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2019年12月

2019年12月 1日 (日)

「ボクの自学ノート」③/目がキラキラした子

今日は令和元年12月1日。

  

前記事の続きで、5月1日・11月30日に放映された

ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険~」を

読み物化していきます。

  

明日佳君:小3の時から、新聞の切り抜きをし、感想を書いている。

  先生や友達に、「梅ちゃん、物知り博士だね」と言われたのが

  うれしくて、宿題として始まった自学ノートは、すぐさま趣味に、

  やがて習慣へと変わった。

  

ここも共感です。すぐ自分に当てはめてすみませんが、「ここでも

道草」は趣味です。習慣です。

明日佳君は、番組中に、自学ノートを書くのは「遊んでいる」とも

言っていますが、私もその気分です。

  

  

時計屋の社長、吉田清春さんの言葉。

Rimg2105  

吉田:とにかく目がキラキラした子だなと思いましたよね。

  

  

また自分の話です。私も生涯で一度だけ、目が輝いていると

言われたことがあります。

就職前に実行した北海道40日間の徒歩旅行の終わり、

稚内のパブで雇ってもらい、皿洗いをした時。

パブのマスターに唐突に言われました。

きっと私は好奇心の塊だったのでしょう。

好奇心の強さは目に現れると思います。

それ以後、目が輝いていると言われていないので、

その時に比べて、好奇心は萎んでしまったのかな。

でも、おじさんに向かって「目が輝いていますね」なんて

言う人もいないでしょうね。

  

 

時計店で珍しい時計を無料で展示していることを、

新聞記事で知った明日佳君は、時計店に出かけて行きます。

そこで、吉田社長が親切に話をいっぱいしてくれました。

明日佳君は、帰宅して、時計店でのことを全力で自学ノートに

まとめました。そしてこう思いました。

 

明日佳君:ぼくは、社長さんに自学ノートを見せたら、

  喜ばれるんじゃないかと思いついた。

  

これも共感です。テレビ番組を見て、ただそれだけでは物足りない。

聞き書きしたりして、番組から学んだことをブログに書き留めたのなら、

自分のためにもなるけど、番組を作った人たちも喜ぶのではと

思っています。

  

この後、吉田社長はすごく喜んでくれます。

その成功体験が、明日佳君の「自学ノート」継続の力になりました。

Rimg2106   

  

中学生になって、ほぼほぼ先生に「自学ノート」を見てもらえなくなった

明日佳君がとった行動が、またすごい。

文化施設に行って、見聞したことを「自学ノート」にしっかりまとめ、

それを文化施設の人たちに読んでもらうのです。

そしてどうやらそれ以後、読んでくれると思った人たちには、

定期的に通って、「自学ノート」を読んでもらっています。

  

明日佳君:資料館とか、そういうところに行って、

  (自学ノートを)読んでもらおうと、図々しく考えるように

  なりました。

  

  

やはり、読者がいることが励みになりますよね。

私も、毎日平均200のアクセスがブログにあります。

時たまコメントが届きます。

励みになります。

明日佳君の図々しさがいいなあ。

  

  

つづく

「ボクの自学ノート」②/明日佳君の新聞の読み方

  

今日は令和元年12月1日。

  

昨日の記事の続きで、5月1日・11月30日に放映された

ボクの自学ノート~7年間の小さな大冒険~」を

読み物化していきます。

  

昨晩は、この番組が放映されるということで、

特別な晩になりました。いい日になりました。

あらためて「NHKスペシャル」としてもう1度、

じっくりと見ました。

  

  

全てを読み物化するのは無理なので、印象に残った言葉を

書き留めていく方針で行きます。

  

梅田明日佳君の最初の「自学ノート」☟

Rimg2098  

小学校3年生の時に、宿題で提出したもの。

JR小倉駅前の祇園太鼓銅像のバチが盗まれたという記事。

コメントは悩んだ末に、母親に言われた「とった人は、

ばちがあたるぞー!!」

Rimg2099  

1か月後に、バチが新しく取り付けられる記事を見つけた明日佳君は、

その日のうちに、銅像のところに行っています。

Rimg2100

新聞記事を見ただけでは終わらなくて、実際に行くところが

素晴らしい。

そしてこの銅像に関する記事との出合いで、明日佳君はこう書いています。

 

明日佳:僕は新聞に、自分にも分かることが載っていることを知った。

  僕は新聞が好きになった。

Rimg2101  

新聞に対するこの気持ちは大事です。小学生にこの気持ちを抱かせる

工夫が、教師には必要だと思います。

 

 

明日佳君が新聞を読んでいるところ。☟

Rimg2102

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Rimg2104  

毎日、朝刊も夕刊も読んでいます。

  

明日佳:何となく自分が面白そうだなというものを、パーッと付箋貼って、

  読み返して、自学にするか処分するか考えて(自学を)作っています。

  

今の私の読書と同じやり方です。

付箋貼る→読み直す→ブログに書き留めるかどうか決める→ブログを書く。

  

明日佳君に、すごく親近感が湧きます。

「星の見える家」②/広島カープの4番小鶴誠さん

 

今日は令和元年12月1日。

  

前投稿に引き続き、

星の見える家 -新十津川物語9-

(川村たかし著/偕成社)より引用していきます。

  

