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2019年10月28日

2019年10月28日 (月)

20191023報告 兀岳・夏焼山報告④県民の森を堪能

 

今日は令和元年10月28日。

  

報告のラストです。

山で出合った景色の写真を並べます。

  

南アルプスを見ることができる場所がありました。☟

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雪があるのは赤石岳だそうです。

南アルプスも初冠雪です。

  

これは双耳峰だから、池口岳だねと話していました。☟

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目の前には、午前中に登った兀岳が見えました。☟

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大きな紅葉の葉っぱが、斜面に引っかかっていました。

美しい! ☟

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☟ この建物は、13年前にもあったらしいけど、

すっかり忘れています。

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13年前の写真を載せます。☟

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熊よけ鈴 お貸しします。」が新しい。

  

  

やっぱり木をたくさん撮った日でした。☟

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赤い落ち葉の階段。☟

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石にできた不思議な模様。☟

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どうしてこんな模様ができたのだろう?

  

  

ゴール近し。

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登山口に戻ってきました。登山口にある水場。

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何が書いてあるのだろうと思って読んでみました。

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おっと、最近問題になっていた豚コレラ予防のお願いでした。

しっかり靴底を洗いましたよ。

  

 

以上で報告終了。いい山でした。

贅沢をさせてもらいました。

20191023報告 兀岳・夏焼山報告③夏焼山から県民の森へ

  

今日は令和元年10月28日。

  

昼食をすませて、次は夏焼山です。

 

登山口です。☟

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これも13年前と比較してみます。

2006年11月の登山口です。☟

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階段がだいぶ老朽化していました。

 

  

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紅葉の赤色や黄色に向かって行く薄い緑色の葉っぱも

いいなと思いました。

  

  

信州山歩き地図Ⅳ 里山編」(中嶋豊著/信濃毎日新聞社) の

絵地図です。☟

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「平坦で快適な稜線の道」を体験しました。☟

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確かに平坦で快適な道でした。そう見えるでしょ。

  

  

夏焼山頂上です。☟

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あらためて御嶽山。☟

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夏焼山を登った後は、地図のように県民の森を歩きました。

そこで出合った景色を並べます。

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クマザサは背丈以上ありました。☟

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やっぱり紅葉がよかったです。☟

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 県民の森の北端には、ミズナラが堂々と立ってました。☟

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青空に緑がすがすがしかったです。

  

つづく

  

20191023報告 兀岳・夏焼山報告②兀岳下山で見た景色

  

今日は令和元年10月27日。

  

兀岳の頂上から下山中にみた景色です。

うれしいことに、1500~1600mは紅葉でした。  

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大平峠に戻ってきました。

峠のトンネルです。☟

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13年前も同じように撮影していました。☟ 11月の終わりでした。

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道路横の木が太くなったように思えます。

  

   

昼食は大平峠の東屋(あずまや)で食べました。

ふと天井を見たら、スズメバチの巣がありました。

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むむ、ハチはいるのかなと思って見ていたら、

顔を出しました。失礼しました。

差し障りのないように昼食を食べました。

前回の登山でも、スズメバチに出合っています。

季節がそういう季節なんですよね。

   

昼食中に、ドライブ中のご夫婦と話をしました。

名古屋在住の方。

山好きの方たちで、しばらく山の話をしました。

驚きは、平山明神山でヒルにやられたという話。

うわ~、三河の山々はどんどんヒルが増えいています。

大好きな山の一つ、平山明神山までも。

まいったなあ。

昼食後、夏焼山と県民の森を歩きました。

次の記事で書きます。

20191023報告 兀岳・夏焼山報告①まずは兀岳に登りました

  

今日は令和元年10月27日。

  

本で読んだり、テレビ番組で見たり、

インターネットで知ったことを、

実際にどうなんだろうと出向いて確かめる。

それが楽しい。

  

いい本があります。

3年前に注文した本です。

ここでも道草 12月24日の風越山登山その4 乙女の滝(2016年12月25日投稿)

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信州山歩き地図Ⅳ 里山編」(中嶋豊著/信濃毎日新聞社) 

この本には、著者が実際に歩いて描いた登山道の絵地図があります。

ほれぼれします。

そこを実際に歩いて、今もそうなっているんか実際に確かめる。

ぜひやりたいと思っていましたが、3年経ってやっと実行しました。

  

兀岳(はげだけ)と夏焼山周辺を歩いてきました。

同行者はKさんとSさんです。

13年前に登ったコースです。

  

まずは兀岳に登りました。

Kさんが用意してくれた国土地理院の地図です。

Epson115

兀岳登山口の標識です。☟

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ちなみに13年前の2006年11月です。☟

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13年の年月を感じさせてくれる標識です。

  

  

信州山歩き地図Ⅳ 里山編」の絵地図です。☟

Epson113a  

この絵地図を見て、ブナを見上げてみたいと思っていました。

実行しました。素晴らしい木でした。☟

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信州山歩き地図Ⅳ 里山編」の絵地図です。☟ 分岐です。

Epson113b  

実際はこうでした。☟

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山は紅葉でした。

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御嶽山です。☟ 雪をかぶっていました。初冠雪です。

この日、富士山も初冠雪。南アルプスも初冠雪でした。

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右奥には、乗鞍岳が見えました。☟

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頂上です。☟

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13年前の頂上です。☟

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信州山歩き地図Ⅳ 里山編」の絵地図です。☟ 

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兀岳頂上には、13年前にも絵地図でもベンチがありました。

