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2019年10月

2019年10月 4日 (金)

10月5日午前2時に再放送があります/「うどんかぞえうた」の生歌

今日は令和元年10月4日。

  

7月13日午前2時からという

私にとってまず起きていない時間に

スナック 胸キュン1000%

ママこの人つれて来たよ」という番組がありました。 

ゲストが元たまの知久寿焼(としあき)さんだったので

録画しました。

  

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☝ 知久さんの略歴です。

2019年にはソロアルバム発売です。

「さよなら人類」は忘れられない曲ですね。

懐かしみましょう!


YouTube: たま イカ天第2週 さよなら人類

 

知久さんはCMで歌っていたのですね。

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番組では「うどんかぞえうた」を生で歌ってくれました。

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YouTube: ヒガシマル うどんスープ 完全版

 

何度も聴いていたのに、知久さんに結び付きませんでした。

この番組を見て、確かにこの声は知久さんの声、というか

”たま”の声だと思いました。

生歌はよかったですよ。

やっぱり歌でお金を稼ぐことができる人です。

 

実は今晩深夜。実質10月5日の午前2時から再放送があります。

BSイレブンという局です。

2019年10月 3日 (木)

おいしい焼き鳥学その1/「ねぎま」は?

今日は令和元年10月3日。

  

「ザテレビジョン」で録画したい番組をチェックしていて、

9月14日放映の「二代目 和風総本家 おいしい焼き鳥学」は

目がとまりました。 

焼き鳥で関心があったのは、「ねぎま」です。

漢字で書くと「葱間」と書いてあるのを見たことがあります。

鶏肉と鶏肉の間にネギがあります。

私にとってネギは子どもの頃から苦手なもの。

なぜそんなネギが挟まっているのか、疑問でした。

この番組で解明できるのではと思って録画しました。

大当たりでした。

疑問が解決しただけでなく、楽しい焼き鳥の豆知識が

たくさん紹介されました。

きっとこの番組を見て、

焼き鳥屋に行きたくなった人は多いと思います。

豆知識を知って、実際に見たい食べたいと思えた番組でした。

少しずつブログに書き留めていきます。

 

さっそく「ねぎま」について書きます。

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そりゃあ、鶏肉の間にネギがあるから「ネギ間」で「ねぎま」でしょ。

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え、違うの?

じゃあ、どういう理由なの?

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ネギとまぐろを串に刺した鍋?

映像で見せてくれました。☟

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まぐろがだんだん効果になってきたので、

まぐろの代わりに比較的手に入りやすい鶏肉に変わっていったそうです。

つまり・・・

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「ねぎま」の語源は「ねぎまぐろ」だった!のです。

驚いたのは、「ねぎま」とキーボードでうって、変換したら、

候補に「葱鮪」が出てきたことです。

ATOKです。☟

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「葱」と「鮪(マグロ)」が合体していました。

  

ね、面白い番組でしょ。

つづく

「いだてん」で嘉納治五郎の最期が描かれた

今日は令和元年10月3日。

  

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~ 

第37話 最後の晩餐」が放映されたのは9月29日でした。

嘉納治五郎さんの死まで描かれるかどうかが

私の注目ところでした。

それを事前に知るためには、9月末に発売予定だった

NHK大河ドラマ・ガイド いだてん 完結編

(NHK出版)を手に入れたかったです。

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ドラマ・ガイド」には、第37話から最終回までのあらすじが

書いてあるはずだからです。

9月25日から本屋に通って、

発売されていないかチェックしていましたが、

とうとう「ドラマ・ガイド」は手にできずに、

9月29日を迎え、本放映を見ました。

ドキドキして見ました。

そして嘉納治五郎の最期までが描かれました。

第37話の写真です。☟

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☝ オープニングではいつも上空に描かれた五輪の中央に

「嘉納治五郎 役所広司」と描かれていました。

次週からはどうなるだろう?

