3月31日 小牧山城址に行ってきました1.土塁のこと
今日は4月1日。
平成28年度のスタート。
現在の勤務校8年目。どんな1年になるかな?
昨日小牧山城址に行ってきました。
行きたいと思った理由は、やっぱりテレビ番組でした。
昨年9月に放映された
「歴史秘話ヒストリア 信長の楽園へようこそ 3つの城のサプライズ」
です。この番組で小牧山城が扱われました。
2011年に小牧山城の発掘を行われ、
山頂付近から石垣が発見されました。
小牧山城が、城に石垣が使われた
最も古い例だとわかりました。
それまでの城は土塁や堀を作って守りを強化しており、
石垣を作る必要はありませんでした。
この時、信長は美濃の国と戦をしていて、
石の要塞というインパクトを考えて
小牧山城を築いたのではないかと伝えていました。
辺りには高い場所がなかったので、
美濃の岐阜城からも小牧山城は見えました。
石垣の効果なのか、美濃の武将は次々に信長の味方になり、
築城後4年で信長は美濃を攻略しました。
こんなことを知ったら見に行きたくなるでしょ。
実行しました。
テレビが実行力を生んでくれました。
東名高速道路で小牧ICで下りました。
小牧山は目立っていて、
IC付近からもどこにあるかすぐにわかりました。
小牧山北駐車場は思ったより空いていて、
余裕で自動車をとめることができました。
↑ここが入口です。
向こうには桜が!しっかり咲いていました。
「小牧山さくらまつり」は明日から。ピッタリです。
土塁断面展示施設がありました。
小牧・長久手の戦いの時に徳川家康が命じて作ったということが
わかりました。
土塁を作ることで、敵の侵入を防ぎ、命を守るわけだから、
必死に作られたと想像します。
古宮城址でも亀山城址でも思いましたが、
土塁を作る人間のすごさに驚かされます。
450年がたっても土塁が残っているというのが、
土塁のすごさを物語っていると思います。
断面をみて、この土を積み上げた人たちを思いました。
小牧・長久手の戦いについては、
頂上にある小牧市歴史館(小牧城)でジオラマで説明してくれました。
よくわかりました。
小牧でにらみ合っていて、
秀吉の一部の軍が家康の本拠地岡崎を攻めようと動いたのを、
そうはさせじと家康が派遣した軍とが長久手で戦ったのですね。
(つづく)
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