「いだてん紀行」/人見絹枝を継いでいく者たち
今日は令和元年7月20日。
前投稿に引き続き、 7月7日放映の大河ドラマ
「いだてん~東京オリムピック噺~26 明日なき暴走」より。
「いだてん紀行」を聞き書きしていきます。
ナレーター:日本女性初のオリンピックメダリストとなった、
人見絹枝。プレッシャーと孤独の中で、勝ち取ったメダルは
女子スポーツ界の大きな一歩となりました。
新聞記者でもあった人見は、国際大会に出場する傍ら、
後進の育成にも取り組み、年間200以上もの講演を
こなしました。
人見茂雄(人見絹枝の姉の孫):後輩のために、
後輩を引っ張っていかないといけないと(※思っていて)
今、それは有森さんがずっとやってくださっているゆうか、
引き継いで(くれています。) ※聞き取れずに予想
ナレーター:人見絹枝以来、64年ぶりに女子陸上に
メダルをもたらした有森裕子さんは、女子スポーツ発展のために
生涯をささげた人見を、深く尊敬しています。
有森裕子:物事を変えていくって難しい。それはいつの時代も
そうだと思うんですが、もっと幅広く自分がしてきたことを活かして
やれるこって、まだあるんじゃないかなと思いつつも・・・
そこにいつも「まだできるよ」といつも(私に)
言ってくるのが人見さんだな(と思います)。
ナレーター:普及活動で、無理を重ね、24歳で亡くなった人見絹枝。
有森裕子:スポーツをしている私たちが、歴史あるその道をつくった
人たちを、教えながら、伝えながら、忘れず、次世代の人たちを
育てていきたいかなあと思います。
当たり前に今ある道ではないと。
いい笑顔です。
Wikipedia 人見絹枝から引用します。
当時、国内での女子陸上への偏見は厳しいものであり
それをうかがわせる例がいくつも存在する。
●人見が陸上を始めた頃、周りの人々から冷たい目で見られたと、
本人が述懐している。
●オリンピック出場を決めていた人見の実家にも
「人前で太ももをさらすなど日本女性にはあってはならない」
「日本女性の個性を破壊する」などといった文面の書簡が
送られて来ていたという。
それに対して人見は女子陸上競技に関する記事にて
「いくらでも罵れ!私はそれを甘んじて受ける。
しかし私の後から生まれてくる若い女子選手や、
日本女子競技会には指一つ触れさせない」と書いている。
●短距離走の日本記録を保持していた寺尾正・文姉妹の実家に出向き、
アムステルダムオリンピックへの出場を説得したが、
寺尾の家族の意向により、寺尾姉妹の出場は叶わなかった。
これも、女子陸上への世間の偏見が一因であると言われている。
「いくらでも罵(ののし)れ!」のセリフにこもる熱は高い。
「寺尾正・文姉妹」に興味を持ちました。
どんなことがあったのか詳しく知りたいです。
また調べます。
我が家には、人見絹枝さんの番組が2本あります。
「その時歴史が動いた」(2004年放映)、
「英雄たちの選択」(2016年放映)があります。
まだ見ていません。
「いだてん」でいい機会をもらったので、見てみよう。
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