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2017年8月16日 (水)

本「アメリカの教室に入ってみた」より3・・・インクルーシブ教育/日本とアメリカの比較

 

今日は8月16日。

  

前投稿に引き続いて、

アメリカの教室に入ってみた」(赤木和重著/ひとなる書房)より引用します。

  

引用したい文章はたくさんあるけど、

時間的な制約もあり。しぼる!

  

日本とアメリカでは「インクルーシブ教育」のイメージが同じではないと

赤木先生は言います。

 

私を含めた日本の実践者の多くは、

「インクルーシブ教育」と聞くと

「様々な子どもが、同じ授業の中で同じ内容を学ぶ」

「様々な子どもが一緒に遊んで絆を深める」と考えがちです。

こういう考えは、インクルーシブ教育を進めるうえで

当たり前のように感じます。

しかし、この前提は、決して当然のことではないとわかりました。

(123p)  

  

どう違うか、かいつまんで。

  

シラキュースのインクルーシブ教育を象徴するキーワードは2つ。

①difference(違い)

 生まれ落ちた瞬間から肌の色が違うといった生物学的な違い

 宗教による文化的な違い

 子どもによって学習内容が違う

 障害のある子どもは、取り出して指導を受けることもある

 障害のない、優秀な子どもでも授業を抜けて他の学習をすることがある

 

 障害を含めた違いを当たり前のこととして、

 受け入れる姿勢があります。

 だからこそ、多少の違いがあっても気にならないでしょうし、

 むしろそれを肯定的にとらえる雰囲気があります。

 この雰囲気は、障害のある子どもにとっては、楽ちんだと思います。

 みんなと同じようにする必要もないし、

 むしろ違いはユニークなものとしてとらえる雰囲気すらあるわけですから。

 (124p)  

 

②individual(個人主義)

 「つながりを(それほど)重視しない」と表現できる

 Mind your own business(自分のことをちゃんとしなさい)という指導

 お友達が授業の輪から外れて勝手な行動をしたときに、

 その子にかかわることは推奨されなかった。

 教師はあえて子ども同士をつなげようとはしない 

 

 

日本のインクルーシブ教育を象徴するキーワードは2つ。

①sameness(同じ)

 生物学的に同じ割合が高い

 単一民族ではないが、アメリカと比較して肌の色や毛の色が同じ傾向が強い

 体格も似ている

 文化的に大きな違いはない

 宗教的な対立は少ないし、食習慣も似ている

日本の場合、多様性とは言いつつも最終的には、

「一緒・一斉」という「同じ」を象徴する枠組みの中で

保育・教育が行われています。

学年も同じ、カリキュラムも同じ、授業内容も同じ、という

「一緒・一斉」という強固な枠組みの中で、

障害のある子どもも、そうでない子と

同じように学ぶことを目指していきます。

子どもの特性をふまえた上で、

様々な工夫が行われることがありますが、そこに通底しているのは、

「今、この授業の中で、皆が一緒に学ぶにはどうしたらよいか」

という問題意識です。

そして、その「同じ」枠から外れた子どもは、

「問題」のある子どもとしてとらえられます。(中略)

私が見てきたシラキュースの現場では、

「皆と同じことを同じようにする必要はない」という価値観が前提です。

違いが尊重されるのです。

だからこそ、それぞれの子どもの意向を大事にして、

ことさらつながりを求めることなく保育が行われています。

(126p) 

  

②relationship(つながり)

日本では、「障害のある子とない子がともに学ぶ」と言うとき、

「ともに」の中に何らかの相互作用を想定します。

障害のない子どもと障害のある子どもが、

かかわる中でお互いに成長するというのは、

多くの実践記録でも報告されています。

また、インクルーシブ教育に関係する本の多くが、

「つながり」を重視しています。

インクルーシブ教育を考えるうえで「つながり」を重視することは、

当然のように思えます。

自明すぎて、「つながらないインクルーシブなんてない」と

思われるかもしれません。

しかし、これまで報告してきたように、

〈つながり=インクルーシブ教育の必須要件〉とは言いきれません。

少なくとも日本のような「つながり」を前提とする必要はないのです。

Mind your own businessを前提としたうえでの「つながり」と、

友達との仲を優先する「つながり」とでは意味が異なります。

日本の場合はややもすると、とにかく一緒の場にいるだけではダメで、

かかわりあいながらでないと「よい」インクルーシブ教育とは

言えない雰囲気があります。

下手をすると「つながり過剰」インクルーシブ教育になります。

(127p)

  

この本を読んだことで、インクルーシブ教育は

どうやってやったらいいんだと考えるようになりました。

でも難しい。

思い浮かんでいたのは、日本式インクルーシブ教育でした。

このままでは難しい。

何か新しい発想をしないと、うまくいかないのは目に見えています。

 

まだ続く。

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