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2019年7月

2019年7月20日 (土)

「その時歴史が動いた・人見絹枝」その1/メダルは2000年に発見された

 

今日は令和元年7月20日。

  

さっそく見ました。

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2004年8月18日放映「その時歴史が動いた

奇跡の銀メダル 人見絹枝 日本女子初メダル獲得の時」を

さっそく見ました。15年前に録画したのを見ました。

録画したということは、人見絹枝さんに関心はあったのです。

さっきは「さっそく」と書きましたが、

正しくは「やっと」見ましたですね。

やっぱり勉強になりました。

全ては無理ですが、できる限り書き留めておこうと思います。

司会者・ナレーターは松平定知アナウンサー。

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何歳になられたのかな?

調べたら1944年(昭和19年)11月生まれ。74歳。

番組放映当時は59歳! 今の私と1歳違いだ。

ゲストは、「いだてん紀行」と同じでした。

有森裕子さん。

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年齢を調べるのはやめました。

  

 

番組冒頭で銀メダルが紹介されました。

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松平アナウンサーがこう言いました。

松平:今日の主人公(人見絹枝)、(メダルの)持ち主の

  めいごさんが、4年前に家の中から見つけ出したもので

  ございまして・・・

 

笑っちゃいました。

どこか見えるところに飾ってあったわけでなく、

しまい込まれていたのでしょうか。

  

「めいご」とは?

ここが引っ掛かったので調べました。

漢字だと「姪御」

意味は「他人の姪を敬っていう語」とありました。

なるほど。

引用:デジタル大辞泉

「姪」は自分の兄弟姉妹の娘のこと。

前記事の「いだてん紀行」では、

人見絹枝さんのお姉さんの孫が、メダルを紹介していました。

15年前のことだから、そのお孫さんのお母さんだと予想します。

紛失せずに発見されてよかったです。

  

有森裕子さんは人見絹枝さんと同郷で、

有森さんの祖母が、人見さんと同じ学校で、

人見さんが先輩だったそうです。

 

 

少しずついきましょう。

今回はここまで。

つづく

  

「いだてん紀行」/人見絹枝を継いでいく者たち

今日は令和元年7月20日。

  

前投稿に引き続き、 7月7日放映の大河ドラマ

いだてん~東京オリムピック噺~26 明日なき暴走」より。

「いだてん紀行」を聞き書きしていきます。

 

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ナレーター:日本女性初のオリンピックメダリストとなった、

  人見絹枝。プレッシャーと孤独の中で、勝ち取ったメダルは

  女子スポーツ界の大きな一歩となりました。

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  新聞記者でもあった人見は、国際大会に出場する傍ら、

  後進の育成にも取り組み、年間200以上もの講演を

  こなしました。

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人見茂雄(人見絹枝の姉の孫):後輩のために、

  後輩を引っ張っていかないといけないと(※思っていて)

  今、それは有森さんがずっとやってくださっているゆうか、

  引き継いで(くれています。) ※聞き取れずに予想

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ナレーター:人見絹枝以来、64年ぶりに女子陸上に

  メダルをもたらした有森裕子さんは、女子スポーツ発展のために

  生涯をささげた人見を、深く尊敬しています。

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有森裕子:物事を変えていくって難しい。それはいつの時代も

  そうだと思うんですが、もっと幅広く自分がしてきたことを活かして

  やれるこって、まだあるんじゃないかなと思いつつも・・・

  そこにいつも「まだできるよ」といつも(私に)

  言ってくるのが人見さんだな(と思います)。

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ナレーター:普及活動で、無理を重ね、24歳で亡くなった人見絹枝。

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有森裕子:スポーツをしている私たちが、歴史あるその道をつくった

  人たちを、教えながら、伝えながら、忘れず、次世代の人たちを

  育てていきたいかなあと思います。

  当たり前に今ある道ではないと。  

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いい笑顔です。

  

Wikipedia 人見絹枝から引用します。

  

