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2019年12月

2019年12月 6日 (金)

2019年冬長野(4)疎開児童を受け入れた側の心情

 

今日は令和元年12月6日。

  

千曲市の上山田ホテルのロビーの一角で、私は光明学校の

疎開の資料を読みました。

今まで知らなかったこともたくさん知ることができました。

ここにまた資料のコピーを載せます。

長野県県職員OBの会「長野県親友会」の会報第78号

(平成29年1月10日発行)よりの抜粋です。

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特に印象に残った文章を書きます。  

村長は、校長の誠心誠意にこころを動かされ、途端に考えたのが

「私の家(上山田ホテル)の3階までの客室と洋館建ての別館を

提供するより方法がないだろう」と決心し、

しばらく待ってほしいと、その場は終わったという。

校長は内心目処がついてきたと喜んだが、村長の方は大変であった。

まずホテル全体の営業を中止しなければならず、大勢の従業員の

生活をどのようにして面倒をみてゆくか、また家族が承知するか、

などの難問題が目前にあったが、最終的には肢体不自由な子ども

たちのために、と皆が理解をしてくれた。

  

 

街の人たちも村長さんが営業をやめてホテル全館肢体不自由児の

教育のために提供したことに共感し、みんなが温かい雰囲気で迎え、

街のあちこちで和やかに笑い声を立てて話したり遊んでいる

ほほえましい情景が見られ、すっかり湯の街の人々と上山田村

全体に子どもらは受け入れられた。

    

受け入れ側の心情を知れてよかったです。

  

 

光明学校の学童疎開は、信州教育史上に特筆すべき出来事では

なかったろうか。記録に値するものと思われる。

   

記録に値すると私も思います。

この太田今朝秋さんの「随想」もネット上に載せました。

私のように光明学校の疎開に興味をもった人が、

ここに行きついてくれたら幸いです。

  

まだ載せたい資料があります。

2019年冬長野(3)疎開児童の1人 今西美奈子さん

  

今日は令和元年12月6日。

  

戦時中の光明学校の疎開を後世に伝えるために

千曲市の上山田ホテル前に建立された記念碑。

そのことを伝える記事のコピーを2つ載せます。

(読まれる時は、クリックして拡大して読んでください)

 

2017年(平成29年)5月22日 読売新聞です。☟

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2017年(平成29年)5月22日 毎日新聞です。☟

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読売新聞に名前が出ている若林和子さんが、

私を記念碑のところまで案内してくださった方です。

前記事で「女将さん」と書きましたが、「大女将さん」でした。

そして車椅子に乗られた方が今西美奈子さん。

疎開のことを伝える本「千曲川のほとりで~私の学童疎開・

上山田ホテル~」(まごころの集い社)の作者。

私のブログに、コメントを寄せてくださった方です。

ここでも道草 「肢体不自由児たちの学童疎開」引用8/当時の上山田村村長(2014年9月7日投稿)

この記事で再会できました。

大女将さんが言われるには、今は入院されているとのこと。

ご高齢なので、心配です。

2019年冬長野(2)ロビーにあった光明学校疎開に関するコーナー

  

今日は令和元年12月6日。

  

12月2日に宿泊した場所は長野県千曲市の「上山田ホテル」です。

光明学校の子どもたちが疎開した場所と知って、

行きたいと思ってから5年以上が経ちましたが、実行できました。

※参考:ここでも道草 「肢体不自由児たちの学童疎開」引用5/疎開先が上山田村に決まる(2014年8月27日投稿)

宿に着いてすぐ、光明学校のことをホテルの方に尋ねたら、

ロビーの一角に資料が置いてありますよと教えてくれました。

見に行きました。

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こんな素敵なコーナーになっていました。

書籍「あんずの木の下で」も紹介されていました。

※参考:ここでも道草 「あんずの木の下で」/著者は小手鞠るいさん(2018年2月25日投稿)

上の写真の右端に写っている説明を書きうつします。

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ー肢体不自由児学童疎開の地ー 由来

 

 上山田ホテル玄関には、「信濃路はるか -肢体不自由児学童疎開

の地ー」という石碑が建っている。これは戦時中、東京・世田谷区に

ある肢体不自由児学校の児童たちがこのホテルに集団疎開したことを

記念して建てられたものである。

   

 昭和20(1945)年5月15日に東京都立光明(こうめい)