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1940年の幻の東京オリンピック。

そこに至るまでのいきさつ、そして嘉納治五郎の活躍を

「いだてん」を通じてじっくり勉強できました。

  

5年前まで、1940年のオリンピックについては、

うっすらとしか知っていませんでした。

5年前にドラマ「幻の祝祭 ~1940東京オリンピック物語~ 前編」を

見てから、興味関心が向くようになり、

知識が積み重なってきました。

※参考:ここでも道草山下勝選手のドラマを見ました(2014年8月2日投稿) 

5年間で変わった自分を実感しながら、「いだてん」を見ました。

  

  

 

ちなみに「ドラマ・ガイド」の発売は9月30日でした。

本当に「9月末」でした。遅いよ。

もう最終回まで、あらすじを読んでしまいました。

12月まで楽しみです。

 

2019年10月 2日 (水)

「田口線廃線50年」/幟とポスターを見た

今日は令和元年10月2日。

  

鳳来寺山に行った時に、こんな幟(のぼり)がありました。

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田口線廃線50年

  

そういえば、豊橋駅でこんなポスターが目に入り、

思わず写真に撮っていました。

今年の1月のことです。

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トンネルの写真です。

これは旧田口線で使われていたトンネルです。

ポスターの部分をアップにします。

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愛知県外の人だと知らない人もいると思いますが、

愛知県は尾張と三河に分かれます。

そして三河は西三河と東三河に分かれます。

(私は東三河の住人です)

このポスターは、旧田口線をクローズアップしています。

 

ポスターから引用します。

 

旧田口線

廃線となって50年以上。

今では風景にひっそり溶け込んでいますが、

確かにそこに走っていた鉄道の息吹が残っています。

  

名文ですね。

  

ずっと昔、旧田口線の廃線跡を楽しんだことがあります。

きっとその時に撮った写真があると思います。

今はどうなっただろう? 

三河田口駅は壊れそうでした。

   

 

さらにポスターの部分アップ。

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ここに行きつきました。☟

キラッと奥三河観光ナビ 旧田口線をめぐる

 

そしてビックリの情報。引用します。

 

かつての駅舎が最後まで残っていたのが

この三河田口駅でした。

Taguchisen_ph005 (倒壊前の駅舎。写真は平成16年頃撮影されたもの)

歴史の流れとともに徐々に老朽化が進み、

平成23年8月21日の深夜に降った大雨により倒壊しました。

当時は乗換えの人たちで賑わったこの場所も、

現在は広い敷地を残すのみとなっています。

 

  

やっぱり壊れちゃったんだ。

一度古い写真を探してみよう。

 

洞爺丸台風で沈んでいるのは洞爺丸だけではない

今日は令和元年10月2日。

  

前投稿に引き続き、8月25日放映の

池上ワールド 日本人が覚えておきたい大ニュースSP」より。

  

  

前回は伊勢湾台風のことでした。

今回は洞爺丸台風のこと少し書きます。

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「被害は洞爺丸だけではなかった」には驚きでした。

洞爺丸だけが沈没したと思いこんでいました。

台風の名前「洞爺丸台風」から。「洞爺丸が沈んだからこの名前」と

思っていて、他に被害があるなんて知りませんでした。

  

〇「洞爺丸台風」で沈没したのは、洞爺丸だけではなかった。

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〇洞爺丸・日高丸・十勝丸・第一青函丸・北見丸の五隻の

 青函連絡船が沈没した。

〇洞爺丸では乗員乗客あわせて1155人の方が亡くなった。

〇洞爺丸以外の青函連絡船は貨物船だった。乗員の方は亡くなったが、

 乗客がいなかったために、大きな扱いにならなかった。

〇五隻合わせての死者数は1450人にもなる。☟

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〇1954年9月27日(事故の翌日)の北海道新聞号外を見る

 池上彰さん。☟

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津軽海峡で未曾有の大惨事

 

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青函連絡船五隻沈没

死者実に千名突破

  

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多数が船内で溺死

    

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阿鼻叫喚、恐怖の一夜

     

