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2016年1月 5日 (火)

「それはホロコーストの”リハーサル”だった」より4.「プロパガンダ」

  

今日は1月5日。

  

前投稿に引き続き、

2015年11月7日放映の

【ETV特集 それはホロコーストの”リハーサル”だった

             ~障害者虐殺70年目の真実~】より

  

Photo  

ナレーター:

 殺害施設では、医師の他、看護士、運転手、遺体を焼却する人など、

 多い時には、100人近くが働いていました。

 事前に仕事の説明を受け、ここに来た人たちでした。

  

歴史学者ハンス=ヴァルター・シュムール教授

 当時、精神病院で働いていた看護士や介護士は、

 無条件で医師の指示に従う時代でした。

 また、彼らは何年もかけてプロパガンダの連続射撃を受けていました。

 殺すべき患者は他の人より価値が低い人間だと

 教え込まれてきたのです。

 それで事故を正当化できたため、

 より気楽に関与できたのではないかと思います。

  

ナレーター:

 グラーフェネックで働いていたある看護士の戦後の証言です。

 仕事が生きがいだったというエマ・ベリン。

 看護士になって12年目。

 31歳の時にベルリンで緊急業務命令を受けました。

 その際、こんな説明を受けたと言います。

 「治療不可能な精神病患者が、

 国や国民、家族の負担になっているため法律が作られた。

 いわゆる安楽死計画によって、精神病患者に”恵みの死”を施し、

 命を終えてもらうことになった」

 「我々はそのために選ばれ、 

 法律および計画を実行させる義務があるのだと。」

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施設から離れた空き地にガス室が作られ、

その近くに焼却炉がありました。

エマの仕事は、バスで到着した患者を受付までつれて行くことでした。

その後、障害者患者たちは、医師の診察を受けて、

シャワーを浴びると言われて、シャワー室へ。そこがガス室でした。 

ナレーター:

 (中略)

 供述の最後に、エマはこう述べています。

 「もう一度、次のことを述べさせていただく。

 私は生涯一度も悪いことをしたことがない。」

 「私は常に勤勉で、特に患者に対してとても良心的だったので、

 患者にも人気があり、上司の評価も良かった。」

 「そのような法律が本当にあると私は信じたのです。」

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プロパガンダによる洗脳のため、施設で働いていた人たちは、

自分たちが行っていることは正しいことを思っていたのです。

人間の正しい判断は、後になればわかりますが、

その時代、その場所にいた人たちにできるかと言ったら、

やっぱり難しいことなのでしょう。

もちろん今だって正しい判断をしているかどうか。

後の人が見たら、とんでもないことをしているかもしれません。

基本は命の扱われ方だと思うようになりました。

命の扱いが軽い場面は、何らかの問題があるはずなのです。

  

まだ続く。

 

 

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