国民学校《当時》の肢体不自由児約60人は、教員、保母、看護婦

などに引率されて「上山田ホテル」に疎開した。同年8月に戦争は

終わったが、東京の校舎は5月25日の山の手大空襲で焼失し、帰京

することができず、戦後4年間「上山田ホテル」で生活した。昭和

24年5月にようやく引き上げることができた。肢体に不自由をかか

えた児童たちに対して、町の人々、ホテルの従業員は暖かく接し、

また県内各地から季節の野菜や果物が届けられたりした。

障害児を暖かく守ったこの上山田の人々に感謝の気持ちを伝えたい

という願いをこめてこの記念碑を建てることになった。疎開学童、

光明学校の卒業生、現在および過去に光明学校や他の障害児学校に

勤務した教職員、全国肢体障害者団体連絡協議会役員、その他この

疎開を支えた人々、疎開の事実を世に広めた研究者などが浄財を提供

してくれた。

  

               平成29(2017)5月21日

               光明学校学童疎開記念碑建立の会

  

 

ホテルの女将さんにお願いして、

記念碑のある場所をおしえていただきました。

その時には暗かったので、翌朝撮った写真です。☟

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この記念碑については、次の記事でも書きます。

 

2019年冬長野(1)ボランティア車両証明書の出し方

  

今日は令和1年12月6日。

  

今回、初めての体験をいくつもしましたが、ボランティア

車両証明書を見せて、高速料金を無料にしてもらうことを

しました。

証明書は、ここからダウンロードできます。

ボランティア車両証明書【往路】【復路】

Photo_2

Photo

注意事項の一つに次のように書いてありました。

  

・入口では一般レーンで通行券を受け取り、出口では一般レーンで

本証明書と通行券を係員に渡してください。

  

【往路】

最近はずっとETCを利用していましたが、久々に一般レーンを

使いました。入口では、通行券が機械から出てくるので、それを

取るだけです。自動車は、ETCを通過するものと設定されて

いるためか、「カードが入っていません。確認してください。」

「エラー01です。」などと言いだし、少々焦らされました。

 

厄介なのは出口です。

長野自動車道の更埴ICで出ようと思いましたが、

一般レーンを見たら、係員がいません。

証明書を渡したくても、人がいなくてはだめだと思って、

一般レーンに入ることをやめて、レーンの横にある事務所の

駐車場に停めました。

さあどうする?

事務所に証明書を持って行くことにしました。

事務所では、すぐに証明書を受け取ってくれました。

一般レーンを通過してほしいと言われ、その後一般レーンへ。

そこで、カメラに向かって免許証を見せて、証明書と照合してもらい、

ゲートが開いて、通過することができました。

7000円ほどが免除されました。

ボランティア活動、頑張ろうと思うことができました。

    

  

【復路】

2日間、ボランティア活動に参加した後、更埴ICから塩尻北ICで

ボランティア車両証明書を利用しました。

往路の体験で、一般レーンに係員がいなくいても、機械にはマイクと

カメラがついているので大丈夫だと思いました。

実際に係員がいませんでした。

マイクに向かって「ボランティア車両証明書を持っているのですが」と

言ったら、「すぐにそちらに向かいます」という返事。

でもなかなか係員がやってこない。

しばらくして、地下を通って、係員が来てくれました。

通行券と証明書を免許証を確認して、やっとゲートを開けてくれました。

7~8分ほどかかりました。

後続の車が何台も並んでいて申し訳ないと思いました。

1700円ほど免除されました。

 

  

以前に、ボランティア車両証明書を利用したことがある息子に、

どうだったんだ?と聞いたら、いつも係員がいたとのこと。

   

  

結論。

IC出口で、ボランティア車両証明書を使いたい場合は、

一般レーンに係員がいたなら、一般レーンへ。

係員がいないと思ったら、事務所に直接持って行くのがいいと思いました。

ただ即座に判断するのは難しいので、まずはレーンからはずれて、

安全な場所に停めるのが前提。

停めたら、一般レーンを見て係員がいるかいないか確認。

いたのなら、安全を確認して一般レーンに入ります。

いなかったら、事務所に向かいます。

  

温暖化による干ばつに取り組んでいた中村哲医師

 今日は令和元年12月6日。

   

3泊4日の旅行から、昨晩無事に戻りました。

いろいろな体験ができ、収穫があったはずです。

その収穫を、このブログに書き留めて確認し、

次の行動につながっていけばいいなと思っています。

  