〇函館市の浜には、事故を今に伝えるものがある。

 「台風海難者慰霊の碑」

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〇そこには、沈没した五隻の名前が書かれている。

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〇七重浜(ななえはま) 五隻の沈没後、多くの遺体が

 打ちあげられた浜である。

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得意のグーグルアースで、この碑がある場所に迫ります。

グーグルアース 台風海難者慰霊の碑

次はストリートビューです。

ストリートビュー 台風海難者慰霊の碑

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番組では函館市と紹介されていましたが、

調べると、北斗市ですね。

住所は北海道北斗市七里浜7丁目16

   

以上で、「池上ワールド 日本人が覚えておきたい大ニュースSP」の

読み物化完了。

 

伊勢湾台風の後に富士山レーダーができた

今日は令和元年10月2日。  

  

8月25日放映の「池上ワールド 日本人が覚えておきたい

大ニュースSP」 を見ました。

洞爺丸台風、伊勢湾台風のことを扱いました。

  

伊勢湾台風については、9月末にも書きました。

伊勢湾台風のことで書きます。

〇1954年の洞爺丸台風、1959年の伊勢湾台風と

 大きな被害を被った。これではいけないと、

 下の写真の設備が造られた。☟ 何か? 

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街角でインタビューをしていましたが、

若い人たちは知りませんでした。ビックリです。

〇正解は富士山レーダー。

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〇気象庁が富士山の頂上にレーダーを設置。

〇1965年から運用開始。当時は世界一の性能。

〇台風予測の精度が格段と上がり、テレビの普及に伴って、

 早く情報が伝わるようになった。

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〇今は当たり前である台風の予想進路もできるようになった。

〇最大800kmまで観測ができた

  

〇富士山頂に造るわけだから、命懸けの仕事であった。

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〇富士山レーダー設計者の木名瀬さんは語る。

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このレーダーを、これから我々が造るんだ。

レーダーができたら、きっと世の中の人のため働いてくれるだろうと

それが我々の使命だと。  

〇気象衛星ひまわりなどの運用で役目を終える。

〇施設は山梨県富士吉田市に移転された。

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富士山レーダーで思い出すのは、新田次郎さん。

小説家ですが、富士山レーダーで働いた体験のある方。

この小説を昔読んだなあ。☟

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20190925報告 またまた鳳来寺山 その3

 

今日は令和元年10月2日。

  

前投稿に続いて、鳳来寺山での写真を載せます。

  

天狗岩の廃屋が見えてきました。

十数年ぶりに訪れました。☟

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ここからの見晴らしがまたいい。☟

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しかし、この廃屋はいつまでもつのだろうか?

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再び緑の中の登山道。☟

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再び見晴らしのいい鷹打場に到着。☟ ここも十数年ぶり。

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ここで昼ごはん。この時のメニューです。☟

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お湯を沸かして「緑のたぬき」を食べ、「甘酒」を飲みました。

山で食べるカップ麺はおいしく、

甘酒は体が温まります。

   

だいぶ年季の入った通路を渡りました。☟

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上から見た東照宮。☟ 山奥にあるこの建造物は、神秘的に見えます。

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東照宮のすぐ下にあるスギには、札がついていました。☟

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この杉

樹令370年

高さ52m

  

札は古そうなので、もう樹令400年くらいになっているのではと

勝手に想像しています。

  

下山。

私の予定通り、自動車は大木(イチョウ)の木の陰の中でした。☟

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2019年10月 1日 (火)

20190925報告 またまた鳳来寺山 その2

  

今日は令和元年10月1日。

  

前投稿に続いて、鳳来寺山での写真を載せます。

  

見晴らしのいい場所です。☟

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以前と同じように駐車場を見おろします。☟

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☝ 黄色の太い矢印が私の車。

 すぐ横にある大きな木の影が、細い黄色の矢印のように動いて、

ちょうど下山の頃は車は木の影の中。涼しい状態になります。

そう考えて駐車しました。

  

  