当時、国内での女子陸上への偏見は厳しいものであり

それをうかがわせる例がいくつも存在する。

●人見が陸上を始めた頃、周りの人々から冷たい目で見られたと、

 本人が述懐している。

●オリンピック出場を決めていた人見の実家にも

 「人前で太ももをさらすなど日本女性にはあってはならない」

 「日本女性の個性を破壊する」などといった文面の書簡が

 送られて来ていたという。

 それに対して人見は女子陸上競技に関する記事にて

 「いくらでも罵れ!私はそれを甘んじて受ける。

 しかし私の後から生まれてくる若い女子選手や、

 日本女子競技会には指一つ触れさせない」と書いている。

●短距離走の日本記録を保持していた寺尾正・文姉妹の実家に出向き、

アムステルダムオリンピックへの出場を説得したが、

寺尾の家族の意向により、寺尾姉妹の出場は叶わなかった。

これも、女子陸上への世間の偏見が一因であると言われている。

  

「いくらでも罵(ののし)れ!」のセリフにこもる熱は高い。

  

「寺尾正・文姉妹」に興味を持ちました。

どんなことがあったのか詳しく知りたいです。

また調べます。

  

我が家には、人見絹枝さんの番組が2本あります。

その時歴史が動いた」(2004年放映)、

英雄たちの選択」(2016年放映)があります。

まだ見ていません。

「いだてん」でいい機会をもらったので、見てみよう。

  

「いだてん」/人見絹枝 800m走決勝の走り

今日は令和元年7月20日。

  

昨日は終業式。

いよいよ夏休みのスタートです。

私はもう少し前から休んじゃいましたが。

  

今回は7月7日放映の大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~

26 明日なき暴走」での人見絹枝のことを書きます。

  

1928年アムステルダムオリンピック。

人見絹代は、100m世界記録保持者として参加しますが、

100mでは4位となりメダルを逃します。

これでは日本に帰れないと考えた人見絹代は、

まだ競技で走ったことがない800mへのエントリーを

監督に申し出ます。

監督は反対しますが、人見絹代はこう言います。

「男は負けても帰れるでしょ、けど女は負けたら帰れません。

負けたらやっぱり女はダメだ、男の真似をして走っても

役に立たないと笑われます。日本の女子選手全員の希望が、

夢が、私のせいで絶たれてしまう、お願いします、

やらせてください」

監督は、800mのエントリーを許可します。

  

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人見絹枝は、800m決勝前日の気持ちを

次のように書いていました。

「私の体にどうか明日一回走る力を与えてくださいませ」

 

1928年8月2日。800m決勝。

(8月2日と言う日は後に重要な日となります)

その様子は、ドラマ撮影と当時の映像を織り交ぜて

表現されました。

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☝ クラウチングスタートの人見絹枝。

 

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☝ 最初は短距離のように走りトップを走りますが、

監督らからペースを落とすように指示を受けます。

  

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☝ 指示に従って、ペースを落とし6位をキープして

2周目に入りました。

やはり慣れない800m。苦しくなってきました。

  

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☝ その時、監督らから「腕を振れ」という指示。

腕を振り始めた人見絹枝は、次々に順位を上げます。☟

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☟ 2位にまで上がり、トップのラトケを追います。

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ラトケに続いてのゴールで、

人見絹枝は女子初のオリンピックのメダル、

銀メダルを獲得しました。

  

400m2周でのドラマが、新旧の映像で

よくわかりました。

  

つづく

2019年7月19日 (金)

「コズミック フロント☆NEXT」カッシーニが土星に突っ込むシーン

 

令和元年7月19日。

 

前投稿に引き続き、7月9日放映の

コズミック フロント☆NEXT 破壊と創造の暴君 土星」より。

  

今回は【探査衛星カッシーニが役目を終えて土星に突っ込むシーン】を

コンピュータグラフィックスで表現した写真を並べます。

土星探査機「カッシーニ」は、1997年に打ち上げられ、

2004年に土星の周回探査を開始しました。

探査は13年間。2017年9月15日に、燃料切れのため、

土星に衝突して最期を迎えました。

カッシーニが、土星に突っ込んでいくシーンです。

  