この記事は、出発した12月1日の朝日新聞朝刊の

「天声人語」を紹介します。

12月1日から始まった気候変動会議(COP25)に

関するものです。

天声人語

いまから16年前、ロシアのプーチン大統領が満天下に

恥をさらした。サンクトペテルブルク建都300周年

式典を青空の下で挙行すべく、軍用機から雨雲に溶剤を

散布したが失敗。土砂降りが来て、中止に追い込まれた。

▼「最新科学をもってしても雨雲すら人間には操作でき

ません」と水谷広・元日本大教授(70)。気候変動に

詳しく、『気候を人工的に操作する』という著作がある。

急ぐべきは雨雲を散らすのではなく、大気中の二酸化炭

素を減らすことだと話す。▼北海道では二酸化炭素を分

離・回収する施設の本格運用が来年度にも始まる。いわ

ゆる温暖化対策としては、海外で驚くほど急進的な案も

唱えられてきた。たとえば、巨大な板を打ち上げて地球

に日陰を作る、粉砕した小惑星の破片で太陽光をさえぎ

るーーー。さながらSFの世界である。▼だが現実は厳

しい。世界の二酸化炭素の濃度は昨年、観測史上最高に。

「私たちの世代が、若い世代に二酸化炭素を押しつけて

しまった。罪悪感で胸がふさぎます」と水谷さん。頭に

浮かんだのは、環境活動家グレタ・トゥンベリさん(1

6)の厳しいまなざし。気候危機を放置してきた各国の 

大人たちを非難した。きょうからスペインで始まる国連

の会議(COP25)に参加する。いまヨットで大西洋

を航行中だ。▼日本は世界5位の排出国。一足飛びに二

酸化炭素を回収するのはむずかしくとも、新たな排出を

減らすことはできるはずだ。若者たちの抗議に応えるの

は大人の責任である。

  

アフガニスタンで殺されてしまった中村哲医師も、

生前のインタービューで、「温暖化による干ばつ」を改

善するために、灌漑施設建設を行っていると言っていま

した。温暖化が形を変えて、今までの普通の生活を変え

てきています。変化に対する対応が急務ですが、変化が

急激です。二酸化炭素の排出を減らすことに、やっぱり

取り込むべきでしょう。

自分でさえ関心を持ち始めました。多くの人が意識した

ら、何かことが動き出しますよ、きっと。

  

  

 

話が少し変わりますが、中村哲医師が行ったことを知れ

ば知るほど、すごい人だったのだと思います。

「桜を見る会」で、ごまかしている人たちは、中村哲医

師の前で恥ずかしくならないのかなあ。

2019年12月 4日 (水)

今日も長野市「津野」でボランティア

  

今日は令和元年12月4日。

   

昨日に引き続き、旅先からの投稿です。

今晩も長野県にいます。

 

今日も、長野市台風19号の被災地に行き、

ボランティア活動をしてきました。

活動場所は、昨日と偶然にも同じ地区でした。

「津野」と呼ばれる地区でした。

1日目は作業に精一杯で周りが見えていませんでした。

2日目になって、堤防が決壊したところがすぐ目の前にあり、

現在は修復されて、ブルーシートに覆われていることに気づきました。

この偶然を大切にしたいと思いました。

「津野」で体験したこと、考えたことは、

また後日、しっかり書き留めたいと思います。

   

明日、帰ります。

午前中、山登りしてから帰ります。

2019年12月 3日 (火)

初めてのコインランドリーで読書

  

今日は令和元年12月3日。

  

珍しく旅先からの投稿です。

  

昨日、長野県千曲市の上山田ホテルに泊まりました。

ここでも道草 「肢体不自由児たちの学童疎開」引用5/疎開先が上山田村に決まる(2014年8月27日投稿)

この記事で書いたように、戦時中、光明学校の疎開先になった

ホテルです。いい取材ができました。また後日書きます。

そして今日は、長野市の台風19号の被災地に行き、

ボランティア活動をしてきました。

東日本大震災以降、被災地に行くことをしたいと思いつつも、

できずにきてしまったことがやっとできました。

明日はもう1日、ボランティア活動をしてきます。

ボランティア活動で学んだこともまた書きます。

社会科教師として、少しだけ胸がはれます。

  

いい体験をしていますが、その中でひとつだけ報告。

コインランドリーを初めて利用しました。

記念すべきコインランドリーは、

戸倉上山田温泉街にありました。

ドキドキしましたが、使い方は簡単でした。

洗濯・脱水・乾燥の時間、機械の横で読書。

今、読んでいるのは「出口のない海」(横山秀夫著/講談社)

「初めてのコインランドリーで読書」をやってみたいと思い、

実行しました。自分を演出しました。

  

以上です。

明日また頑張るために寝ます。

   

2019年12月 2日 (月)

今日から「出口のない海」「気候変動会議」

  

今日は令和元年12月2日。

  

今日からの読書は「出口のない海」(横山秀夫著/講談社)です。 

人間魚雷回天の話です。

「新十津川物語」シリーズで、回天のことが描かれていたので、

この本のことを思い出しました。

回天出撃のシーンは、緊迫感があり、

読んでいる自分の寿命が縮んだのではと思うほどでした。

再び読みたくなりました。

   