鳳来寺山山頂です。☟ 「鳳来寺山々頂」と標示されています。

「々」をそこで使うかと突っ込みたくなりました。

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登山道。☟ フィトンチッドを吸いながら歩きました。

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階段のところにイヌがいるように見えませんか?☟

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一瞬、イヌだと思いました。☟

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イヌではなくて、切り株が横倒しになったものでした。☟

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う~ん、今晩はここまで。

20190925報告 またまた鳳来寺山 その1

 

今日は令和元年10月1日。

  

鳳来寺山登山が続きます。

1400段余の階段が魅力です。

体力と気持ちの向上を目指します。

  

写真を並べていきます。

  

今回の鳳来寺山。☟ いい空でしょ。

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道端にあった花。「花くさぎ」とあります。☟

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う~ん、でも「花くさぎ」で検索してもヒットしません。

おそらく「ボタンクサギ」でいいと思います。

7年前に調べて記事にしていました。☟ たぐります。

ここでも道草 7月下旬の花々5/ボタンクサギ(2012年8月19日投稿)

  

仁王様のアップです。☟

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不動堂。☟

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☟ 横にあった説明を見てビックリ。鬼の人権、いや鬼権はないのか?

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勝岳不動

自分の寿命を悟った利修仙人は、お供の三匹の鬼に

「共に死んで鳳来寺の守り神になる」ことを

約束させました。仙人は鬼の首を本堂の下に埋めた後、

ここで勝岳不動で入寂(僧や仙人が亡くなること)されたと

伝えられています。

 

不動堂の横の岩の間から出ていた花。☟

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これは「ギボシ」だと思います。

これも過去に記事にしています。☟ たぐります。

ここでも道草 6月上旬の花々26/ギボシ(2012年6月23日投稿)

ここでも道草 8月中・下旬の花々16/ギボシ2(2019年10月8日投稿)

  

今回はここまで。

「石狩に立つ虹」/ランプが燈って、文明開化

今日は令和元年10月1日。

  

本「石狩に立つ虹~新十津川物語3~」を読み終えました。

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引用します。長い文章です。

きっと将来、ブログを読み直した時に、忘れてしまうと思うので、

引用文を読むときに必要な説明を書いておきます。

時は明治39年の春と思われます。

明治22年の台風による被害で、奈良県の十津川から

北海道の新十津川村に移住した人たちの話です。

主人公の中崎フキ。旦那さんは豊太郎。

子どもが長女あや、長男庄作。

この中崎家に、縁あって恭之助という年輩の男が

居候で一緒に住んでいます。

引用した文章中に「コトボシ」という言葉がでてきます。

照明器具のようですが、わかりませんでした。

調べました。

阿蘇ペディアには、

木枠(きわく)に紙を張った提灯(ちょうちん)

と書いてありました。画像が欲しいと探しました。

ジョンの部屋にありました。

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中崎家は開拓農民。田舎に住んでいます。

何か買いたいと思うと、少し離れた街、滝川まで出かけます。

その日はフキと恭之助が滝川に出かけました。

以上が説明です。

  

いよいよ引用します。

  

石狩川の氷橋がきょうで通行禁止になるという日、

 

恭之助はにこにこしながらかえってきた。

 

フキもうれしそうだった。

  

「いいもんがあるぞ。あやも庄作もきてみな。

  

豊さんも出ておいでよ。」

  

家族が顔をそろえると、 フキは大きなにもつをといた。

  

「なんやと思う。おじさんが買うてくれたんよ。」

  

中からは見たこともないガラス器があらわれた。

  

「なによ、それ。」

庄作が手をのぱそうとするのを、フキはおしとどめた。

  

「わかった」

  

と、あやが手をたたいた。

  

「ランブやんか。」

  

どちらかといえば大きな声を出すことのすくない彼女がとびあがった。

 

「滝川のお店で見たことあるわ。ランプやんか。」

  

「そうさ、 ふんばつして買ってきたぞ。

 

