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2019年7月20日 (土)

「その時歴史が動いた・人見絹枝」その3/寺尾正・寺尾文姉妹

 

今日は令和元年7月20日。

  

前投稿に引き続き、2004年8月18日放映

その時歴史が動いた 奇跡の銀メダル 人見絹枝 

日本女子初メダル獲得の時」より。

  

人見絹枝と同じように、当時オリンピック候補として

名があがっていたのが、寺尾正(きみ)・寺尾文(ふみ)姉妹です。

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世界と戦える数少ない女子選手でした。

人見絹枝にとっては、ライバルであり友人でもありました。

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ナレーター:強さと美貌が相まって、やがて寺尾姉妹は

  マスコミに大きく取り上げられる人気者となります。

  雑誌の表紙を飾るなど、その扱いは、陸上選手の枠を

  超えるものになっていきました。

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  そのさなか、事件が起こります。

  オリンピックを半年後にひかえた昭和3年の正月、

  寺尾姉妹をモデルにした恋愛小説が発表されたのです。

  「娘が見世物にされた」

  小説を読んだ姉妹の父親は激怒します。そして、

  「年頃の娘をこれ以上、興味本位の視線に

   さらしておくことはできない」

  と、姉妹を強引に陸上競技から引退させたのです。

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Wikipediaを読んだだけでは見えてこなかったことが、

番組で紹介されていました。

こんなことがあったのですね。

父親がなぜ引退をさせたか共感できるようになりました。

 

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ナレーター:寺尾姉妹を失えば、自分ひとりで

  世界と戦わなくてはならない。

  人見はすぐさま姉妹の家を訪ね、

  考え直すように父親を説得しました。

  「2人には何の罪もありません。」

  「オリンピックで活躍すれば、女子陸上界に対する

  世間の見方も変わるはずです。」

  しかし、思いは届きませんでした。

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  人見はオリンピックをめざし、

  切磋琢磨してきた最大の仲間を失ったのです。

  

  

人見絹枝の発言を聞くと、当時の女子陸上は、

世間からはおもしろおかしく見られていたと想像できます。

今のように選手を尊重したり応援したりする雰囲気では

なかったのでしょう。

寺尾姉妹がオリンピックに出場できなかったのは

とても残念なことでした。

  

人見絹枝のことを調べていて、

寺尾姉妹の出来事を知ったのはよかったです。

その時代を表す出来事だと思います。

  

つづく

  

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