「石狩平野」を楽しむ 2/「鎬を削る」「伜」
今日は令和元年8月28日。
昨日の記事の続きです。
本「石狩平野」(船山馨著/河出書房)を読んでいます。
高校生の頃に、難しい本だと思いつつも頑張って
読んだことを思い出してきました。
でも、今読むと、意外に頭に入ってきます。
この40年間で体験してきたことが、
この本を読解するのに役立っているのかもしれません。
時々登場する難読漢字等も、楽しめています。
当時は、そんな余裕がなかったかもしれません。
開拓使本庁の職制は七局二十七課に編成されているが、
おなじ薩摩派同士でも、嫉妬や反感や打算のからみあいは
錯綜している。
むしろ薩摩一色なだけに、
かえって鎬を削る陰微さがあった。 (26p)
読めなかったけど、調べたら、あ、そうかと思いました。
「鎬を削る」は「しのぎをけずる」でした。
ちなみに、鎬とは何か?
このサイトが参考になりました。☟
日本刀同士が勢いよくぶつかると鎬が削れるため、
激しく戦う様子を「鎬を削る」と表現しますね。
「二進も三進も」の時にも思ったことですが、
「鎬を削る」も、ずっとお目にかからず
ご無沙汰していた言葉です。
50年前の本で、そのような言葉と再会するのは
やっぱり楽しい。
「じゃ、おじいさン家(ち)の人は東京にいるの」
「誰もおらん。伜が一人おったが、
上野の戦争で死んでしもうたでな」 (53p)
「伜」?
調べました。
「せがれ」でした。そうか「せがれ」かあ。
「息子」のことだけど、あまり聞かなくなったなあ。
私にも息子がいるけど、「せがれ」は使ったことないなあ。
つづく
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