本「アメリカの教室に入ってみた」より4・・・New Schoolのこと
今日は8月17日。
前投稿に引き続いて、
「アメリカの教室に入ってみた」(赤木和重著/ひとなる書房)より引用します。
今回もいろいろ引用します。
近々指導の方法について考える時に、
きっと思い浮かぶ文章になると思います。
日米のどちらがよいかは、単純には評価できません。
ただ、少なくとも、インクルーシブ教育を進めるという観点で見た場合、
日本は、相当ハードルが高いでしょう。
日本の場合、「皆と同じように学び、かつ、友達同士のつながりを求める」
性質のインクルーシブ教育です。
発達障害のある子どもにとって、冷静に考えるとこれはかなり厳しことです。
(128p)
現在、日本では、インクルーシブ教育が進めば進むほど、
特別支援学校や学級に行く子どもが増加するという、
珍妙とも言える状況に陥っています。
学習形態の枠組みを変えずに、皆が同じように学べるように
授業方法が検討・考案されています。
しかしそうすればするほど、その枠から外れるしんどい子どもが
明瞭に浮かび上がり、その枠からこぼれ落ちてしまいます。
「同じ・つながり」の価値から自由にならない限り、
この珍妙な状況は続くでしょう。
(129p)
どうする?日本。
ジャーナルタイム
New Schoolという学校では、毎日30分間、
パソコンやワープロを使って物語を作る時間を、学校で行っている。
日本では、「読書の時間」というインプットの時間は継続して
とられることは多いですが、このジャーナルタイムのように、
アウトプットを継続的に行うことは珍しいですよね。
自由に表現することを大事にするNew Schoolらしい活動です。
(163p)
継続した作文指導。
2学期にやってみたいこと。準備をしておきたい。夏休み中に。
「インクルーシブ教育」や「多様性(diversity)」という言葉が、
流行っています。
それ自体はとても大切です。
でも、「どうやって違う特性の子どもたちを一緒に学ばせるか」
という大人目線での議論が多いように思います。
もしくは、多様性が大事だ!とだけ繰り返しているとか。
子ども目線で見た場合、そして、アメリカの子どもたちに学べば、
「異質」なものを「何だか素敵」「もっと知りたい」「自分もやってみたい」
と楽しめるような環境・雰囲気を創ることが
より重要になると感じました。
「多様性」そのものが大事というよりは
「多様性」を楽しむことが大事ですよね。
子どもたちから大事な問いをもらいました。
(172p)
子ども目線という発想がいいですね。
いつの間にか、自分が子ども目線のつもりでいても、
外れていることがあるんだろうなあ。
実際に、上のような子ども目線はなかったです。
今まで何どか「New School」と書いてきました。
New Schoolha赤木先生は訪問した学校の一つです。
シラキュース市にある小さな私立学校です。
幼稚園の年長児から日本の中学2年生にあたる子どもが
通っている学校です。
訪問当時は全校32名。
突き抜けたインクルーシブ
5歳児から中学生までがともに学ぶ・障害のある子もない子もともに学ぶ
この学校のユニークさは、小ささにはありません。
インクルーシブ教育を徹底して点にあります。
ここでは、幼稚園の年長さんから、中学生までの30数名全員が
皆で学ぶのです。(その8割が小学生です)
いわゆる異年齢教育です。(中略)
また学級(クラス)という概念もありません。
さきほど皆で学ぶと言いました。
また、もちろん、小集団で学ぶこと多いのですが、
決まったクラスはありません。
そのときどきに応じて、その活動に適切な集団が設定されたり、
子どもたちの関心に応じてグループがつくられます。
そのため固定した学級(クラス)というものがありません。(中略)
全校生徒のうち、おおよそ4分の1が、
障害のある子どもたちですが、
基本的には同じように皆と学びます。
学年やクラスを意識しないのと同じように、
障害も意識していません。
後で述べますがカリキュラム上、
このような属性を意識する必要がないからです。
ですので、友達が障害を持っていることを知らない
子どももいるでしょう。
その場にいる皆が一緒に学ぶ、それ以上でも、それ以外でもありません。
(139~140p)
この投稿で最後と思っていましたが、
まだまだ赤木先生の本から引用したいことがあります。
今回はここまでにして、次の投稿に続きます。
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