 

今日からスペインのマドリードで、気候変動会議が行われます。

第25回。やっと関心持って見ていこうという気になりました。

昨日の朝日新聞朝刊です。☟

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繰り返し5回読みました。

7回が目標でしたが、また別の日に読みたいと思います。

忘れかけたころに読むことで、定着が高まるでしょう。

日本の小泉環境相がどのような発言をするのか注目です。

視点の一つに脱石炭を加えておこうと思います。

  

2019年12月 1日 (日)

「ボクの自学ノート」⑤/日本とスウェーデンの比較

  

今日は令和元年12月1日。

  

前記事の続きで、5月1日・11月30日に放映された

ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険~」を

読み物化していきます。

  

 

明日佳君の「自学ノート」を読まされている、いや失礼、

読んでいる人たちの声を拾ってみました。

  

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吉田さんは、明日佳君の探究心に感動していました。

 

メーテル(吉田):本当にこういうことをしてるんだ!

  

自学ノートを見て、実際の明日佳君の行動を見たら、

こう思うんですよね。

吉田さんは、明日佳君に出会う前から、明日佳君のことを知っていて、

初対面で「梅田くん!」と声をかけました。

明日佳君、ビックリです。

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岡林さんは、教師としては考えさせられる発言をしています。

 

岡林:彼(明日佳君)の長所、これ(自学ノート)、すごいと

  思うんですよね。

  私、スウェーデンの方でずっと、うちの息子が10才から

  25才まで。私自身は13年間、スウェーデンにいて、

  子どもの教育を見てきたんです。

  スウェーデンの人口って、900万人くらいしかいないんですよ。

  日本と比べて、15分の1とかくらいしかいないんですけど、

  いろんな分野で優秀ですよね。

  これ何が違うのかと言うと、やっぱり「個を伸ばす」という

  考えだと思いますね。

  たとえば、明日佳君がやっている自学ノート。これをもっと

  伸ばしていこうという教育をスウェーデンはやると思うんですね。

  ところが、日本の場合は、どうしても、個々を大切に

  するんじゃなくて、アウトプットとして、全員が同じになるように

  教育をしているような気がします。

   

それぞれの子らしさを見つけるのを手伝って、伸ばしてあげたいなとは

思います。

そのためには、教師も生徒も忙しいかな。

教師も自分らしさを出せずに、

周りに合わせようとするので精一杯だったかも。

  

  

 

私は病気になって長く休み、社会的な信用を失ったかもしれません。

「あいつはつぶれやすい」なんてね。

でも休んで立ちどまって、少し自分らしさを出せるようになった気がします。

  

  

今晩はここまで!

また明日。

「ボクの自学ノート」④/明日佳君は押しが強い

 

今日は令和元年12月1日。

  

前記事の続きで、5月1日・11月30日に放映された

ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険~」を

読み物化していきます。

  

明日佳君の「自学ノート」を読まされている、いや失礼、

読んでいる人たちの声を拾ってみました。

 

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片峰:最初、変わっている子がノート持ってきた、と私たちは

  一番最初は言いましたね。変わっているけれども、

  べつに怪しくはない。誠実さが見えるので。

   

  梅田君のためには、読んでコメントを返すのが必要かなと

  思いました。

  

  

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リリー・フランキー:こいつには話が通じるぞと思ったら、

  グイグイと来ますからね。押しが強いんですよ、もう。

  押しが強いんです。

   

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轟:たぶん、押しが強いと思います。

    

  

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石井:彼は、シャイではないのかな。

  アピール力、すごくあると思いますね。

    

  

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田中:無茶苦茶、積極的ですね。

    

  

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檜垣:ノートを読むことになったのは、明日佳君が「よかったら見てください」

  とノートを貸してくださって、ものすごく楽しくて、全部じっくり

  読まさせてもらいましたね。

  

栁原:文化施設では有名じゃないでしょうかね。

檜垣:北九州市の文化施設では、明日佳君は有名だと思いますね。

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梅田明日佳君は、一見シャイに見えます。

しかし、上記のように、グイグイと行く押しの強さがあるのです。

この点は、見倣いたいと思いました。

ある映画が見たいと思って、映画監督に直接連絡して、

再上映する時を教えてくださいとお願いしました。

粘り強くお願いしたら、DVDを売ってあげようとということに

なりました。飛び上がるほど喜びましたが、それ以後1か月、音信なし。

たびたびメールすると、催促のように思われて気を悪くするかなと考え、

あまり動いていません。

でも明日佳君のように動くべきだと思いました。

今晩、メールしようと思います。

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