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動画じゃないと伝わらない迫力・感動があります。

写真を並べただけでは、数パーセントしか伝わりません。

13年間、カッシーニで土星を探査してきたNASAの人たちは、

感慨深かっただろうなあ。

  

衝突寸前のカッシーニからの報告で、

土星には上空から大量の氷が降り注いでいるそうです。

リングからの氷なのです。

つまりいずれリングは消えてしまうのです。

1億年後には消えてしまうと考えられています。

  

 

私たちは、偶然にも、土星にリングがある

たった?数億年の期間に生きているというわけです。

どんな不幸の人でも、この幸運は全ての人にありますよ。

  

こんな動画がありました。


YouTube: NASA at Saturn: Cassini's Grand Finale

Photo

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以上です。

「コズミック フロント☆NEXT」土星のリングができるシーン

 

今日は令和元年7月19日。

  

今年7月9日放映の「コズミック フロント☆NEXT 

破壊と創造の暴君 土星」を見ました。

やっぱりコンピュータグラフィックスはすごいなあと思いました。

2つのシーンの写真をブログに載せたいです。

① 土星のリングができるシーン

② 探査衛星カッシーニが役目を終えて土星に突っ込むシーン

 

今回は【土星のリングができるシーン

土星には、今は存在しない衛星がありました。

氷でできた直径およそ400kmの衛星です。

この衛星が、土星の強大な重力によって破壊され、

粉々になってしまい、その破片が土星のリングになったという説です。

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☝ 探査衛星カッシーニ

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こんな感じでリングができたと予想されています。

これは数億年前の考えられています。

地球では、恐竜が地上を闊歩していた時代です。

巨大な氷の衛星が破壊されてできた氷は、

数日間で土星を取り囲んだようです。 

リングの厚さは平均10m。

  

何億年、何万km、何光年などの

壮大な数字が登場する宇宙の話の中に、 

「数日間」「10m」という数字が出てくると、

やっと思い浮かべられる数字となりホッとします。

 

つづく 

 

2019年7月18日 (木)

21日に「明治村」の番組がある/土川元夫

 

今日は令和元年7月18日。

  

前投稿に引き続いて、4月12日放映の

フランス人がときめいた日本の美術館 選 博物館明治村

より。

  

☟ 明治村にある建物です。

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旧制の官立高校は、東京に一高、仙台に二高、京都に三高。

そして四高こと、第四高等学校は金沢にあったそうです。

教室は、階段教室になっており、そのまま保存されています。☟

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建築家・谷口吉郎も「もうひとりの男」もこの学校で学びました。

「もうひとりの男」は土川元夫。2人は学友でした。

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ナレーター:明治に生まれ、共に青春を過ごした2人。

  弓道部、谷口吉郎

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  剣道部、土川元夫

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  やがて、建築家と実業家になった2人。

  谷口は酒の席で、博物館への夢を語り、

  共感した土川が、名鉄からの協力を得るために、  

  奔走(ほんそう)しました。

学芸スタッフ 坂井奈保子:この2人がいなかったら、

  今のこの明治村はありません。

  高度成長期にあたる時に、明治村はできているんですけど、

  どんどん建物が壊されていく中で、

  救急車のように行っては、建物を見つけて救ってきた、

  なんてことを最初の頃は言っていました。

Rimg2328 ☝ 左が坂井さん

ナレーター:2人の男の情熱が、失われようとしていた美しさを

  救いました。

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明治村がオープンしたのは1965年(昭和40年)。

  

明治村に久しく行っていません。

30年近く経ってしまったかな。

中学校勤務の時に、社会見学で行きました。

社会科教師として、事前に何枚も社会科通信を発行して

生徒たちの意識を高めようとした覚えがあります。

この番組を見て、行ってみたくなりました。

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」で、

明治時代の出来事や、明治生まれの人たちの活躍を見て、

自分の中で、明治への関心も高まっています。

 

