本「アメリカの教室に入ってみた」より2・・・アメリカのインクルーシブ教育の一例
今日は8月16日。
前投稿に引き続いて、
「アメリカの教室に入ってみた」(赤木和重著/ひとなる書房)より引用します。
赤木先生が1年間滞在したシラキュース地区というのは、
アメリカの中でも、インクルーシブ教育が進んだ街なのだそうです。
インクルーシブ教育は関心のあることなので、
そのシラキュース地区の教育の状況を引用します。
シラキュース市のの学区では、
在籍児童・生徒がおよそ2万人いるにもかかわらず、
特別支援学校が設置されていません。(中略)
実質的には、障害のある子は、家庭で学ぶ小数の障害児をのぞいて、
ほぼ全員が地域の学校で学んでいます。
このような背景の一つに、
シラキュース大学の存在があります。
シラキュース大学には、北米でノーマライゼーションを推し進めた
ウォルフェンスバーガーが研究していました。
ノーマライゼーションとは、障害のある人ができるだけ通常に近い
生活が送れるような社会を創ろうという考えを指します。
ウォルフェンスバーガーは、知的障害者入所施設の解体運動を進め、
知的障害のある人が地域で暮らすように運動を
推し進めた研究者です。
また、ファシリティテッド・コミュニケーションで有名なビクレンも、
数年前まで在籍していました。
ファシリティテッド・コミュニケーションとは、
重篤なコミュニケーション障害のある人が、
支援者や養育者の助けを借りながら、文字盤やパソコンを用いて、
自分の気持ちを表現して他者とやりとりをするものです。
このような流れがあって、障害のある子どもが地域の中で
学ぶ方向性が強いことも、このシラキュースで特別支援学校がないことと
関係しています。 (90~91p)
では実際にどのようなインクルーシブ教育が行われているか。
インクルーシブ教育を進める一つの形態に、
インクルーシブクラスという制度があります。
インクルーシブクラスというのは、障害のある子どもが在籍している
通常学級のことを言います。
例えば5年生のクラスが3つあった場合、
障害児はそのうちの1つのクラスだけに集めて
インクルーシブクラスとします。
逆に言えば、その他の2つのクラスには基本的には、
障害児が在籍しないことになります。
インクルーシブクラスでは、補助教員をつけるなどして、
そうでないクラスより体制を厚くします。
少なくともシラキュース地域では一般的な学級編成システムです。
(92p)
赤木先生は学級に入って様子を見ます。
そして次のような感想をもちます。
よくない意味で日本の状況と似ているなあと感じました。
発達障害のある子が通常学級に入っているものの、
それは形式的に入っているだけで、
実質的には授業に参加できず疎外感を覚えていること。
通常学級では適切な配慮がなされているようにはあまり思えないこと。
そして、先生は何とかしてやりたいと思って、取り出し指導をして、
子どもたちのやる気や学力を上げようとしているが、
十分には時間がとれないこと。
そして、子どものことを大事に思っているがゆえに、
先生の苦悩はいっそう深まること。(中略)
率直に言うと、このインクルーシブクラスというのが、
本当に、その名前に値する実践内容を有しているのかと言われると
疑問に感じました。
さらに衝撃の事実がありました。
この学校は300名近くの児童がいるにもかかわらず、
特別支援学級(seif-contained classと呼ばれます)がありません。
厳密には「かつてはあったけど今はない」とのこと。
インクルーシブクラスを設置したので、そちらに編入されたとのこと。
理念的にはインクルーシブ教育をより推進するためです。
(95p)
やっぱりこうなってしまうよなあと思います。
赤木先生は警告を発しています。
きれいな言葉に飲み込まれない
私たちは、「インクルーシブ」という用語を聞くだけで、
「うん、それはいいことだ」と無条件に感じてしまうことがあります。
「インクルーシブクラス」なんて聞くと、
「オォホホゥ!」となってしまいます。
しかし、中身は本当に千差万別ですし、中にはその名のもとに、
子どもの学ぶ権利が誤解されていることもあります。
「インクルーシブ原理主義」に陥らず、
教育や子どもの発達の本質を見抜く必要があると
改めて感じました。 (96p)
赤木先生は、まだまだたくさんインクルーシブ教育について書いています。
書き留めておきたいこと多し。
次の投稿で。
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