)と命名した。

(121p)

  

計画の当初は、やはり実現可能と思われていたと思います。

その後、日本本土がB-29爆撃機による空襲に受けて、

「富嶽」計画は頓挫しました。

その過程も、この小説では書かれていました。

復習ができました。

  

  

この小説で、名前が書かれている日本人は「曾根二郎」だけです。

曾根は、日本軍の細菌兵器製造の中心人物です。

(実存した人物をモデルにした人物です)

敗色が濃くなった状況の下、

細菌を撒布する飛行機も入手困難となり、

曾根は次のように考えます。

  

 曾根二郎は関東軍司令部首脳者と協議をつづけ、その結果、細

菌戦用兵器の使用は全く不可能であるとみとめざるを得なかった。

 曾根の顔には悲痛な表情がみなぎっていた。多くの人材と尨大

(ぼうだい)な資材を投入して生み出した高度な細菌戦用兵器が、

最後の決戦の時に使用されることもなく終わることに、かれは憤

りにも似た悲しみを感じていた。

(164p)

  

終戦でこのお話は終わりだと思いましたが、

ここであれ?と思ったことがありました。

まだ小説は続くのです。残ったページ数が多すぎます。

残り80P余りが残っていました。

いったい何が描かれているんだと思って、ページを進めました。

  

 欧米の強大な軍事力をもつ国々では、細菌戦用兵器の研究もおこ

なっているが、それは実戦には程遠い初歩的なもので、それらとく

らべて曾根二郎の指揮する関東軍防疫給水部の開発した細菌戦用兵

器は、きわめて高度な水準に達している。

 ソ連軍としても当然曾根の開発した細菌戦用兵器に重大な関心を

もっているはずで、やがて進撃してきたソ連軍は、防疫給水部の本

部建物とその内部の研究実験記録を押収するにちがいなかった。

 曾根は、長い歳月を費やしてようやく完成することができたもの

を、ソ連軍の手にわたすのは忍びがたかった。出来れば細菌戦用兵

器をはじめそれに必要な器具、資材を一つのこらず内地に移送した

かった。

 しかし、それは事実上不可能なことであった。防疫給水部の飛行

機はわずか三機しかなく、兵器のすべてを輸送することなど及びも

つかない。かと言って一部がのこされれば、それを糸口にして細菌

戦用兵器の全貌があきらかになるおそれがある。

 曾根は、苦慮した。そして、最終的には防疫給水部の建物の内部

につめこまれたものをこの地球上から抹殺する以外にないという結

論に達した。

 関東軍総司令部も、曾根の決断に賛意を表した。

(165~166p)

 

残りの80pは、防疫給水部の建物内部にあったものを

抹殺した課程と、関わった人たちの戦後が描かれていました。

  

建物内部には、人体実験をする予定だった囚人たちも含まれました。

抹殺されてしまいます。

  

中心人物、曾根二郎はどうなったか。

  

次の記事で書きます。

「蚤と爆弾」② どうせ殺されるものなら医学の進歩に

今日は令和2年5月17日。

  

前日の記事に引き続いて、

「蚤と爆弾」(吉村昭著/文春文庫)に関係したことを

書いていきます。 

  

「蚤と爆弾」という奇異なタイトル。

なぜこのようなタイトルになったのかは

読み進めていくうちに理解できます。

 

引用していきます。 

  

 昭和3年、陸軍一等軍医の曾根二郎は、欧米各国の軍事防疫調査

の任を与えられ日本をはなれた。

 外遊中にかれが見たのは、各国の陸海軍が伝染病の予防と治療に

かなりの力をかたむけていることであった。またドイツとアメリカ

などで、ひそかに伝染病原菌を兵器の一つとして使用する研究が開

始されていることも知った。細菌を敵側にばらまき、それによって

敵の戦力を弱体化させようというのだ。

 曾根の頭に、最近が新たな意味をもつものとして刻みつけられた。

それは伝染病を発生させる恐るべき存在だが、逆用することによっ

てすぐれた兵器にもまさる効果をあげることに気づいたのだ。

(19p)

  

恐ろしいことに気づいて、曾根は実行に移します。

  

  

 ペスト鼠の血をすった蚤は、ペスト菌で汚染され、しかもその体

内で菌をはてしなく繁殖させている。蚤は、ペスト菌を多量にふく

む容器のようなもので、そのうえ移動性を発揮して地上に降りてか

ら人畜に寄生してゆくだろう。それは、人工的には決して作り得ぬ

素晴らしい細菌をはこぶ容器に思えた。

 結論として、爆弾にペスト菌をふくんだ蚤をつめこんで投下する

ことが、最も有効と判断された。しかも、爆弾を地上からかなりは

なれた上空で炸裂させれば、蚤は広範囲にばらまかれるだろう。

(34p)

  

こうして「蚤」と「爆弾」はつながりました。

  

 

 医学実験は、動物を使用することによって研究の成果を或る程度

たしかめることができる。しかし、実験に供された動物は、あくま

でも動物にすぎない。人間は、実験動物よりもはるかに複雑で全く

異質もものであると言ってもいい。できれば人体で実験を・・・・

というねがいは、積極的な研究実験者の中に無意識ながらもひそん

でいるはずだった。

(37p)