7月21日の午後9時に放映されます。お薦めです。

もう一度掲載します。☟

Epson068_2 「ザテレビジョン」(2019年№30/KADOKAWA発行)より

21日に「明治村」の番組がある/谷口吉郎

今日は令和元年7月18日。

 

当然のことですが、ブログにテレビ番組のことを書く時は、

その番組を見た後に、こんなに良かったよ、

こんなに勉強になったよと言うことで書いています。

もし、私のブログを読んだ人で、そのテレビ番組を見たいと

思っても、実はそれは難しい。

本だったら違いますよね。

本だったら、勧められたら、注文したり、図書館に行ったりして、

手に入れることができる可能性が高いです。

 

でも今度幸いなことがあります。

この番組です。☟

Epson068 「ザテレビジョン」(2019年№30/KADOKAWA発行)より

7月21日午後9時~9時55分(BSイレブン)

フランス人がときめいた日本の美術館 選 博物館明治村

  

「選」とあるのは、かつて放送して、評判がよかったから

もう一度再放送しますよ、ということだと思います。

私はこの番組を見ています。

4月12日放映でした。

良かったですよ。勉強になりましたよ。

「選」に選ばれて再放送されるのは、とっても幸運に思えます。

まだ見ていない人は、ぜひ見てください。録画してください。

愛知県の先生はぜひ。社会見学に行く前のオリエンテーション授業で

役立つ可能性がありますよ。

  

  

番組の紹介をしていきます。

明治村が造られるいきさつの場面。

 

☟ 鹿鳴館(1883年~1940年/昭和15年)

Db0be89475f06722c78e05eeebe15059 世界の歴史マップ

  

ナレーター:昭和15年。日本が太平洋戦争に突入する前の年。

  老朽化した鹿鳴館は、取り壊されます。

  明治(時代)の洋館は、外国に阿(おもね)る国辱の建物と、

  批判の声もありました。

  そして、今に続くスクランプ&ビルドが、この頃から

  加速していきます。

  鹿鳴館の解体に心を痛めたひとりの男がいました。

  建築家、谷口吉郎

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  谷口が当時寄稿した新聞には、

  日比谷を通ると、鹿鳴館の姿がなくなっていた。

  あの、歴史的価値ある建築を、活用することはできなかったのか。

  明治に生まれた人たちが、所持品を持ち寄って、

  小博物館にすることは、できなかったのか。

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ナレーター:消えた鹿鳴館から谷口の博物館構想が始まりました。

  そこから25年もかかった夢の実現には、

  もうひとりの男の手助けが必要でした。

  

「もうひとりの男」が誰なのかは、次の投稿で。

 

つづく

2016年の手帳に書かれた名言

令和元年7月18日。

  

87歳の父親は、認知症が進み、やったことを忘れるし、

やっていないことをやっていると言ったりしています。

だんだん周囲のメンバーも、そんな父親の言うことに

話を合わせ、笑いのある楽しい会話にしむけている感じです。

 

父親の部屋の押入を掃除していたら、

2016年のスケジュール手帳が出てきました。

開いてビックリ。

何を見て写したのかわかりませんが、

たくさんの名言が書かれていました。

往年の達筆と比べたら、ミスも目立ち

形もゆがんでいる字がありましたが、

何より名言を書き写していたことにビックリ。

当時、84歳。名言を書いて心に刻んで生きていこうという

エネルギーを感じました。

まだ成長しようという前向きな気持ちをを感じました。

 

いくつかピックアップします。

 

その日その日が1年中の最善の日である

真の勇気というのは、極度の臆病と向こう見ずの中間にある

明日は明日の風が吹く

下手は上手の下地なり。下手よりだんだん上手になる

人はしばしば偽物を賞賛し、本物をあざける

人間は努力するかぎり、迷うものだ

まず疑う、次に探究する、そして発見する

   

父が書いたものだと思って読むと、

知った言葉も特別なものになります。

こんなことを考えていたんだあ。

  

  

父親は、今日ショートステイ2日目。

2泊3日です。明日帰宅します。

毎朝3時、6時と父親のの紙パンツの交換をしていますが、

今朝はお休み。道草しました。

2019年7月17日 (水)

