「その時歴史が動いた・人見絹枝」その3/寺尾正・寺尾文姉妹
今日は令和元年7月20日。
前投稿に引き続き、2004年8月18日放映
「その時歴史が動いた 奇跡の銀メダル 人見絹枝
日本女子初メダル獲得の時」より。
人見絹枝と同じように、当時オリンピック候補として
名があがっていたのが、寺尾正(きみ)・寺尾文(ふみ)姉妹です。
世界と戦える数少ない女子選手でした。
人見絹枝にとっては、ライバルであり友人でもありました。
ナレーター:強さと美貌が相まって、やがて寺尾姉妹は
マスコミに大きく取り上げられる人気者となります。
雑誌の表紙を飾るなど、その扱いは、陸上選手の枠を
超えるものになっていきました。
そのさなか、事件が起こります。
オリンピックを半年後にひかえた昭和3年の正月、
寺尾姉妹をモデルにした恋愛小説が発表されたのです。
「娘が見世物にされた」
小説を読んだ姉妹の父親は激怒します。そして、
「年頃の娘をこれ以上、興味本位の視線に
さらしておくことはできない」
と、姉妹を強引に陸上競技から引退させたのです。
Wikipediaを読んだだけでは見えてこなかったことが、
番組で紹介されていました。
こんなことがあったのですね。
父親がなぜ引退をさせたか共感できるようになりました。
ナレーター:寺尾姉妹を失えば、自分ひとりで
世界と戦わなくてはならない。
人見はすぐさま姉妹の家を訪ね、
考え直すように父親を説得しました。
「2人には何の罪もありません。」
「オリンピックで活躍すれば、女子陸上界に対する
世間の見方も変わるはずです。」
しかし、思いは届きませんでした。
人見はオリンピックをめざし、
切磋琢磨してきた最大の仲間を失ったのです。
人見絹枝の発言を聞くと、当時の女子陸上は、
世間からはおもしろおかしく見られていたと想像できます。
今のように選手を尊重したり応援したりする雰囲気では
なかったのでしょう。
寺尾姉妹がオリンピックに出場できなかったのは
とても残念なことでした。
人見絹枝のことを調べていて、
寺尾姉妹の出来事を知ったのはよかったです。
その時代を表す出来事だと思います。
つづく
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