この巻では、けっこう野球の描写が多かったです。

フキの孫である泰男たちが野球をやっていたり、

泰男たちが、北海道に来たプロ野球を見に行ったりしてました。

 

名古屋ドラゴンズと広島カープの試合がさっきからはじまっていた。

はじめての公式戦のせいもあって、滝川球場はとっくに満員だった。

(214p)

昭和28年8月、巨人は2位の阪神を9ゲーム半はなして、

首位を独走している。ドンジリの国鉄スワローズは、

なんと38.5ゲームもひらかれ、金田正一投手のがんばりも

むなしかった。

(215p)

 

金田正一投手も亡くなってしまいました。

今年の10月6日でした。

現役の時は覚えがありませんが、ロッテの監督として躍動していました。

  

  

広島の攻撃で、具体的に名前が出てきます。

  

ワンナウトのあと大沢がヒット、4番小鶴が2塁打で2、3塁のとき、

5番の門前が内野安打して逆転、6番打者がまたヒットして3人めも、

ホームインした。ドラゴンズびいきの千代松はがっかりして声が

小さくなる。

(216~217p)

  

きっと作者の川村さんは、当時の試合展開まで調べて、

書いているのだと思います。

30年以上前の試合を再現しています。

新聞記事を参考にしたのかそれとも

注目は小鶴選手。小鶴誠選手。

以前調べたぞ・・・・。

ここでも道草 小鶴誠の言葉「ボールが止まって見えた」(2012年4月23日投稿)

この人が、実は「ボールが止まって見えた」と言った人だと

思っていましたが、やっぱり川上哲治さんだったのかなあ。

  

 

 

ちなみに昭和28年のプロ野球のチーム成績表です。

Photo NPB!

ジャイアンツが断トツの年だったのですね。

  

以上です。

  

いよいよ「新十津川物語」も10巻を残すのみ。

「星の見える家」①/「イズコ」「ニオ」 馬の出産シーン

 

今日は令和元年12月1日。

  

昨日は「NHKスペシャル ボクの自学ノート

~7年間の小さな大冒険~」の放映を知って、

以前録画してあったのを見て少し道草したり、

そして晩はまたじっくりと本放送を見たりと

「自学ノート」中心の日でした。

梅田明日香君のやっていることには、無関心ではおられないです。

今から私がやることは「道草」

明日佳君がやっていることは「自学」

そう思えます。

  

そんな11月30日でしたが、本を1冊読み終えました。

 

星の見える家 -新十津川物語9-

(川村たかし著/偕成社)です。

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引用します。

  

稲こきをしたあとのわらは、俵やむしろ、ときにはイズコとよぶ

保温具を編む。わらは雪靴にもなれば、ぞうりにもなった。

質のよいのは〈水をみせない〉ために小屋の天井にあげておく。

敷きわらや馬に食わせる分は塚にして野外にたくわえた。

ニオとよんだ。

(79p)

 

「イズコ」をイメージしたいと思って調べました。

野外博物館 北海道開拓村 嬰児籠(いずこ/いずみ/えじこ)

☝ こんないいサイトに行きつきました。そこからの転載。

Izuko 幼い子を入れておく道具。藁(わら)などで編(あ)まれた

大きな容器で、底部(ていぶ)に藁や籾殻(もみがら)を

敷(し)いて尿(にょう)や便(べん)を吸収(きゅうしゅう)

するようにしていた。子どもが動かないように布などを

巻(ま)きつけて使用した。 

  

 

次は「ニオ」

これはなんとなくイメージが浮かびます。

こんな感じだったのでしょうか。

Img_0 植物と生物防除のお話 和田哲夫

  

  

「信子、室(むろ)からうんとニンジンをだしておけ、はだか麦も

炊いてやれ。青い物をさがしてこい。お産は女の大役やさけ、

ごちそうをはずんでやるからな。」

あとのほうはアオにささやきながら、フキはおきくふくらんだ腹に

両手をそえていた。馬は敷きわらの上にからだをかたむけ、

しきりにふとい息を吐いた。前足で床をかこうとしては

思いとどまり、おしりのほうをふりかえる。フキの手の下で

熱い血がとくとくとさわぎ、新しいいのちがすこしずつ

あらわれてくるのが感じられた。

やがて、信子がおけいっぱいのニンジンをはこんできたとき、

よこたわった母馬のそばにぬれた子馬がしきりに立ち上がろうと

しているところだった。

「えーっ、生まれたんだ。すごい。20分もたってなかったでしょ。」

「がんばったよ。汗だくでアオはがんばったよ。」

とフキはからだをずらした。

「これなら安産だ。獣医さんのお世話にならずによかった。

牛の赤ちゃんはこうはいかないもんじゃから」

乳牛の子が生まれるときは、人間が両足をつかんでひいた。

ときには、はじめから獣医の世話になった。

「めんこい子っこ馬だね。」

その間にも母馬はしきりになめている。子馬の前身から

ほのかな湯気が立ちのぼった。生まれる瞬間には出あわなかったけれど、

信子のからだの中にはあたたかいものがあふれていた。

小さな新しいいのちががひっつ、この家の家族としてやってきたのだ。

(80~82p)

Epson148 (80p) 絵:鴇田幹

  

雌馬から子馬が生まれ、絵のようにさっそく歩こうとする。

生で見てみたいものです。この年になって、いまだになし。

生まれたての娘・息子は見たことがあるけど・・・

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