ひとつ実行 「地球図」を読みました

今日は令和元年7月17日。

  

ヨワン榎(エノキ)は伴天連(ばてれん)ヨワン・バッチィスタ・

シロオテの墓標である。切支丹(きりしたん)屋敷の裏門を

くぐってすぐ右手にそれがあった。いまから二百年ほどむかしに、

シロオテはこの切支丹屋敷の牢のなかで死んだ。彼のしかばねは、

屋敷の庭の片隅にうずめられ、ひとりの風流な奉行がそこに

一本の榎を植えた。榎は根を張り枝をひろげた。

としを経て大木になり、ヨワン榎とうたわれた。 

  

この文章は、新潮文庫の「晩年」(太宰治著)の中に

収められている短編作品「地球図」の冒頭です。 

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この作品を読みたいと思った理由は、

☟ この記事の中で書きました。

ここでも道草 「ヘウレーカ!僕はどこから」その4/DNAからイタリア人だとわかる(2019年7月3日投稿)

  

図書館で借りてきて、読みました。

全11ページの短い作品でしたので、すぐに読めました。

この冒頭の「ヨワン榎」は今もあるのか?

でも骨が発掘されているから、もう榎はないのか?

など、この冒頭を読んで想像しました。

検索して調べましたが、どうも榎はもうないようです。

やっぱり実際に行って確かめたいですね。

 

調べていたら、驚きのサイトがありました。

何と、ここで ☟ 「地球図」全文を読むことができました。

青空文庫 「地球図」(太宰治)

 

青空文庫の趣旨を次のサイトから引用します。

青空文庫 早わかり

  

青空文庫は、誰にでもアクセスできる自由な電子本を、

図書館のようにインターネット上に集めようとする活動です。

著作権の消滅した作品と、「自由に読んでもらってかまわない」

とされたものを、テキストとXHTML(一部はHTML)形式に

電子化した上で揃えています。(中略)

多くの人に、快適に作品を味わい、自由にファイルを使ってもらうことは、

この場を整えている私たちの願いです。

どうか青空文庫を、活用してください。

  

ありがたいですね。

著作権について調べました。

公益社団法人著作権情報センター 

 

☝ このサイトによると、著作権の保護期間の原則は、

著作者の死後70年までが原則だそうです。

太宰治は、1948年(昭和23年)6月13日に入水。

遺体は6月19日に発見されました。

2019-1948=71 

71年前のことです。

保護期間を過ぎていました。

いい勉強ができました。

  

  

  

「読んでみたい」と7月3日に書いたことを

実行できました。

こうやって、できることから実行していきたい。

2019年7月16日 (火)

銀閣その14/吉田山がどうやってできたかまでわかってしまった

 

今日は令和元年7月16日。

  

7月13日の続きで、2018年4月21日放映の

ブラタモリ 101 京都・銀閣寺」より。

  

前投稿で紹介した吉田山は、

京都盆地の中にポツンとある耶麻です。

なぜ吉田山ができたかを、

梅林秀行さんが解説してくれました。

これがまた面白かった。

  

動画の方がわかりやすいのですが、

できるだけ説明します。

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☝ 黄色のラインは、断層のあるところ。

吉田山は断層の終わりにあります。

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この断層は上下のズレだけでなく、横にもズレました。

そこで実験。☟

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布の切れ目を断層に見立てて下のように動かすと・・・☟

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断層の横のズレにストップがかかり、上への力になって

吉田山ができたというわけです。わかりやすい!

でもこんなことが、実際の地形で起こったのですね。

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吉田山を造った断層は、結構長い断層です。☟

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長い断層だから、エネルギーが強く山を造ってしまったのでしょう。

  

こういう断層の端にできる山の地形名があるそうです。☟

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以上のように、地形的にも隠居生活に最適な場所で、

足利義政は銀閣を建てたというわけです。

そして銀閣の1階は、東を正面にしていました。

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以上で、「ブラタモリ 101 京都・銀閣寺」の

読み物化終了。

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