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2019年7月20日 (土)

「その時歴史が動いた・人見絹枝」その2/人見絹枝デビュー

 

今日は令和元年7月20日。

  

前投稿に引き続き、2004年8月18日放映

その時歴史が動いた 奇跡の銀メダル 人見絹枝 

日本女子初メダル獲得の時」より。

  

近代オリンピックが始まったのは、

1896年(明治29年)です。

第1回は男子の種目しかありませんでした。

日本だけでなく、スポーツは男性がするものだという雰囲気が

世界にはあったのです。

第2回大会から女子の種目としてテニスが始まり、

第4回大会からアーチェリーなども女子種目に加わりました。

でもまだまだ限られた種目のみでした。

男子と同じ種目で競い合いたいという声は

だんだんと高まっていき、1926年(大正15年)8月に、

2年後に行われる第9回アムステルダムオリンピックから、

女子陸上競技が行われることが決定しました。

  

 

人見絹枝がデビューしたのは、大正12年でした。

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☝ 初めて出た競技会で、人見絹枝はいきなり日本新記録を出します。

当時の平均を大きく上回る身長と、

抜群の運動神経で、人見絹枝はいろいろな種目で記録を更新します。

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☝ 大正14年には、三段跳びの世界新記録を樹立。

 

19歳になった人見絹枝は新聞社に入社。

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ナレーター:その新聞社は陸上選手育成に積極的で、

  スポーツ記者に選手を採用していました。

  人見にとっては、働きながら練習できる理想的な職場でした。

  

 

アムステルダムオリンピックの女子陸上種目は以下の通り。

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人見絹枝が得意とする走り幅跳び、三段跳びはありませんでした。

人見絹枝は、短距離走に照準を合わせて練習をするようになりました。

海外のやり方にならって、コーチを専属でつけての練習でした。

当時の女子陸上は、競技の前だけ練習をするのが普通でしたが、

人見絹枝は1年中練習を行いました。

結果は出てきました。

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☝ 昭和2年。100m、50mで世界タイ記録を出します。

そして200mでは世界新記録を出しました。☟

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人見絹枝は、一躍オリンピック金メダル候補として

世界の注目を浴びるようになりました。

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出ました、この笑顔。

その時歴史が動いた」でも、この笑顔が登場です。

  

  

いよいよアムステルダムオリンピックとなるわけですが、

その前に、寺尾正・文姉妹に関する出来事がありました。

この姉妹に何が起こったのだろうと、

疑問に思っていました。

ここでも道草 「いだてん紀行」(2019年7月20日投稿)

想像を上回ることが、この姉妹に起こっていました。

 

次の記事で書きます。

  

つづく

  

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