 

話は人体実験の話になっていきます。

  

 中国大陸でも満州でも、諜報員や俘虜たちが連日のように処刑さ

れている。実験動物はあくまでも動物であって、その実験は人体へ

の応用への一段階にすぎない。実験動物で得た成果が、そのまま人

体に適するかどうかはわからない。

 もしも、直接人体で実験できれば、答は短時日のうちに出る。

 かれらの眼には、中国大陸や満州で処刑される俘虜たちが大きな

価値を帯びた存在として映った。どうせ殺されるものなら医学の進

歩に供せられるべきではないか、とかれらは考えた。

(61p)

  

どうせ処刑される俘虜を使って、

人体実験をしてもいいのではという考えが、

熟成されていきました。

つづく

2020年5月16日 (土)

黒板アートに挑戦④ 今度はドラえもん

  

今日は令和2年5月16日。

  

今日は土曜日。雨。

のこのこ学校に行って、

黒板アート風の絵画第4弾を描いてきました。

これです。☟

Rimg2219  

プリントして、来週生徒に渡したいと思っています。

生徒にも、自分自身にも声かけです。

「さあ はじまるよ!」

  

元の絵はここに載せました。☟

ここでも道草 ドラえもんを黒板に描いている先生がいた!(2020年5月9日投稿)

  

「蚤と爆弾」① 5年前の新刊本でした

  

今日は令和2年5月16日。

  

この本を読み終えました。

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「蚤と爆弾」(吉村昭著/文春文庫)です。

  

この本を本屋で買ったのは、今週の水曜日(13日)でした。

家に帰って、ページをパラパラッとめくったら、

パサッとチラシが落ちました。

文庫本にはさんでありました。

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ムム、よく見るとこの映画の公開日は2015年!

ほぼ5年前のチラシでした。

5年。

思いのほか時間が経っています。

  

  

ひっくり返して見ました。

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このチラシは2015年4月の新刊を知らせるチラシでした。

折りたたんであったものを開くと、たくさんの本名が載っていました。

その中に「蚤と爆弾」もありました。

                ☟

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5年間、あの本屋のあの書棚に置かれていた本だったのでしょうか。

私は、ついにその本を引き抜いたのです。

なんかすごいことをやった気分です。

2020年5月15日 (金)

CMソング「ヒヨコのヒヨコッコ」「険しい山では思いがけず・・」

  

今日は令和2年5月15日。

  

3日前・・・別に日にちは重要ではありませんが、

自動車で走っていて、

目の前に「布亀」と書かれた自動車を見ました。

「ぬのかめ」と読むと、あのCMソングが思い出されました。


YouTube: 布亀の救急箱 CM 「ヒヨコのヒヨコッコ」

さんざん見てきたCMです。

1986年から放映されているそうです。

この子は今年34歳になっているわけです。

ちなみに30歳になった姿はこの動画で見ることができます。

布亀の救急箱の男の子 現在

 

おそらくその自動車は布亀株式会社の営業車だったと思います。

なぜ「布亀」?

思い浮かんだからには解決したいです。

布亀株式会社HP

ここに書いてありました。

一部引用します。

   

明治9年(1876年)に初代布目亀次郎が

富山県富山市四方で「布目六神堂」を創業。

(中略)

時代は移り変わり、昭和35年、布目六神堂を改め、

「布亀株式会社」を神戸市に設立。

社名は布目亀次郎から1字ずつとり、

「布亀」と名付けられました。

  

 

解決です。

  

 

CMソングといえば、このCMはいいですね。

コロナ禍にあっても、気持ちを明るくしてくれる曲です。


YouTube: ゼスプリ キウイ TVCM 2020「好きなことを楽しみながら」篇 60秒 歌詞付き

特に山での事件が楽しい。

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キウイを食べてみようかなと思ってしまうCMです。

今までこのCMシリーズの曲はイマイチと思っていましたが、

今回ははまっています。  

記事「フェースシールドで授業」/動画「ウイルスの次にやってくるもの」

  

今日は令和2年5月15日。

  

  

5月13日朝日新聞朝刊

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地元愛知県の記事。みよし市のこと。

フェースシールドを小中学校教職員と中学生に配付するとのこと。

フェースシールドをはめての授業が行われる!?

数か月前には想像もしなかったです。

このままフェースシールドが普通になるのか、

「そんな年もあったね」と笑えるのか。

勤務校では、来週から生徒の登校が始まります。

半日の準備期間があって、6月1日から終日です。

  

  

今日、同僚の先生から

「この動画を生徒にぜひ見せたい」と協力を求められました。

教えられて見ました。


YouTube: 【日本赤十字社】「ウイルスの次にやってくるもの」

確かに生徒に見せたい動画です。

さっそく準備を手伝いました。

動画を見せる手伝いなんて、大好きな仕事です。

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特に最後の1枚の言葉がいいです。

  

今日、

わたしたちにできることを、

それぞれの場所で。

  

ホッとします。

今日も、手を抜かずできることをやってきたつもり。

その積み重ね。

 

最近の写真

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