しかし、現時点では全くありませんでした。

頂上を示す標識も、草の中にうつぶせに倒れていました。

様変わりしていました。

実際に行ったから、わかったことです。

  

 

パラリンピック〈8〉2020年、56年ぶりに東京でパラリンピック開催

  

今日は令和元年10月28日。

  

前投稿に引き続き、

8月23日放映の「チコちゃんに叱られる!」の

読み物化をします。

  

  

再び同じ都市で開催されたのは1988年の韓国のソウルでした。

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この時、東京大会で初めて使われた「パラリンピック」の名前が

国際オリンピック協会に認められ、正式名称になりました。

(東京大会では公式名称だったけど、正式名称ではなかった。

ややこしい)

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「パラリンピック」の「パラ」は、オリンピックと「並行」して

行うことをさす「パラレル(並行)」へと、解釈が変更されました。

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来年、パラリンピックは56年ぶりに東京に戻ってきます。

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東京パラリンピックの開会式は、2020年8月25日です。

  

 

チコちゃんの質問の正式な答え。☟

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※注釈 ☟

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パラリンピックのことを継続して書いていこうと思っています。

基本中の基本の「パラ」の意味を確認しました。

  

8月23日放映の「チコちゃんに叱られる!」の読み物化完了。

  

パラリンピック〈7〉1964年東京でパラリンピック開催

  

今日は令和元年10月28日。

  

前投稿に引き続き、

8月23日放映の「チコちゃんに叱られる!」の

読み物化をします。

  

1964年にストーク・マンデビル大会は東京で開催するのに

反対する声もありました。

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中村裕さんの長男の中村太郎さんが教えてくれました。

聞き書きします。

 

中村:(父が行おうとしたことは)必ずしも、

  世間、医療界の評価も良いものではなかった。

  「せっかく(病状が)良くなたのに、スポーツをして

  悪くなったらどうするんだ」とか、

  「障害者を見せ物にするのいか」と。

  みんなの前でスポーツ大会をすることは、およそ、

  その頃の日本では考えられなかった。

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そこで中村裕さんは、東京開催の2年前、

1962年のストーク・マンデビル大会に自身の患者さん2人に

参加してもらい、障害者でもスポーツができるとアピールしました。

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中村さんの熱意に押されて、東京大会開催が正式決定。

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中村さんをはじめ準備委員会のメンバーは、

この大会の名前をパラリンピックとし、

公式にうちだすことを決めました。

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そして1964年11月8日。

参加22か国でパラリンピックが東京で開催されました。

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これでパラリンピックは、

オリンピックと同じ都市で行われたかと言うと、

そうではありませんでした。

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東京大会以降、「パラリンピック」という名前は使われず、

オリンピックと同じ都市での開催は行われませんでした。

  

私自身の記憶でもそう思います。

「パラリンピック」という大会名は、昔からあったという記憶ではなく

比較的新しい記憶なのです。

では、いつ復活したか。

 

次の記事で書きます。

                                                                                                                  

パラリンピック〈6〉1960年ローマでパラプレジックオリンピック開催

 

今日は令和元年10月28日。

  

昨晩に引き続き、

8月23日放映の「チコちゃんに叱られる!」の

読み物化をします。

  

前投稿で書いた、ストーク・マンデビル病院で行われた競技会は、

ストーク・マンデビル大会と呼ばれました。 

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1948年に始まったストーク・マンデビル大会は、

それ以後毎年開催され、

しだいに世界各国から選手が参加するようになり、

国際競技大会へと発展していきます。

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1960年には、オリンピック開催都市で、

ストーク・マンデビル大会を行おうと、

開催委員会が決めました。

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1960年、イタリアでのオリンピックに合わせて、

ローマでストーク・マンデビル大会が行われました。

その時に大会名は、パラプレシアとオリンピックを合体させた

パラプレジックオリンピックという愛称が、

大会関係者の間で使われていたそうです。

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公式にパラリンピックという言葉が使われ始めたのは、

1964年の東京でのオリンピックからでした。

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1964年のパラリンピック階差に向けて、

尽力した人物がいました。

日本パラリンピックの父、中村裕(ゆたか)さんです。

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大分県で医師をしていた中村さんは、

当時最先端のリハビリ技術を学ぶため、

1960年にストーク・マンデビル病院に留学しました。

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そこで、スポーツによるリハビリに感銘を受け、

1964年の東京大会を日本における障害者スポーツのための

第一歩にしようと決意しました。

順調にいけば、1964年のストーク・マンデビル大会は

東京で行われるため。中村さんは発起人となり、

大会準備委員会を立ち上げ、大会に向けて奔走しました。

 

しかし、この大会を東京で開催するのに反対する声も

ありました。

どのような声があったと思いますか?

私にはすぐに浮かびませんでした・

次の記事で書きます。

  

つづく

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