なあに、はこびだした材木が高く売れたのさ。」

 

ほやをはずして石油をいれる。

 

火をつけると小屋の中は見ちがえるように明るくなった。

 

「どうだい、これがわが中崎家の文明開化というもんだ。

 

いままでのコトポシとは大ちがいだぞ。」

 

「ほんまや。」

 

「こうやっておいておくだけで、

 

おれは心ん中までばあっと明るくなるみたいだぜ。」

 

「ええものを買うてくれたの。」

 

豊太郎も目をほそめた。

 

ほやの中の炎は大きくのびあがって、まるで宝石のようにかがやいている。

 

「ただし、こいつは油をたんと食うようだから、

 

夜っぴて、ともしておくというわけにはいかねえよ。

 

恭之助はランプをつりさげるともうしわけなさそろにいった。

 

たしかにコトボシはホタル火のようにたよりなかった。

 

そのかわり、石油はひと冬に二合(.36リットル)もあればたりた。

 

ランブだとそうはいかないだろう。

 

「よかった。」

 

と、フキはためいきをついていた

 

「どうしようかとおじさんとだいぶん相談したんよ.

 

そやけどこんなによろこんでもらえたら、

 

買うてきてよかったの。」

 

だが、子どもたちにはよいことばかりではないという。

 

しごとがひとつふえたのだ。

 

「朝になるとランプのほやをとりはずす。

 

それから布きれでもって中のすすをふきとるんだ。

 

わかるか。こいつばかりはおとなにはできやしねぇ。

 

ほら. おじさんの手は大きすぎてはいらないだろう。

 

だからランプそうじは子どものしごとだって。

 

そう神さまがおきめなすったんだって。」

 

「ずるい。」

 

あやはじぶんの手をながめた。

 

「うん、でもかまわん。 こいつはおれと庄ちゃんでみがくわ。

 

じゃあけどこんど買うときはおとなの手がはいるのをたのむわ。」

  

友だちにじまんできるのがうれしかった。

 

「よしよしわかった。」

 

恭之助はたばこをすいつけた。

  

(79~81p)

 

  

長く引用しましたが、とてもいいなと思い、

いつかまた読みたいと思った文章です。

まず、社会科的に勉強になる話です。

明治になって文明開化と言われますが、

石油ランプは、その象徴だったと思います。

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日本の洋燈(石油ランプ)の歴史(上の写真も)によると、

明治中期ごろになると東京ではほとんど石油ランプが

いきわたっていたようです。

そして日露戦争(明治37~38年)後の好況時代に

一層広く使わられようになったとありました。

引用文のように、北海道の開拓村にもやってきたのです。

   

幸せについて考える時にも、この引用文はいいなと思います。

高価なものを悩んで買って来たら、

家族が大喜びし、掃除の仕事が増えても、

「うん、でもかまわん。 こいつはおれと庄ちゃんでみがくわ。

 

じゃあけどこんど買うときはおとなの手がはいるのをたのむわ。」

と切り返す。幸せな家族だと思います。

ふだんは切り詰めて生活して、

たまに少し贅沢をして、家族全員が明るくなる。

  

我が家の洗濯機がこの頃不調で、

洗濯途中で勝手に止まってしまうことがちょくちょくありました。

悩んだ末に、新しい洗濯機を買いました。

新しい洗濯機がやって来た日、

家族はどんなのかのぞきに来ました。

そんな家族の様子を見て、父親も興味をもったようです。

室内も車いすで移動する身ですが、

「おれも見てみたい」と言うので、

車いすを押して連れていきました。

外見だけでなく、ドラム内も見たいというので、

すぐ近くまで連れていきました。

車いすに座りながら背を伸ばして、のぞきこんで見ていました。

「いいなあ」と真新しい銀色のドラムに感心していました。

父親を含め、みんながウキウキした時間でした。

 

 

たまには少し贅沢して、家族で幸せな時間を共有するのは

いいことだなあと思います。

引用した文書は、そんな様子を上手に表現していました。

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